2007.06.09

吉田 都

娘が3歳のときにバレエを始めた。

表現することに抵抗を持たないように、

音楽に合わせてからだを動かすことを、と思い薦めた。

後輩のお母さんが営むその教室は、発表会も無い。

そして、かなり躾が厳しい。

だからいいと思った。

さしてバレエそのものに興味があったわけではないが、

からだの動きを極限までに意識して制限し動くことは、

それなりに意味があるように思えた。

9日、高松で、吉田都がゲストプリンシパルとして

熊川哲也のKバレエ カンパニーで踊った。

本格的なクラシックバレエの舞台を見たのは始めてである。

十数年前、コンテンポラリーの巨匠マース・カニングハムの

高松での公演は体験した。

バレエとは、誰が何のために踊るものなのか、

また、ストーリーは必要なものなのか、

そのストーリーと関係なく踊るシーンは必要なのか、

技術と表現を融和させようとする必要があるのか、

たくさんの疑念を抱きながら見た。

吉田都が同じステージの他の誰よりも優れていることは

素人目にも明白だった。

彼女だけが自分の「間」を表現していた。

基本的な技術に支えられた正確無比な動きが、

逆に、ゆったりとした繊細で優美なやわらかい空間を生み出した。

卓抜した技術を持つものが陥りがちな、これ見よがしなところが無く、

全ての動きを高速で意識し、コントロールしていた。

そして、さらに驚いたのは、彼女はまもなく42歳を迎えることである。

1歳年上だ。

あの動きを生み出す肉体!

生活を、生き方そのものを厳しく制御しなければ出来ない業。

吉田都自身の言葉でそのことは語られている。

「バレリーナの稽古は、技術を磨くことではなくて、

 自分を磨くことです。

  終わりのない自分との闘い。」

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2007.04.06

「レオニー」

1907年3月。

2歳の幼い息子イサム・ノグチを連れて日本に渡った

母 レオニー・ギルモア。

 

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それから100年。

「ユキエ」「折り梅」の松井久子監督が、

レオニー・ギルモアの人生を描く。

これまでの作品は、上映会というかたちで各地をめぐる。

その縁で、高松に度々訪れ、イサム・ノグチ庭園美術館で

ドウス昌代の「イサム・ノグチ 宿命の越境者」を手にした。

様々な証言・資料から精緻にイサム・ノグチを紡いだ著書は、

エモーションに溢れ、惹きつける。

募金など草の根の活動から映画作製の資金を集めている。

話しから類推すると6~7億円程度だろうか。

資金を集めることから作品づくりが始まっている。

単なる大金を「投資」するスポンサーは望んでいないとすら感じられた。

秋から撮影にかかるという。

自らの内奥を見つめ、存在意義を作品に投影する

イサム・ノグチの制作において、人生において、

母への複雑な愛情のかたちが見え隠れする。

どのような「レオニー・ギルモア」が描かれるのだろうか。

http://www.myleonie.com

 

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2007.03.21

直島 スタンダード展2

地中美術館会館以来、直島に訪れる人の数は4倍になった。

 

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直島の人たちの海水浴場として親しまれた「パラダイス」が、

福武書店に買収されたのが1987年。

ベネッセハウスオープンが1992年。

魅力が浸透するのに10年を費やした。

瀬戸内の美しい自然と一体となった建築とはいえ、

当初は、美術作品を購入して観覧させるスタイル。

 

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地域ボランティア、学生ボランティア、個人・企業協賛など、

地域住民を巻き込んでのムーブメントとなった契機は、

2001年の「スタンダード展」。

旧来の集落 本村地区に建築とアートが一体となった作品を点在させた。

端緒となったのは「角屋」。

 

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わが師 山本忠司と宮島達男のコラボレーションにより、

廃屋寸前の伝統的建物を、復元しながら現代アートとして再生。

住民により刻まれたリズムで水に瞬くカウンター。

景観の再生の鑑となり、住民の参加意識が育まれた瞬間。

 

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今回、直島で育った友人を案内した。

当人は、訪れる人たちが知っていること、知りたいことに

皆目興味が無いが、慣れ親しんだ場所としての記憶だけがある。

フェリーが満席であることに驚く。

オルガンも習った幼稚園が、ギャラリーに、

幼い頃通った歯医者が大竹伸朗の摩訶不思議な空間に、

床屋がタコに占領される空間、

だが、反応するのは、「記憶」である。

島の「ごとうパン」は同級生。

直島八幡神社のボランティアガイドは先輩。

 

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作家やベネッセといった企画側が何を意図し、

いかに創造してきたのかということが興味の対象であったが、

生活をしてきたものの視点を肌で感じ面白い体験となった。

 

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彼らにとっては、ベネッセ以降の現代アートより、

直島小学校に始まるの石井和紘の仕事は、鮮烈な体験だったようだ。

 

 

 

 

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2006.10.04

イサム・ノグチ展 高松市美術館

いよいよ「イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展」が
高松市立美術館にて始まりました。
60歳を迎えたイサム・ノグチが「黒い太陽」(1964年)
(今回の展覧会に同じものの半分の作品が展示)を制作のため
牟礼に訪れて以来、関係を持った香川の地での本格的な展覧会である。

以前お伝えしたとおり、晩年の自然石と対峙するような作品ではなく、
土や金属、そして石も、ここではどれもひとつの素材として扱われ、
イサムさんの手によって生み出された作品ばかりです。

会場に入ると「広島の原爆死没者慰霊碑」の5分の1の模型が
いきなり迎えてくれます。
丹下健三の提案により、アメリカ人の血と日本人の血を持つ
イサム・ノグチだからこそ慰霊碑を計画するにふさわしい、
ということでスタートしたが、
アメリカ人の血が入っていることが理由で、計画は実現しなかった。
実現すれば、イサム・ノグチの仕事の中でも傑出したもののひとつで
あったであろうと言うのが、美術関係者の評価である。
5分の1の大きさになり、慰霊碑の前で手を合わせ
祈ってみてください。イサムさんが描いた情景が少し伝わってきます。

また、会場となる高松市美術館は、その設計の過程で、
イサムさんが関わったが、すでに計画が始まった段階で
設計に関わったことなど、様々な問題から実現していない。
部分的にはイサムさんのアイデアが反映しているようだが、
建築としては、魅力的なものだとはとても言えない。
もし、イサム・ノグチ設計の美術館が実現していれば
香川のとても大きな財産になったことは間違いない。

そんなことに思いを馳せながら感慨深く拝見してきました。

とにかく、ひとつのジャンルで括ることの出来ない、
イサムさんの多面的な活動を、網羅的に観る事の出来る展覧会です。
牟礼の庭園美術館とあわせてご覧下さい。

また、今回の展覧会にあわせてワークショップをやらせていただきます。
興味のある方は是非どうぞ。

おとなのワークショップ「イサム・ノグチを遊ぶ」
10月15日(日)10:00-16:00
対象 高校生以上
子供向けワークショップ
 10月22日(日)13:30-16:00
 対象 小学4年生~中学生
小学校低学年向けのワークショップは、定員オーバーのため、
募集を締め切りました。
詳しくは高松市美術館のHPまで。
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/647.html

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2006.07.28

「エナジー・ヴォイド」

1964年。「黒い太陽」制作の地に牟礼を選んだイサム・ノグチは、

その後、この地に根を張り、この地で制作活動を行った。

その過程で、生み出された、

巨大で、今にも動き出しそうな、

ゆえに、静の中に蓄えられたエネルギーが

圧倒的な存在感を放つ、「エナジー・ヴォイド」。

 

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後に、この「エナジー・ヴォイド」を展示するために、

酒蔵を移設し、覆い、展示蔵に収まった。

微かな光の闇の中で、異様なほどの存在感をまとう。
文字通り門外不出の作品であった。

昨年、その「エナジー・ヴォイド」が、丸二日の時間を掛け、

とうとう蔵の外に出、札幌、東京と展示された。

東京都現代美術館の、ただただ天井の高い

むやみにボリュームのある吹抜けの空間に置かれた

「エナジー・ヴォイド」は、まぶしそうに、

所在のなさそうな表情をしているように見えた。

牟礼の蔵に無事帰ってきた「エナジー・ヴォイド」は、

また、その熱量を取り戻し、

観るものにその熱量を与え続けている。

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2006.06.30

東京讃岐会館

三田に、大江宏の設計による東京讃岐会館がある。
現在は、喜代美山荘の運営による「東京さぬき倶楽部」。
10年振りに訪れた。
その佇まいは、山の手の地霊を体現したかのような品格と重厚さがある。

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ホワイエは、空間の重心が低く、奥の手入れされた日本庭園に
自然と意識が向かうように導かれる。
そのホワイエには、ジョージ・ナカシマのソファが

たっぷりと置かれている。
大江宏の空間に、ジョージ・ナカシマの家具という組合せは、

至極贅沢である。

大江宏は、明治神宮宝物殿などを手掛けた、新太郎を父に持ち、
幼児期の日光での宮大工との生活に始まる日本の伝統的な
建築のありかたを肉体的記憶にもちながらも、
近代建築の洗礼を受け、その間での相克が大江の建築の根源にある。

東京大学では丹下健三と同期。

共に、日本の伝統と近代建築との間に身を投じ、
その成果を「香川県庁舎」と「香川県文化会館」に現した。
丹下健三はひとつの形として伝統を捉えたが、
大江宏は、それらが生み出される混沌まで立ち戻り、
その間の相克を、人生を掛けて挑んだ建築家である。

大江宏。丹下健三。イサム・ノグチ。ジョージ・ナカシマ。

自らのアイデンティティを、内奥まで見つめ、
それを作品に投影した稀有な作家が、
香川と深い関係を持つにいたる必然があったことは、
大変興味深い。

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2006.06.17

イサム・ノグチ展

昨年末の東京都現代美術館での展覧会に続き、
今、横浜美術館で開催されている展覧会を観てきました。
この後、滋賀、高松と巡り、9月末からの高松市美術館での展覧会の際、
一般の方向けにワークショップをすることになり、その下見も兼ねて。

イサム・ノグチさんは、ぼくにとって、
人として、また、表現者として特別な人です。
イサムさんの作品は、「綺麗」だとか「美しい」という言葉では
表現できない、生命の持つ根源的な力強さのような
特別な「力」を持っています。
正確には、彫刻家イサム・ノグチが作品に、
そのような「力」を持たせるべく、
素材とかたちを注意深く与えています。

展覧会の作品は、すでに見たものがほとんどでしたが、
今まで、何を見ていたのかと思うほどに発見の多い展覧会でした。
晩年、牟礼で制作するようになってからの、
自然石と対峙するかのような作品はほとんど無く、
どれも、イサムさんの手によって生み出された作品ばかりでした。

イサムさんの作品は注意深く見れば見るほどに、
その根底にある、生まれてきたことへの喜びや、
それに不可避に伴う、自らの生い立ちと向かい合い、
自らの内奥を深く抉り出すという行為がもたらす
時には恐ろしいほどの悲しみが湧き出してくる。

「母子像」(‘44-47)は、愛しそうに小さな子供を抱き、
頭をつける母に、照れ臭いのか、少し離れようとするような子供。
母に愛されながらも、早くに離れ離れの生活を余儀なくされた
イサムさんの母ギルモアに対する複雑な心根が現れているのでしょうか。

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庵治石の産地 牟礼にアトリエを構えたものの庵治石を使った作品は
ごく僅かであるが、その中の作品のひとつが「幼年時代」(‘71)。
四角い石を、丸みを帯びさせるように叩いているように見えるが、
しばらく見つめていると、坊主頭の少年が、怒ったように、
また、悲しそうに、拗ねたような表情に見えてくる。
自分自身が体験することの無かった、無垢な家族を目の当たりにし、
そこに、擬似的に参加することで母への思いを
重ねることのできた場所、牟礼。
その牟礼に制作の現場を設けて以降の作品であることと、
その場や地域のコミュニティーを結び付けている庵治石で
制作されたことに、その思いの深さが伝わってきました。

まだまだ深き、イサムさんの世界を見せつけられました。

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2005.07.11

谷口吉生展スタート

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9日、谷口吉生のミュージアム展の
オープニング・レセプションに出席して来ました。

猪熊さんとの縁。
イサム・ノグチさんとの縁。
MIMOCAの構造設計者 木村俊彦さんとの縁。
(木村さんは香川出身で、構造家というスタイルを
確立し、多くの弟子を輩出した構造界のドン)
谷口さんの作家活動の中でもとりわけ
重要な作品であるMIMOCA。
所縁の深い場所での開催を喜んでいました。

10日のレクチャーの後も、即席サイン会となり、
1時間ほど機嫌よくサインをされ、
「東京よりいいんじゃないの。建築がいいからね。」
と、ご満悦だったようです。

それにしても、改めて感じた汚点が2つ。

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まず、地方都市特有の駅前のゆるいスケールを
絶妙に空間化して見せたカフェ前の広場から
見える穴吹のマンション!
建築という行為は、地表をつくっているだ!
低い仰角で空が切り取られた贅沢な空間が
不躾で思慮の浅い、デベロッパーの汚物で
台無しにされている。
香川が、世界に誇る財産なのに、
あまりにもひどい。
実は、デベロッパーもそうした文化的財産となるべき
宝を生む機械を、頻繁に持っているわけだけど。。。

各界からのゲストを招いてのオープニングに、
市長は欠席!

丸亀市の世界に誇るもはや数少ない財産の、
また、その中でも最も輝いている市所有の財産。
芸術がわからなくてもいい、
ただ、選挙を戦った相手が頭を務めるものだから
闇雲に反対するという浅はかなことはやめて欲しい。
前市長のできなかったほど、もっともっと
美術館を豊かに活用するために尽力するとか、
前向きに争って欲しい。

とにかく、実は厳しい美術館経営をささえる
よいきっかけとなって欲しい、と切に思いました。

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2005.07.05

「谷口吉生のミュージアム」展

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7月10日より、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で、
谷口吉生展が始まります。
5月にNYのMOMAの改修を終えた、谷口さんの巡回展。

谷口吉生は、父に建築家谷口吉郎をもち、丹下事務所を経て、
独立後は、数々のミュージアムを設計。

その中でも、丸亀のMIMOCAはその後の作品を
方向付けたマイル・ストーン!

建築・美術関係者から高い評価を得ていることはもちろん、
アーティストの憧れの地であるところが他の追従を許しません。
多くの「近代」美術館は、もはや古典となり評価の固まった
作品を見せるいわば「殿堂」ですが、
MIMOCAは、本当の意味での「現代」美術館で、
現役のスター・プレイヤー(アーティスト)の
作品を見れることが素晴らしい!

しかし、財政難のなか、日本のほとんどの公共美術館は、
運営の危機を迎えており、イナカモノ丸出しの市長が
2選してしまったMIMOCAも例外ではなく、
「開かれた美術館にするべく、市民の作品も展示せよ!」
との愚令が。。。。

切れ者学芸員のUさんもキレてます。マジで。。。

9月25日までですが、
「いつまでもあると思うな親と展示期間」
お早めに。

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2005.06.30

モネ

地中美術館は、福武さんがモネの絵画5点を
購入したことから始まった。

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現代美術館としてスタートしたベネッセハウス

第1世代の美術館は、既存の建物を作品展示空間に流用。
代表としての、ルーブル美術館。
第2世代の美術館は、変化する展示作品に、
鑑賞環境として、影響を与えない、
白い壁、やわらかな採光、所謂「ホワイト・キューブ」。
第3世代の美術館は、建築空間と芸術作品が不可分な関係。
空間が作家を挑発し、創作意欲を掻き立てる。
また、固定化した作品空間をコラボレーションする。

モネの「睡蓮」を展示するためにつくられた空間は、
作品と不可分という意味で、十二分に現代美術館!

印象派を代表するモネは、甘ったるい感を拭えず、
取り立てて興味を持たなかった。

果たしてその空間は、
逆光の水面にきらめく色の断片の様相を
やわらかな光が拡散する空間が
モネの真意を補完していた。

かつてのワクワクする空間をもはや創造し得なくなった
安藤忠雄の久方ぶりの快打。
大きく面を取った大理石の床は、
トップライトから降る光をさらにやわらかく反射する。
スリッパに履き替えるが、ここは、足の裏で感じるのが正解。
「やるな~安藤さん!」と、かつてのアイドルの
よい仕事に感心したが、なんとこれは、
地中美術館館長秋元さんのアイデアのようだ!
秋元さんが凄い!

山崎山荘からの2点の枠は、白い大理石で、
これも空間の淡さを増長。

絵画の配置とその空間のプロポーションは
他に例を見ないほどに絶妙!

必体験。

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