9月13日、和泉正敏さんが亡くなりました。
14日、帰省する娘を高松空港まで送り、娘と談笑していた際、師山本忠司のご長女で、事務所の事務をされていた真知子さんからの連絡で知りました。
昨年の10月、早稲田大学の学生が、卒業論文で「イサム家」について書きたいとメールがあり、イサム・ノグチ財団の事務局をされている、和泉さんの長女で高松一高の同級生益田美保子さんに連絡を取り、見学させていただいた際に、和泉さんとゆっくりとお話しすることが出来ました。その際、「お年を召されたな」「少し元気がないのかな」と感じ、香川大学から京都工芸繊維大学大学院へ進み、松隈洋先生の研究室に在籍する、矢野孝明くんに和泉正敏さんの仕事を修士論文のテーマにすることを勧め、5月には1回目のインタビューをし、7月に、津で行われた「石楽展」で、大作「天空の庭」を含む60点の和泉さんの作品をじっくり拝見し、2回目のインタビューを行う直前の出来事でした。
すぐに美保子さんに連絡を入れると、コロナ禍ということもあり、財団の理事の方にも事後報告としますとのことで、残念ながら最後のご挨拶ができませんでした。
1938年11月24日生まれの和泉正敏さんは、15歳で家業の和泉屋に入社。最初は、「石を取る」という採掘の仕事から始めました。これは、採掘場で、矢穴と呼ばれる穴をあけ、そこに楔を打ち込むという、いわば「石に目を読む」仕事です。その後、通常の石工の仕事をし、この両方が出来る人は通常いないようです。
1963年、庵治町に「船がくし苑」が完成します。山本忠司から和泉さんとの最初の仕事だとは聞いていましたが、調査の中で、3階建ての内外石張りの巨大な建築だと判明!日本建築学会賞を受賞する1973年「瀬戸内海歴史民俗資料館」の10年も前の出来事です!完成後、山本忠司の助言により、1964年和泉さんは「石のアトリエ」を設立。この年の11月、山本忠司と金子正則元知事に紹介され固い花崗岩ならではの作品の可能性を求め、庵治・牟礼での制作の場を模索するイサム・ノグチの制作パートナーとなります。
最初の仕事は、シアトルの「黒い太陽」です。直径3mの巨大な作品です。ソリッドのブラジル産花崗岩を牟礼の港で、ほとんど完成手前まで削り、「石のアトリエ」の作業場で完成させます。和泉さんは、この作業場にあるようやく布団が引ける程度の和室に泊まり込んで作業することもあったようです。
和泉さんが、世界的に評価されているのは、まずは、イサム・ノグチさんの制作パートナーであること。西洋の石の彫刻は、石のすべてを削りますが、イサム・ノグチさんは、次第に自然の岩肌を残し、手を入れた部分と調和させる手法で作品へと昇華させます。最後には、自然石を組み合わせるという作風に。この作品の変化は、和泉さんとの仕事が大きな影響であることは間違いありません。
そして、山本忠司との仕事から始まる、建築家との仕事。
最後に、自らアーティストとして、石彫家和泉正敏の仕事を残します。
石彫家としての仕事は、1982年に「大阪ビジネスパーク」に設置した作品の依頼から始まります。イサム・ノグチさんが「コラボレーター」と評する和泉さん。25歳からイサムさんの多大な影響を受けながら作品作りに携わってきた和泉さんが、イサムさんとは違ったかたちでの表現を模索することは簡単でなかったことと思います。そこで、和泉さんは、自然石の組み合わせという手法を編み出します。これが、逆にイサム・ノグチさんに影響を与えることとなります。
実質的には、イサムさんの死後、1990年代に入り、作品づくりに取り掛かります。その中で見出した和泉さんならではの「手法」は、石工の原点である様々な「技法」でした。
15歳で石工となった和泉さんは、まず山から石を「採る」採石の仕事をします。「矢穴」をあけ、楔を打ち込み石を採り出します。ここで必要なのが「石の目を読む」ということです。その後、すべての工程を会得するという、石工としては珍しい経歴を持っています。そして、石彫家和泉正敏は、石工としての、「割る」「切る」「はつる」「削る」「たたく」「磨く」の「技法を用いて、石の魅力を最大限に引き出す「手法」へと昇華させたのです
2回目のインタビューは、親方和泉さんのまわりで一緒に仕事をしてきた人たちでした。石と向き合う真摯でそして厳しい姿勢。イサムさんの死後、庭園美術館としてオープンするまで、山本忠司と何度も何度もアメリカの財団と協議を重ね、事務所に毎週のように来ておられました。和泉さんは、ぼくたち弟子たちにもいつも丁寧に接していただき、職人らしく寡黙な方ですが、話すとウィットにとんだ言いまわしをされ、笑顔がとても優しい方でした。
亡くなった直後、「お会いして、素晴らしい作品で、イサムさんも山本先生も喜ばれていると思います、とお伝えしたかったです」と伝えたところ、「林君たちが天空の庭に行ってくれたことを親方はうれしそうでしたよ」と。
山本忠司の自邸の改修工事中ですが、前庭の部分を和泉さんに相談し、「現場を見ておきます」と言っていただいただけに、残念でたまりません。
10月の「石楽展」では、和泉さんの講演会もあり、楽しみにしていたのですが。
和泉さん、素晴らしい仕事をありがとうございました。
功績は、しっかりと後世に伝えていきますので、安らかにお休みください。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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