2008.06.13

背番号

先日は、初打席以来、2試合目の練習試合があった。
2度目の打席も三振だったので、「どうだった?また三振?」と尋ねると、
「打った!」
「どんな感じ?」
「あのね、サードとショートの間に結構強い当たりが飛んで、
 ショートが捕ったけど、送球がツーバウンドになって、
 ファーストが捕れんかった!」
「じゃあ、内野安打か?」
「うん!」
「だけど、一塁へ走るのに、そんなに細かいとことまで
 
見ながら走ったらいかんやろ!」
「(焦りながら)いや、チラッと見ながら(汗)」

まあ、何にせよ、レフトでの守備機会も無難にこなし、
うれしかったよう。

試合後、新加入の子も増えたので、新たに背番号の発表があった。
それまでは、17番。
少年野球はキャプテンが10番と決まっているので、一桁はレギュラークラス。
下の学年の子が自分より小さい番号をもらっていたのはショックだったみたいだが、
「もっとがんばれってことですね」と、現実を受け止めていた。

新しい背番号は、11番!
「もーうれしくれ、びっくりして、その後のこと覚えてない!」
自分がつけていた17番を渡すために聞いておかないといけないが、
舞い上がって、何も耳に入らなかったようだ。


「みお、何で11番やと思う?」
「コーチは、最近がんばっとるからやって」
「あなたの取柄は、いつでも声を出すことやんか?
 しっかり声出して、もっと練習もせんとね!」

背番号に恥じないようにがんばってください。

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2008.04.28

初打席

娘が所属する「太田ジャガーズ」も、団員が増え、

春から、4年生以下で「太田ジャガーズjr」を結成。

野球に限らず、あらゆる分野のトップレベルの領域では、

持って生まれた能力に左右されるところが大きいが、

それでも、その裏付けとなる論理や技術が大変重要。

入団まで、まともに野球を見たこともなければ、

キャッチボールもしたことのなかった娘。

小さい時から、動くボールに対する反応を見て、

球技には不向きだと、そういった遊びをさせることもなかった。

何せ、バトミントンをしようと言うが、サーブがあたらず、

一向に飛んでこないありさま。

そんな程度で始めた野球。

近い距離でのキャッチボールもままならず、

うまくとれないので怖いし、おまけに視力も弱い。

変な取り方が癖になり、不格好で、何度試みても治らない。

右利きの娘は、ボールを捕るときに、左足を大きく出す癖がある。

前足体重で捕るのなら問題はないが、後ろ足体重なので低いボールが捕れない。

そこで先日、捕るときに右足を前に出させると、バランスよく捕れるようになった!

そこそこかっこよく捕れる。

バットを振る際、一番後ろにバットを引いた状態を「トップ」というが、

トップのかたちをうまくつくれないので、バットが波打ち当たらない。

バッティングセンターでも、20球中の大半は空振りで、当たるのは3球程度。

そこで、トップを安定させるために、肩にバットをかついで、

そのまま打たせると、効果てきめん、いい打球が飛び始めた。

もとがど下手なせいか、上達は驚くほど。

「みお、うまくなったねー」と、コーチのお父さん。

昨日、jrチームの初陣。

初の練習試合。

練習試合は、大抵2試合行い、1試合目はベストメンバー、

2試合目は、試したい事や、経験を積ませることが目的。

4年生の数名は、先日までシニアチームで練習していた選手たち。

中でも達也・航大は、シニアでも中心の選手だし、

健太郎・紳太も、このレベルでは安心して見ていられる。

対中央イーグルスjr初戦、超小学校4年生級の達也が見事完封。

10-0で快勝!素晴しいスタート!

2戦目に娘の出番が。

物おじしない娘は、お遊戯会やフラメンコの初舞台でも、

親の心配をよそに満面の笑み。

レフトでの守備機会を無難にこなした後、初打席。

結果は空振りの三振。

その時間、シニアチームの練習試合で別のグランドにいたが、

家に戻って、「どうだった?」と聞くと、

「緊張して足がガクガク震えた。」

ぼくも、4年生の初打席、緊張したのをよく覚えてる。

初球、高めのボール球を振ってしまった。

その後、打席で緊張したことは一度もない。

普段、緊張しないタイプではないが、

野球の場合、その場面で何をしないといけないのかを考えれば、

緊張する暇などない。

もちろん、不安を取り除く練習量に裏付けされた自信が必要。

娘は、日曜の朝6時からの同級生のソフトボールチームの練習に誘うも、

一度も行くと言ったことがなかったが、

昨日は、早起きし、参加。

ティーも100球は打ったし、ノックも30球受けた。

「打った?」

「三振」

「そうかー。野球の神様は甘くないなー。

 もっともっと練習しろってことやな。」

「うん。」

野球は失敗のスポーツ。

成否の裏には論理的・技術的裏付けが必要。

さらに、悔しさを忘れず、次に成功するために努力し続けることがもっと大切。

野球の神様は、努力し続けた人にだけ微笑んでくれるのだから。

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2008.03.26

「松坂大輔vs志村けん」

昨日、ボストン・レッドソックスの松坂大輔投手が日本での開幕戦に登板。

太田ジャガーズの子供たちのあいだでも松坂大輔は人気があり、

ナイキの松坂モデルを使っている子はたくさんいます。

試合の流れや、選手の動きが少しずつ分かり始めた子供たちは、

野球シーズンの到来を待遠しく思い、レッド・ソックスの来日も、

松坂大輔の登板も楽しみなよう。

娘は、野球の練習は楽しいようだし、練習中にさぼろうとか、

そういったことはない。

野球は、覚えないといけないことがたくさんある。

やめろと言われるまで、毎日野球のことを考えているくらいでちょうどいい。

娘は、チームの練習時間以外に自ら野球をすることはない。

まあ、こればかりは本人の問題なので、うまくなりたいと思えばやればいいし、

試合に出たいと思えば、練習すればいい。

娘は、以前にも書いたように、志村けんの大ファンだ。

昨日は、困ったことに「志村けんのだいじょうぶだぁ」と松坂の登板が重なった。娘は、番組の編成時期に「バカ殿」や「だいじょうぶだぁ」があることは

知っていて、先日も、「とうさん、そろそろちゃう?」と、言っていたところ。

本人は、はなっから「だいじょうぶだぁ」を見るつもり。

チームのほとんどの子が松坂の試合を楽しみにしていた。

だから、「見とかんと、明日、話題についていけんのちゃう?」。

すると、しばらく考え、野球は録画して明日見る、と。

野球に限らず、あらゆるスポーツは、芸術や音楽同様、

見続けることで、その違い=おもしろさを体得していくもの。

志村けんの笑いもそうなんだけどなあ。

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2008.03.14

「今日はお休み」

遺伝子とは恐ろしいものです。

ぼくは、好きになったり、興味を持ったことには

とことんのめり込む性格のようです。

野球・音楽・うどん、そして、もちろん建築。

傍目には、バカじゃないかと思うほど没入し、

その話ばかり熱く語る。

何事にも、基本的には前向きだと思います。

ところが、こと習い事に関しては、「嫌だ」と思うと、

とことん嫌になるようです。

5才半の時、ピアノを習い始めました。

でも、まったく興味が持てませんでした。

すでに習い始めていた2才年上の姉の命令で、

ピアノに鍵をし、埋めました。共犯。

1年生の時、近所のお兄ちゃんに誘われ、

自分から剣道を習いたいと言いました。

ぼくは、寒いのと痛いのが苦手。

2年生になるとそろばんを習いに行きました。

居眠りしているような子でした。

父方の祖父は、50歳で家業を息子たちに任せ、

書道をしていました。

ぼくの住んでいた家の横は会社の工場。

その2階で、書道教室を開き、20人くらいの人が習いに来ていました。

ある時、来る人来る人に、階段のところで「今日はお休み」と言うと、

みな帰って行きました。

すぐにばれました。

娘は、3才からバレエを習っています。

先生は、大変厳しく、2時間と長い。

子供の足で、歩いて5分。

でも、心配なので、極力送り迎えをしています。

昨日は、じいちゃんに頼みました。

夕方、小学校の会合に参加するために、いったん家によると、

「今日、バレエに行って、30分待ったけど誰も来ないので帰ってきたんやけど、

 でも、そのあとのクラスのかりんちゃん(友達)が行ったら、

 (レッスンが)あったんやって。」

「へーえ。

 そんな時は、かあさんに連絡せんといかんよ。」

「うん、した。」

と、まあ、あまり気にせず、時間もなかったので会合へ。

ところが、これは真っ赤なウソで、かあさんにばれることに。

しこたま、叱られたようだ。

ぼく自身、前歴があるので、そこをつかれると何も言えないけれど、

親としてはたしなめる必要はある。

誰に迷惑をかけたわけではないけれど、だますのはよくない。

行きたくなくなるときもあるでしょう。

でも、だからといって人をだますのはよくない。

ウソをつくことの痛みをしっかりと感じてくれれば、

まあ許してやりますか。

だって、遺伝子にも一因があるんやもんな。

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2008.01.13

50m走

昨夏の合宿、子供たちの体力測定の際、

高校以来、50m走のタイムを計りました。

高校時代のベストが6秒7。そのときの体重が63kg。

ちなみに身長は中学3年の夏から変わらず175cm。

特別遅くはないが、速くもない。

しかし、野球選手としては遅い。

プロ野球の入団テストの一次テストでは、

50m走を6秒5以内、遠投90m以上。

つまり、どんなに速い球を投げようと、

どんなに巧いバッティングができようと、門前払いのタイム。

野球の世界では、6秒前半は平均的なタイム。

俊足と呼ばれる選手は5秒台で走る。

野球を続けなかった理由の一つには、

足の遅さをコンプレックスに感じていたことも事実。

4年前のピーク90kgから運動をはじめ、昨夏の時点で75kg。

あれから23年、12kg増。はたして。。。。。

7秒3。

年齢と、体重からするとまあ健闘している方だとは思う。

だが、是が非でも、今年は6秒台で走りたい。

いくら、年々体が動くようになっているとはいえ、

6秒台で走るのは、さすがにもうラストチャンスだと思う。

ちなみに、50mを7秒で走ったとして、

0.1秒当たり約70cm。

0.4秒縮めるには、おおよそ3m分速く走る必要がある。

これは、結構大きい。

アップシューズで走ったので、今度はスパイクで走る。

まずは、体重を60kg台にしなければ難しいと思う。

年末年始は飲む機会が続き、例年、増量する。

しかし、今年は減量を考慮し、無茶食いせず、

何とか正月も乗り越え73kg。

今、子供たちは、俊敏性を高めたり基礎体力づくりのシーズン。

サーキットトレーニングに部分的に参加するが、かなりきつい。

しかし、春までにしっかり基礎体力をつけ、

夏の合宿に向けて、走力を高めたい。

怖いのはケガ。

じゃあ、何でそこまでして6秒台で走りたいのかというと、

客観的に見て、6秒台は41歳にしてはかなり速いタイムと言える。

走るのが遅かったぼくは、なんなら、計測間違いでもよいので、

「オレは、50mを6秒台で走る」と言いたいのだ!

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2008.01.02

謹賀新年 2008

新年明けましておめでとうございます。

元旦は、毎年、八つの神社をお参りし、父方の本家へ挨拶に行くのが慣例。

神社の締めくくりは、本家の近く、讃岐の国の一宮 田村神社。

古いお札や熊手を納め、参拝し、新しいお札と熊手を手にし、

おみくじを引く。

本厄の昨年は「吉」。

「自らを知り 謙虚になり 新しく行く道が展けて行く時を

人を恨んだり 邪な道に踏み迷うことなく

全力を尽くして仕事に励み 待ちなさい。」

今年は何と「大吉」。

「財産ができ 立身出世することは

 春の日が松の緑に色を添えて 輝くように清々しく繁栄し

 よい人の引き立てにあずかるが

 心を正しくしないと災いにあいます。」

よい教訓です。

今年も、仕事をますます充実させ、頑張りたいと思います。

本年も、よろしくお願いします。

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2007.12.29

2007

今年も残り僅かとなりました。

本格的に40歳台へと歩み始めた2007年。

本厄にあたり、基本的にはおとっちゃま(讃岐弁で臆病者の意)なので、

何が起こるのか不安の中でのスタートでした。

節分までが、本厄ですので、まだ一月以上ありますが、

仕事の方は、怖いくらいに順調でした。

予定どおりに計画が進まないことはままあることですが、

今年は、姉歯の事件を受けて、6月20日以降、建築確認申請が複雑になり、

請負工務店が決まっても、着工の期日が読めない状況。

また、中国バブルに加えて、原油の高騰と首都圏の建設ラッシュによる、

建設物価の高騰。

そうした中で、クライアントに納得していただける範囲の

仕事ができたのではないかと思います。

現場、計画を含め、常に十数件の案件をクオリティと信頼をもって進めるためには、

タフな精神力が必要でした。

明け方から、仕事の段取りが勝手に始まり、

ひどい時には2時過ぎに目が覚め、そのまま仕事。

通常、6時前には目が覚め、事務所へ向かい、

午前中で、その日の仕事をスタッフと確認。

仕事の合間を見て、朝、週に3度は体を動かし、

週末は、可能な限り、同級生のソフトボールチームの練習、

そして、娘の野球チームのコーチへ。

気力を保つために、体力を維持する必然は、

過去の体験から痛いほど分かっています。

大好きな野球を存分にできることが何よりのストレス解消。

年末に、3件の竣工と、2件の請負の調整、実施設計と重なり、

慌しく、本年竣工の7つのプロジェクトをまだ紹介で来ていません。

準備が整い次第、来年度、紹介したいと思います。

では、皆様よいお年をお迎えください。

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2007.12.01

brother

ふたつ上の姉と、年子の弟。

歳の近い弟とは、よくけんかをした。

それだけ一緒にいた時間が長いのだろう。

何事にも、のめりこむのは、ぼくら兄弟の共通点だが、弟の場合は度を越している。

ぼくが、そういう部分に影響を受けたのかもしれない。

ぼくが小学校に入る頃、父に買ってもらった「巨人軍101のひみつ」。

弟は、選手の名前はもちろん、出身校まで暗記していた。

相撲も好きで、消しゴムで出来た力士で「トントン相撲」。

各場所の番付と星取表を作成。通常の場所数では物足りなく、

「ひな祭り場所」や「田植え場所」など独自の場所をつくっていた。

鉛筆を転がし、アウトだヒットだとやる野球ゲームでは、

甲子園大会を全試合やるがまた物足りず、

なんと、各都道府県の地区予選からやっていた。

だから、野球部のある高校は、何県の高校だかだいたい判る。

一緒に野球を始めたが、彼には素質が無かった。

小5から始めたサッカーが肌に合ったようで、高校まで続けた。

弟は、中学3年からストーンズを聴き始めた。

それから音楽に没入した。

情報源は、「ミュージック・マガジン」と「ロッキン・オン」とFM。

雑誌を隅々まで読み、エアチェックし、気になったものは録音する。

それはそれは徹底していた。

その影響で、ぼくもビートルズからエリ