2010.04.28

「レストラン・マルシェ」

桜町中学の野球部の先輩のレストラン。

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当時の桜町中学はマンモス校で、丙午年生まれで生徒数の少ない
ぼくの学年でも13クラスで560名を超えていました。

サッカーが近年ほどの盛り上がりを見せる前で、
男子なら野球!そういう時代でした。

入部希望者も多く、しかし、グランドは狭いので、
3年生の総体が終了してからの入部でした。

それまでの期間は、小学校の校庭などで、
ランニングや基礎トレーニングを含めて、入部希望の仲間と自主練習。

入部したメンバーは80名を超えていました。

入部してしばらくは学校の外をひたすら走らされました。
まともにボールを触らせてくれません。

そういう時代でした。


昨年まで、ぼくがヘッド・コーチを務めたチームの監督 Oさんは、
肉屋さんの営業をしています。

いつも、練習や試合への移動は同じ車。
色々な話題が出る中で、配達先のホテルクレメント高松の料理人に
ぼくの野球部のひとつ上の学年の先輩がいるらしいと。

大石朋宏さん。

先輩もたくさんいましたが、柔和な表情とともに記憶が甦りました。

その先輩に、ぼくの学年のことを覚えているのか聞くと、
エースだったS、ノンプロまで行ったY、
そしてぼくの名前を挙げたようだ。

それ以来、ちょくちょく話題に出るも、会うことはなく、
そうこうしていると、独立して店を出したと。

野球部時代の友達を誘って行ったりしましたが、
Oさんと一緒に来て、閉店後、野球談議をしようと。

大石さんは、寒川高校野球部のOB会長をされていて、
高校や大学の審判も経験した人。

桜町中の後輩で寒川高校のエース 高橋涼平くんから始まり、
ルールの話、道具にも精通していて、話しはとめどなく続きました。

話しの合間に、手際良く料理を出していただきましたが、
素材と会話をするかのような、やさしさに満ちた美味でした。

肩肘張らずに、日常の料理として食べてもらいたいようで、
「マルシェ」は仏語で「市場」の意。

香川のブロガーたちの間でもたくさん取り上げられています。

http://metabokawa.ashita-sanuki.jp/e214725.html

http://ameblo.jp/gurichangurichan/entry-10445161356.html



リーズナブルで、そして確かな料理がいただけます。

ただし、野球の突っ込んだ話をするときは覚悟の上どうぞ!

「レストラン・マルシェ」
高松市天神前7-27 吉川ビル1
11:00-14:00
  17:30-22:00

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2010.04.23

近頃のお気に入り

娘の話です。

6年生になった娘は「夢にまで見た」1年生のお世話で張り切っています。

生まれついての世話焼きのせいか、保育園でも、
下の子の面倒をよく見てくれました。


小さい頃、とにかく石が好きで、大きな石を見つけると「いしー!」
と悲鳴(笑)!

牟礼や庵治の石屋さんばかりの場所に行くと大小様々な石があり、
「とーさん、いしー!いしー!!!」
と、興奮して大変でした。


近頃食いついているのが、マンション。

新聞を読むようになり、ぼくが新聞を読んでいる時に、
最初は仕方なく広告を見ていました。

先日、「あった!」と、興奮して声を出すので何かと思えば、
マンションの広告。

プランを見ながら、自分はどの部屋で、父さんと母さんはこの部屋で、
パソコンはここでとか、イメージして楽しんでいるよう。

住んでいる界隈は、マンションが多く、友達の実際のスペースを
思い浮かべながら見ているよう。

マンションに限らず、住宅の広告も必ず見て、批評します。

「このマンションのリビング、16帖もあるのに、ダイニングテーブル
 置いたら、ソファー置くとこないやんか!」
「父さん、この畳の部屋は必ずあるけど、これ、必要なん?」

などなど。

お気に入りは、玄関から靴のまま入れるシュー・クロークや
ウォーク・イン・クローゼット。

実際には、その中で動くスペースが必要なので、壁面の収納と
どちらがよいとは言えないよ、と言うと、
「そっかー」と色々と想像しているよう。


図面を空間として具体的に理解しイメージする能力には個人差がありますが、
まずまず合格点を与えられそうです。

今度、建築の専門誌を見せてみようと思います。

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2010.04.06

「竜馬がゆく」

中学2年の終わりから3年にかけて、貪るように読んだのが、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。

Images_2 

時節としてはちょうど今時分。

断わっておくけれど、決して読書の好きな少年ではありませんでした。

マンガや野球関連の本は何度も何度も飽きることなく読みましたが、
いわゆる小説などは、まともに一冊を読むことができず、
読書感想文などは、まえがきとあとがき、
伝記ものなら最後の解説だけを読むような子供でした。

母が、そんな様子に呆れたのか、痺れを切らしたのか、
野球に明け暮れる毎日で、帰ってもまともに勉強していないのは
成績を見れば明白で、中学2年になった頃、
「どんな種類でもいいから、本を読みなさい」と。

当人は、「本、買ってくれるんや!ラッキー」ってことで、
野球関連の本、タレント本、そういうのを買って、
でもとにかく、本を読むということは習慣化されました。

そして、少しずつ小説などを読むようになり、
そんな時に、この本のことを知り、強い興味を持って、読んでみようと。

400ページを超える分厚い文庫本が8冊!
でも、読み始めると、のめり込みました。
導入の泣き虫で寝小便たれで、寺子屋の先生にも見放された幼少期から
剣の道を通して成長する青年期に至る件で、完全に引き込まれました。

途中、ストーリーを理解する上で必要な、
背景や情勢を長くそして細かく説明する部分も
飽きることなく何とか読み進めました。

江戸という泰平の世の中にあって、また、社会の在り方を疑うという
視点すら持たない「常識」に縛られた世の中で、
その価値を一旦保留し、批判されている考えにすら耳を傾け、
凝り固まらず柔軟に、百年の計で日本という国がどうあるべきなのかを
深く洞察し、そのためには、個人の憎悪の感情も押し殺し、
苦難に満ち満ちていようとも必要な道を切り拓く。

そんな坂本龍馬に対して、もちろん憧れや、畏敬の念は抱きましたが、
同時に、自分は竜馬のようにはなれないなと、率直に感じました。

これは、諦めでもなんでもなく、素直にそう思った上で、
そして、自分ならあの時代に、何ができたのだろうか、
そして、何ができるのだろうかと自分に問い掛けました。

登場人物の中では、見識も高く、統率力も卓抜したものがありながら、
飽くまでも土佐藩を変えることにしがみついた故に尊敬し崇めていた
山内容堂に切腹を命じられることになる武市半平太や、
確かな見識と強い意志と行動力を持って薩長同盟を、
そして、竜馬の働きを支えた中岡慎太郎に強いシンパシーを感じました。

ちょうどその頃は、野球という目標が明確にあっても、
学校での人間関係や自分の立ち振る舞いに自信がなく
悶々としていた時期でしたが、恐らくそうしたことは誰でもが
経験することで、だからこそ、その時期にこの本を読んだことは
よかったのではないかと思います。

「世の中の 人は何とも言わば言え 我が成すことは吾のみぞ知る」
まだまだ周りの人に自分を理解してもらえない、
そして自分も、自分自身の可能性を
不安と期待がないまぜになりながらも模索する、
そんな十代の竜馬の句。

学生時代、手帳にこの言葉を書いていました。

ぼくは、A型の乙女座ですが、高校時代の友人や、
ふだん、仲の良い人にA型以外の人が圧倒的に多いのは、
自分にはないものを持っている人に、
ある種の憧れや尊敬の念があるからかもしれません。

それは、この本を読んだことと、どうやら無関係ではなさそうです。

同じ本を2度読まない人もいるようですが、
大学生時代、自分の進路に行き詰まった時、
社会人になって、独立を考えた時、
読み返す、その時々に大きな示唆を与えてくれる
自分の中の物差しのひとつです。


組織の中での個人の在り方。
そこにある「常識」を一旦保留し、深く洞察すること。
判断するために必要な情報、見識を広く持つこと。
自分の考えにすら縛られないこと。
私欲ではなく大欲を持って行動すること。

今振り返って思うに、様々なことを学んだのだと思います。

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2010.03.19

「TJかがわ」4月号に「house hs」掲載

タウン情報誌「TJかがわ」の建築家紹介システム「建てようネット」
を通じた、ここでも紹介した「house hs」が、
「TJかがわ」4月号に紹介されました。

Tj

建築に関しては、以前にご紹介したとおりですが、
こうした建築家紹介システムの場合、
クライアントの評価を聞くことになります。
システムを利用した満足度を調査するためにアンケートをとり、
雑誌掲載にあたっての取材があります。

本文には、編集者が取材した言葉が掲載されていますが、
アンケートの最後に、以下のように書かれていました。

「今回は、建築家の林様と施工業者の谷口建設興業(株)の両者とも非常に誠意をもってご対応を頂き思い描いた通りの新居が完成しました。
 林様は非常に分かりやすく提案・説明をして頂きこちらの意見もしっかり聞いて頂いた上でお互いが納得しプランを確定させる事を大切にされる方ですので安心してお願い出来ました。
 仕事一辺倒ではなく多趣味な方ですのでアンテナの多さにも非常に興味を持ちました。設計思想にもその事が表れていると思います。
 これも建てようネットの活用による出会いでしたので非常に満足でした。」

もう仕事冥利に尽きる、ありがたいお言葉です。

「仕事一辺倒ではなく」の件は、提供する側からすると微妙ですが、
ご主人も野球好きなことと、ちょうどコーチを務めるチームの試合の
シーズン中だったこともあり、前向きにとらえたいと思います(笑)。


また、ぼく個人をクローズアップする左下の記事には、
娘の所属する「太田ジャガーズ」のこと、
同級生でつくるソフトボールチーム「SOX」のこと、
中学時代の県大会初戦、初回、トップの吉田恒治がいきなり
3塁打を放ち、続くぼくが先制のタイムリーをセンターに打つ場面が
当時、四国新聞に掲載されたその写真など、
主に野球のことというより、クライアントの奥さん曰く
「野球のことばかり」書かれています(笑)。

ご笑覧ください。

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2010.03.17

卒業

今日は、娘の通う、太田小学校の卒業式でした。

娘は5年生なので、まだ卒業ではありませんが、
娘の所属する野球チーム 太田ジャガーズで
2年間ヘッドコーチを務めた6年生の卒業式。

上の学年が2名しかおらず、実質、
彼らが中心となって2年間をともにしました。

ともに苦悩と成長と喜びをわかちあった12名の子供たち。

朝から仕事の段取りをし、何とか子供たちの
卒業式での顔が見たくて駆けつけました。

冒頭の卒業証書授与式は間に合いませんでしたが、
退場までいることができました。


この式のために、しっかりと時間を掛けたことが伝わる、
厳粛で、敬意に満ちた、本当に素晴らしい卒業式でした。

他の学校は分かりませんが、在校生全員で送る言葉を贈り、
卒業生全員で感謝の言葉を述べるというスタイル。

体育館全体に気持ちのこもった言葉が響き渡り、
すすり泣く親御さんの涙を見て、
子供たちとの2年間が脳裏を駆け巡り、
あやうくもらい泣きするところでした。

12名全員が中学でも野球を続けるとのこと。

まず、スタッフとして目標とした「野球を好きになってもらう」ことには
関与できたのかもしれません。

晴れ晴れとした子供たちの顔を見ることができて
本当によかった。

少し肌寒くも、卒業を祝う、輝かしい日和でした。

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2010.02.19

「からし」

黄色い、練りからしのことです。

これほどまでに、何度食べても、
その味を的確に想像することができないものが
世の中に存在するのだろうか。

Karashi

基本的に、「からし」と「わさび」の鼻に強くつーんと来るのは苦手。
だけれども、唐辛子の辛さは、かなり大丈夫です。
でも、表現は同じく「辛い」。
なので、前者を「和辛い」、後者を「洋辛い」と勝手に読んでいます。

おでんは嫌いではありません。
香川のうどんやさんの多くには、おでんが置いてあります。
これは、ダシが一緒だからだと思われます。

そして、問題はそれにつける、「からし」、もしくは「からし味噌」。
この「からし」の、鼻につーんと来る度合いは、
もう店によってどんだけ違うんじゃ!

いつも、恐る恐る少しだけつけて、確認してから使います。

そのせいかどうか、「からし」が好きではありません。


からだを動かしているのは、筋肉の伸縮で、
表面の筋肉にとどまらず、内臓もこの伸縮によって動いています。
この運動に要するエネルギーは、からだ全体の40%に及ぶそうです。

その際に必要なのが、マグネシウム。

これが欠乏すると、筋肉が硬化収縮する。
つまり、筋肉がつった状態。
「こむら返り」とも、「こぶら返り」とも言う、あれである。
「こむら」は、ふくらはぎの古名で、「こぶら」は北陸地方の方言である。
だから、正確には、ふくらはぎがつることのみを「こむら返り」と言うが、
大抵つるのは、足の指が多く、ふくらはぎがつると
それはそれは強烈に痛い。
太ももがつると、もう動けないほど痛い。

しかし、これらの対処法は、足のつま先をこちら側に押し近づけるように、
足の裏側の筋と筋肉を伸ばすという動作で治まる。

忘れもしない予備校生時代、友人の肩がつった。
肩を顔に近づけて、電話機を肩と顔で挟む、あの状態である。
この状態の対処方法は知らない。
その場に柔道部の友人がいて、彼の脇に自分の腕を挟み、
それをテコにして、彼の腕を彼のからだに押し付けることで解消した。

とにかく、そのマグネシウムの含有料が著しく多い食品が
「からし」。

皆さん、あまり経験がないでしょうが、
ぼくは太ももをつったこと数回。

「からし」との因果関係は、定かではありませんが。

マスタードはあれだけ味が正確に想像できるのに、
誰か「からし」の基準をつくってくれないもんでしょうか。

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2010.02.09

「SUN CITY」

問題提起的な作品を次々と送り込むクリント・イーストウッド監督の
新作は「インビクタス/負けざる者たち」。
今年、サッカーワールドカップが初めてアフリカ大陸で開催される
南アフリカの、人種隔離政策(アパルトヘイト)と、
白人と黒人の融合のために奔走する、
タイトル通り不屈の人 ネルソン・マンデラを描くストーリー。

高校生になり、ビートルズから、ストーンズやエリック・クラプトンなど
ソウルやブルースなど、アメリカの黒人音楽に強く影響された人たちを
傾聴したせいか、黒人公民権運動などにも興味を持ち始めたころ。
‘84年、高校3年生の時、ボブ・ゲルドフがエチオピアの飢餓救済のために
アイルランドとイギリスのミュージシャンに呼び掛け、バンド・エイドを結成し、
「ドゥ・ゼィ・ノゥ・イッツ・クリスマス?」をリリースし、
音楽番組でも何度も流れ、話題となった。

それを知ったハリー・ベラフォンテが同じくアフリカの飢餓救済のために
アメリカのミュージシャンに呼び掛けつくられたのが
USAフォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」である。
ちなみにハーリー・ベラフォンテは、「デーオ・イデデエーォ」で有名な
「バナナボート・ソング」を唄った人で、
この曲は幼いころ父がよく唄っていたので思い入れがある(余談)。

それに遅れること数カ月、南アフリカの人種隔離政策、アパルトヘイトに対して、立ち上がったのがブルース・スプリングスティーンのEストリート・バンドのギタリスト スティーヴ・ヴァン・サンド。
彼が呼びかけつくられたのが「サン・シティ」。

http://www.youtube.com/watch?v=X36NC-mIbq0

先発のふたつのプロジェクトが、どちらかというと、
ジョン・レノンの「イマジン」の様に理想郷的な印象を与えたのに対し、
「サン・シティ」は、その現状や、それを変えることのできない
自分や社会に対するもどかしさが怒りとして感情に直接伝わってきた。

「有名アーティスト」に限定することなく、のっけから、マイルスのペットがつんざき、当時市民権を得始めたラップやヒップ・ホップの先駆者たちがまくしたてる。
当時そんな言葉もなかったアフリカン・アメリカンの60年代のスター
テンプテーションズのデビッド・ラフィンとエディ・ケンドリックスや
当時気鋭のバンドU2のボーノなど、集められたというよりも、
趣旨に賛同した多彩な顔ぶれが終結したと言ってよい。

このプロジェクトは、テーマ曲にとどまらず、アルバムとして制作され、
ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが、
音楽の源流であるブルースとは何たるかをボーノ、エッジに手ほどきし、
ブルースにインスパイアされた「Silver and Gold」という
ルーツを意識する新境地を開拓した。

とにかく、18歳のぼくにはとてもとても刺激的だった。

そして、そのころ、初めてネルソン・マンデラという黒人指導者の名前を聞き、
その彼は長く投獄されている事実も知った。

その後、これらの運動が功を奏してか、1990年釈放される。
そんなことが南アフリカという国で起こりうるとは思ってもみなかったし、
マンデラが逮捕されたのが44歳の時。釈放時71歳!

年齢的にも、命が絶えていても不思議ではなく、
釈放の報道に、驚愕したことを鮮明に記憶している。

チベット問題など、古今東西で、人道的な問題は数多起きている。
しかし、どんな場所よりも、残虐で残忍で非人道的な出来事は、
アメリカ大陸に「約束の地」を勝手に夢見て、先住民族を大虐殺し、
自らの奴隷として大量のアフリカ大陸に住んでいた人々を拉致し、
強制労働させ、いかなる彼らの人間性や文化をも受け入れなかったことである。

そのことに対して、謝罪の言葉を聞いたことがない。

南アフリカも同様に欧米の白人の都合に振り回された場所と言ってよい。
ワールドカップ開催も危ぶまれる状況が改善される、
つまり、一人ひとりの人間が尊厳と誇りを持って生きることができるのはいつの日か。

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2010.02.04

浮浪の人々

生まれ育った高松を離れ、東京で、学生生活を始めた時に、
色々な衝撃がありました。

そのひとつが、新宿の構内で実際に目にした「浮浪者」と
呼ばれる人たちの存在でした。
当時からホームレスと言っていたのかどうか、記憶が定かではありませんが、
不特定多数の人間が行き交う場所で、ダンボールで居を構え、
そして独特の異臭を放つ様は、それはそれは衝撃的でした。

ちなみに、「浮浪」とは、「定まった住所や職などを持たず、
方々をうろつくこと。」と手元の辞書にはあるので、
だいたいの浮浪者の方は、特定の場所に居を構えているので、
「浮浪」には当てはまらず、家を持たない「ホームレス」が
呼び方としては正しいのでしょうね。

ここ数年、高松にも浮浪の方が見受けられるようになりました。
そして、近所のため池のほとりの屋根つきの机とベンチのところに、
何やらやはりダンボールやらで寝床を構える方が出現しました。

東京なら、まちで誰かと偶然会うなんてことはなく、
ある意味すぐに匿名の誰かという存在になりうるわけですが、
高松だと、こちらが知らなくても、素性が知られていたり、
昔から「三人おれば一人は親戚」という父の言葉が、
まんざら極端なこともないなと思える今日この頃。

そんな田舎でそういう生活をしているというのは、中々理解に苦しみます。
近所の方々も、もしかしたら事情が分かっていて、
黙認しているのかなとも思えます。

ある時、その方が、犬を連れていました。
一緒にいた娘が「あの人、犬を飼いよるんで」と。
なんと、その浮浪のお方は、犬を飼っておられました。

その方が寝床にしている場所は、子供たちが野球をしたりして遊べる

大きな公園の傍なのですが、だから子供たちはよく見かけるようです。

その公園では、冬場、学校の使えない水曜日に野球の子供たちの
自主練習をしています。
その練習に少し遅れて行った際、白いハコバンに、その浮浪のお方が
件の犬を乗せているではないですか。

まさかと思い、娘に、「あの人、車も持っとんかな」と尋ねると、
「いっつも、公園の池の傍に止めとる。そんなん、みんな知っとる」と。

ぼくは、犬を飼い、車を所有するこの方の存在は、
どこかユーモラスであたたかみがあって笑えます。

追 記
みなさんのまわりはいかがでしょうか?
と、SNSで投げかけたところ、やはり都会でのホームレスの方々との
遭遇は、衝撃的であったことに加え、高松のそういう方々の情報をいただきました。

基本的には、あまり郊外にはいなくて、中心市街地や
その外周部分の住宅街におられるようです。
駅の地下駐車場や、遊具のない比較的古い公園。
そして、若い人もいれば、夫婦もいるようで、その夫婦も車を所持。

河川敷の橋桁の下にソファを持ち込んで生活されている方もおられるようで、

しかし、度重なる河川の氾濫によって、出て行ってしまったようです。

いずれにしても、ある意味優雅なのが高松スタイルなんでしょうか。

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2010.01.19

脳の内

いえ、難しい話ではなく数年前に流行った「脳内メーカー」のことです。

動物占いくらい一般化していると思っていたのですが、
意外と知らない人も多くて。

苗字と名前の間にスペースを入れた場合と入れない場合で結果が変わるし、
お遊びで、信憑性はないとのことですが、ぼくの場合、
かなりあたっていると思います。

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ほとんどが「秘」。そして「友」「休」「忘」「妄」。

最後の文字は「妾(めかけ)」ではなく妄想の「妄」です。
もともと、人に心を開くのが苦手なようで、生まれて初めての集団生活だった幼稚園の年少さんは馴染めなかったようで、中退です。

年を重ねるうちに、少しずつ開き直りも含めてオープンになり、
良い仕事をする上で、社交性も大切なことだと思い、

必要に応じて、徐々に身につけたともいえます。

他の4文字は、それ以外に思いつかないほど的確だなと感心します。

占い事は、正月のおみくじ以外ほとんどやりませんが、
四柱推命並みに的確です。

ちなみに、娘のもやってみました。

Photo_2

生まれたときからとにかく食べることに対して異常なほど貪欲で、
でも、ちょっと抜けてるところがズバリ!
笑えます!

http://maker.usoko.net/nounai/

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2010.01.04

謹賀新年 2010

新年明けましておめでとうございます。

年末年始は、流動的な現場とお客様への対応で、
直前にならないと休みの都合がつけられないのですが、
今年は、本当に区切りがよく、6日からの始業としました。

昨年も書きましたが、年々、

一年の始まりをことさらに大切にしたいという
気持ちが大きくなっています。

年始を迎えるにあたって、事務所は完璧に掃除しました。
家も可能な限り片付けましたが、まだまだ手つかず。
大晦日は、嫁の実家で過ごし、
娘は、年始のカウントダウンをし、初めての越年を試みるも、
オイルヒーターをぼくがいじったせいか、突然の停電!
正確にはブレーカーが落ちて真っ暗になり、
すぐに復旧するも、その間に年が変わっていました。

年始は、八つの神社を回る八社参り。
色々な人に「八社参り」の話をしても馴染みがないようですが、
商売をやっていたうちの家と親戚では、毎年恒例のこと。
加えて、毎月一日には「八栗さん」に参拝に行っていました。
ネットで「八社参り」を検索すると少なからずヒットするので、
各地各様の在り方があるようです。

午後からは本家へあいさつに行き、宴会。
二日は、娘が映画が見たいというのですったもんだの末、
「カールじいさんの空飛ぶ家」を観て、
福袋を買い、サーティーワンのアイスを食べてご満悦の娘。

その後、親戚回り。

久しぶりに、お正月らしい時間を過ごしました。

生気を養い、今年も、体調管理に気をつけ、
有意義な時間にしたいと思います。

本年もよろしくお願いします。

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