2018.01.04

謹賀新年2018

新年あけましておめでとうございます!
今年は、ぼくにとって忘れられない年になりそうです。
 
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新年は、娘の大学受験のため、
滝宮天満宮での合格祈祷から始まりました。
春にいなくなるのはとてもとても寂しいのですが、
まずは、4年間がんばれる大学に行くことを祈ります。
そして、親元を離れてすぐ、4月に二十歳になります。

この春、法政大学の恩師陣内秀信が退官されます。
大学4年時と大学院での3年間、先生との会話はもちろん、
多くの先輩後輩と言葉を交わした陣内研究室での熱い時間は、
何物にも換え難い貴重な時間でした。
シリア・ダマスクスの住宅調査に参加し、
バブルに狂った東京にあって、洋の東西、古今を問わず、
都市・建築の本質的な魅力について勉強できたことは
とても大きな財産です。
また、2002年、高松青年会議所で講師とお呼びしたことが、
瀬戸内国際芸術祭開催の礎となりました。

法政大学の香川県の同窓会「法政大学香川県校友会」。
今年は陣内先生に講師として招くこととなり、
再び香川に来ていただくことになりそうです。

大学院を終える年に、「建築家」として生きることを決意しました。
そして、郷里香川で自らの建築を探求することを決め、
山本忠司の下で学び始めたのがちょうど25年前。

今年は、その我が師山本忠司が亡くなって20年。
地域に根差した建築家として再評価される今、
山本先生の建築に対する情熱を伝えたいと思います。
 
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小豆島で、ホテルの計画をお手伝いしています。
江戸末期より船舶のドッグを運営している香川船渠さん。
船舶の点検に来た船員さんのための宿泊所を建替えるにあたり、
ホテルとレストランを計画しています。

「建築そのものは、林さんにお願いすればよいものが出来ますが、
 周辺環境も大切だと考え、猪熊弦一郎美術館の隣を購入しました。」
という、とても熱いクライアントの住宅を計画しています。

徳島県の阿南市で、「ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー)」を
採用した住宅を計画しています。
様々な助成制度がありますが、実質的なメリットとデメリットを
具体的な金額を示しながら検討いただき、採用となりました。
絶対的な解はありません。
些細なことでも、クライアントにとっての
「最適解を選択するお手伝い」をするのが、
ぼくの大切な役割だと思っています。

瀬戸内国際芸術祭を建築家としてお手伝いするようになり、
来年で10年になります。
大島青松園は、ハンセン病の施設であり、
かつての生活の様子を伝えるための
展示のお手伝いをしています。

もはや説明不要となった直島で、
島に来られる方のための施設を
クライアントと共に模索しています。

直島の次に、福武總一郎氏が力を入れて整備しているのが豊島。
多くの方々が島に訪れ、また移住者も多くなりましたが、
コミュニティに寄与するハードの整備はまだまだ整っていません。
どのようなあり方が必要なのか、クライアントと共に模索しています。

一つひとつの出会いに、真摯にそして懸命に、
クライアントに寄り添い取組む所存です。


本年もよろしくお願いします!

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2017.11.28

清宮幸太郎 背番号「21」

今年のドラフトを賑わせた高校通算111本塁打を放った
早稲田実業高の清宮幸太郎は、日本ハムに入団することとなった。
ちなみに、1973年に日本ハムファイターズとなった際、
香川出身の大社義規オーナーは、
同郷の三原脩を球団代表、監督を中西太とした。

注目を集めた清宮の背番号は「21」。
日本球界では、投手の番号である。

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先日、娘を模試会場に送る際。

父「清宮の背番号21って、ピッチャーやな!」
娘「なんかメジャーの永久欠番になってる
  黒人選手の背番号なんやって!」
父「そうなん!?!
  21番て誰やろ?
  ハンク・アーロンは44やし、ジャッキー・ロビンソンは42やろ?
  サッチェル・ペイジか?」
娘「あぁ!そんな名前だったかも!!!」

ロベルト・クレメンテでした。

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プエルトリコ出身のヒスパニック系の黒人選手で、
メジャー通算打率 .317!!!
首位打者を4度獲得した名選手というだけでなく、
貧しい生い立ちながら、いやだからこそ生涯を通じて慈善活動を行った選手。

出身のプエルトリコや周辺のラテンアメリカ諸国へ、野球道具や食料を配布。
チームがファンと彼の活躍を祝う「ロベルト・クレメンテ・ナイト」を
開催した際、自分への記念品の贈呈を拒み、小児科医に治療費として寄付。
38才で3000本安打を達成したオフに起こった、
ニカラグアでの地震の後、被災地への救援物資を運ぶ飛行機に同上したが
墜落し、現役選手のまま死亡。

以後、メジャーリーグでは、人格者であり慈善活動を精力的に
行っている選手に「ロベルト・クレメンテ賞」として表彰している。

日本ハム球団は、清宮幸太郎に、成績だけでなく、
ロベルト・クレメンテのような選手になってくれることを、
またその存在を知ってもらうことを意図してのこと。

身体が前に突っ込まず、逆方向にも長打を打てる打力は、
文句なく素晴らしい!
プロのスピードとキレに順応するために時間は必要でしょうが、
あんなにバットが軽く見える選手は見たことがありません。


活躍を期待します!

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2017.09.22

豊島再訪/「豊島美術館」

現在、浪人をしている娘は、建築系の大学にすすむようで、
AO入試に向け、自己推薦文を書くにあたり、「豊島美術館」に行きました。
 
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2010年、瀬戸内国際芸術祭を巡った時、豊島を巡りましたが、
「豊島美術館」はまだ工事中でオープン前でした。
その時、小学6年生。
中学に入ると、部活や勉強の都合で訪れることが出来ず。
その間、反抗期に入り、あいさつも会話もつっけんどん。
ぼくもそうでしたが、大人になる過渡期で、
本人はとても葛藤していたのだと思います。
今年に入り、受験校の決定など会話する機会が多くなり、受験を終えた頃から、
以前のように屈託のない笑顔で話をしてくれるようになりました。
ともに、受験を闘ったという意識からでしょうか、
ともかくひとつの苦難を乗り越えたようです。
 
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2年前、高校2年生の時、東京へオープンキャンパスに行きました。
「商業施設の設計がしたい」という娘を、表参道に。
ここには、世界の名だたる建築家のファッションビルが建ち並んでいます。
安藤忠雄「コレッツィオーネ」、ヘルツォーク&ド・ムオロン「プラダ」、
青木淳「ルイ・ヴィトン」、妹島和世+西沢立衛「ディオール」etc.
学生時代から、何度も訪れた場所です。
その際も、最小限の説明しかしませんでした。
もちろん、普段なら、建築家が何を考え、何をどう表現しているのか
細部にいたるまで解説します。(笑)
それでも、その時は「ふ~ん、よく知ってるね」という塩梅。(笑)

その頃から考えると、娘と建築やアートについて、
また、それに関わった人たちの話をするのは、夢のような至福の時間です。(笑)
今回は、ふたり旅。
 
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台風の過ぎ去った後、快晴の瀬戸内海を渡り豊島へ。
家浦港から自転車で「豊島美術館」へ。

2007年香川県建築士会の講演会の講師として、
建築家西沢立衛氏をお招きした際、
この「豊島美術館」の素となる計画案のお話を伺いました。
当時は、直島に建設予定でしたが、瀬戸内国際芸術祭の開催が決定の後、
現在の場所での計画となりました。

島の起伏の頂点を越え、消える道の向こうに海が見えます。
その道を下ると、眼前にはパノラマに広がる瀬戸内海、
左手には豊かな表情の棚田。
そして、右手のこんもりとした森に包まれるように「豊島美術館」が見えます。
 
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敷地に入り、斜面に埋めこまれた受付でチケットを購入し、美術館へ。
美術館へは、小径に導かれます。
木々の木漏れ日を抜け、海に開き進みます。
美術館に近づいたところで、靴を脱ぎます。
 
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美術館の空間は、3次元に膨らんだ260mmの厚さのコンクリートの
床板で出来ています。
小さな入口と、2か所の大小の円形に切り取られた開口にガラスはなく、
空の明るさが美術館内部の照度となり、刻々と動く太陽により、
照度分布が変化します。

ちなみに、内部は撮影禁止ですので、掲載の写真はネット上のものです。
 
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よくみると、床には水滴が散在しています。
「母型」と名付けられた、内藤礼さんによる作品です。
床から生まれた小さな水滴は、しっかりと膨らみ、
耐え切れなくなると勾配によって動き出します。
するすると動く水。
ゆっくりとゆっくりと、キラキラと動く水。
寄り添う水。
離れる水。
 
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床と水にやわらかく反射した光に満ちた空間。
初めて訪れた時は、空間を意識するあまり気を付けていたつもりでしたが、
靴下がびちょびちょに濡れました。(笑)

台風が過ぎた後のやや強い風が、
いつもよりわずかに強い木々の音を生んでいました。

西沢さんのコンセプトは、当初より水滴でした。
当初のアーティストは、具象の彫刻家でしたが、
空間のイメージが明確になる中で、内藤さんに。

まったく外の空間。
洞穴の奥の空間。
場所により開放感・閉塞性が異なります。
2か所の円形の開口部のリボンは、風に乗ってゆっくりと舞う。

建築空間と作品が不可分な関係となり、どちらも生命の権現である水からなる。
 
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直径2mmの186か所から生まれる水。
拝観者は、静かにゆっくりと水の動きを見つめる。
移ろいゆく時間に、自らの存在を重ねる。
自己の内奥に深く問いかけるような、豊かな空間でした。
 
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工事施工は、親友の池口泰彦さんがベネッセ営業担当の鹿島建設。
監督は、豊田郁美さん。
この3次曲面のコンクリートを如何にきれいに仕上げるのか苦慮した豊田さんは、
毎朝、ゆで卵を食べ、どうすればきれいに殻が外せるのか研究したようです。
結果、土を盛って締固め、表面にモルタルを塗って型枠としました。
床には、撥水剤が塗布されています。
水のはじき加減で、水滴の形状、動きが変わります。
内藤さんと何度も試行錯誤を繰り返したようです。


同級生の建築家安部良さんの「島キッチン」でスィーツを食べ、
クリスチャン・ボルタンスキーの「ささやきの森」へ。
木々を深く分け入ると、落ち葉を踏む足音の向こうに、涼やかな音。
願い事の書かれた札が生む、風鈴の森。
 
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「豊島横尾美術館」では、2010年の民家での作品の赤い石の庭が蘇る。
横尾忠則のエネルギー溢れる世界観に圧倒される。
 
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最後は、当時、竣工へ向けて追込み工事中だったトビアス・レーベルガー。
ここでも、スィーツを。(笑)

真っ黒に日焼けし、無邪気だった小学6年生の娘と廻った豊島。
自我の葛藤を乗り越え、
また屈託のない笑顔を見せてくれるようになった19歳の娘。
当時の印象を振り返りながら、年齢を重ねた今だから出来る、
作品について、建築について、作家についての会話は、
台風の風が厚い雲を拭い去った空、
多くの雨水をなみなみと湛えた瀬戸内海の豊かな表情と共に、
忘れられない時間となりました。
 
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まだまだ、受験は続きますが、今日のこの時間が
がんばるエネルギーとなればと願います。

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2016.11.20

平成28年度高松一高同窓会桜紫会「会員の集い」 中西 太 「何苦楚」野球人生

高松一高の同窓会組織「桜紫会」の、ぼくは学年の代議員。
年に一度の代議員会には出席したこともない不良代議員でした。(笑)
2年前に、娘が高松一高に入学し、PTAの役員になったので、代議員会に出席。
その場で初めて、50歳になる年の学年が会員の集いの幹事をすることを知りました!
2年後やん!!!(汗)

ということで、その年の11月の「会員の集い」に初めて出席。
翌年の幹事学年の打合せには毎回出席させていただいて、
1年間の流れを把握しました。
 
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そして、まずは同級生に「会員の集い」なるものがあることと、
ぼくたちの学年が幹事ですよと、Facebookなどを通じて周知。
そして、昨年の「会員の集い」への出席をお願いしました。

例年、「会員の集い」は、主に役員と代議員、幹事学年が40名程度、
計120名ほどのこじんまりとした集まりでした。
ぼくは、習性なのか、高松青年会議所時代の経験からか、
どうせやるんなら、みんなが「行きたい!」と思うような会にしたいと思いました!
 
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10年ほど前に、高松一高の学年の同窓会をしました。
仲の良いメンバーが中心となり、530名に案内し、190名もの同級生が集まりました。
その経験もあり、立上の会には、年末にもかかわらず30名が集まってくれました。

まず、会の成否を決めるのはメインの事業。
誰を呼ぶのか?
高松一高は音楽科があり、日本中で多くの卒業生が活躍しています。
いろいろと候補を挙げる中で、大先輩「怪童」中西太さんの名前が出ました。
ご高齢ですが、お元気であることは、関東桜紫会の福家寛会長より伺っていました。
大先輩方が大勢来られるのはよいとのことになりました。

早速、お手紙を差し上げ、ご自宅にお電話し、講演の依頼をしました。
とにかく、日程と主旨をお伝えし、
「ぼくでえんかな?それまでにボケんようにせんといかんな!」と快諾!
 
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それから、役割ごとに責任者をお願いし、月に1度程度全体ミーティング。
司会は、同級生の西日本放送アナウンサー日野真くんにお願いしたいこと、
高松一高伝統の「威風堂々」をバックに校旗入場で開会したいこと、
音楽部の方々に、演奏をお願いしたいことなど、随時伝えていきました。

役員会・代議員会での承諾を受け、中西先輩と具体的に打合せ。

まずは、手紙で内容を伝え、その上で電話する。
大先輩と電話で話すのは、とても緊張します。
緊張すると少し早口になります。
後に知りましたが、中西先輩は、高松一高時代に先輩に殴られ、耳が聞こえにくいようです。
それでも、何度か電話にて話しをしましたが、一抹の不安がありました。
 
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7月に、東京に行く機会がありました。
それに合わせて、思い切って初台の自宅にご挨拶に伺いました。
中西太さんの奥さん、三原脩監督の娘さんがお出迎えしていただき、
中西先輩のいる居間に通していただきご挨拶をしました。
まずは、交通手段について、当然飛行機だろうと伺うと、
「ぼくはね、高松に帰るときは瀬戸内海を見たいんだ」と新幹線を希望。
故郷高松を想う気持ちに感銘を受けました。
お会いするに際し、可能な限りの中西先輩についての勉強をしました。
母子家庭で苦労された生い立ちから、選手としての経歴、またイチローをはじめとする、
数々の名打者を育てた指導者としての経歴、仰木彬監督の名参謀として。
お話ししていただきたい内容をリストアップし、お渡ししました。
「よう勉強してくれたんやな!しかし、これ全部話したら3時間でも足らんな!(笑)」
それから1時間ほど、昨今のプロ野球の話、母校高松一高の野球部の現状など。
そして、満を持して、持参した色紙にサインをお願いしました。
中西先輩の座右の銘は、義父であり本籍上の父である三原脩氏の「何苦楚」。
「何ごとも苦しんだことが楚となる」
「高松で再会することを楽しみにしてますよ」と握手でご自宅を後にしました。
 
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代議員会での承認を受けて、周知活動を本格化させました。
認知度が低いので、とにかく周知から。
動員係を設け、クラス・部活・職場などでの担当者を決め、周知と取りまとめの依頼と連携。
動員係をお願いした森江陽子さん・利國誠子さん・北谷和代さんから、
「林くん、目標は何人?」と聞かれたので「200人!」と答えました。
例年の1.5倍の180人でひとまず成功。少し上乗せして200人!

同級生の応援は必要不可欠です!
当日だけでも構わないので、とにかく周知。
当日の打上げを兼ねた2次会も設営し、両方の出欠確認も同時進行。
 
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中西先輩の講演の前に、経歴をコンパクトに紹介する動画をつくりたいと思いました。
検索可能な動画をピックアップし、気心の知れた森剛くんにお願いしました。
彼は、高校時代からやたらとぼくに対抗心があるので(笑)、ダメもとで。
すると、彼は動画を編集したことは無いし、無理だと即答。
「お前が無理ならあきらめるから、ちょっとやってみてくれ」と。
数週間後、「とりあえず、こんな感じでどう?」と、BGMまでつけた動画が送られてきました!
負けず嫌いの彼ならではの、入魂の動画でした。作戦成功!(笑)
ちなみに、彼は「house tm」のクライアントです。

近づくにつれ、具体的な内容を詰めて行きました。
出席者名簿兼座席表の作製、式次第の作製、受付名簿の作成など。
受付の総監督は、「夜間飛行」の長島香さんにお願いし、
仲の良い女性6名程度の3つのグループで受付業務を。
その他のメンバーには、可能な限り、座席まで案内を依頼。
信頼のおける女性2人を現金担当に。
現金のセキュリティの為に、2名の男子にガードを依頼。
出席者は、目標の200人を超え、最終的に280名の参加者となりましたが、
特に混乱することなく、スムースに受付が完了しました。

こういった式典の記録写真を当事者が撮るのは極めて困難。
同級生のワタナベ写真館の渡辺幸人くんに、仕事として集合写真とスナップ撮影を依頼。
 
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野球関係者には、野球部の谷澤知宏くんにお願いしました。
中学時代、高松市新人戦の決勝戦でしのぎを削った仲ですが、
卒業後、飲みに行ったりする仲ではありませんでしたが、
学生時代、当時の投手に特有の自我を前面に出す性格でしたし、
立正大学野球部で活躍し、香川では東四国国体で軟式野球の優勝チームの4番打者として、
また、軟式野球の強豪西岡クラブの監督を30才から務めたことは知っていました。
そんな彼が、少年野球の監督を長く勤め「気配り・目配り・心配りが出来るように」と
取り組んでおり、グランドで、彼の選手に接する姿に感銘を受けました。
そんな彼が、野球関係者の調整を取り仕切ってくれたのには大変助かりました。
当日は、中西先輩の控室で、たくさんあいさつに来られる野球関係者のアテンドを
盟友の成木孝次くんと、現場判断が出来る吉田実穂さん・犬井奈津美さんにお願いしました。
 
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落ち着く間もなく、会が始まりました。
音楽部の「威風堂々」をバックに校旗入場、そして校歌斉唱。
来賓のあいさつを終え、いよいよ中西太先輩の講演に。
森剛くん渾身の動画を流すが、音声が流れない!
映像の再生担当の川元範夫くんは、前日と当日、動作確認済みなのに流れない。
司会の日野真くんが、冷静に場をつないでくれる。
「もう少し待ってダメなら、映像無しで行こう。」「了解!」と交わした直後、音声が!
これまでの準備が無に帰すことは無いような気がしていたので慌てませんでした。

そして、中西太先輩のお話し。
本当に、朴訥な人柄で、お出迎えの際には、旧知の仲のように接していただきました。
ユーモアを交えながら、高松一高時代のこと、プロになってからのこと。
大谷翔平が入団した際、どう育てるべきか思案していた栗山英樹監督は、
指導者として三原脩氏を尊敬しているようで、中西先輩に助言を求めたそうです。
その際に、所謂「二刀流」にチャレンジすることを薦めたとのことでした。
中西太先輩をお招きする中で、三原脩氏の功績を改めて見直すことが出来たのは、
ぼくにとっても大きな財産でした。
 
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講演中に、受付会計の確認をし、講演後は、料理の進み具合、時間を見ながら進行の確認。
音楽部をとりまとめてくれた、七條功くん・大橋二三さんたちの演奏が華を添えてくれました!
最後は、高松一高伝統の応援歌「一高のファイト」を、学生服で大麻正晴くんと梅園博喜くん。
集合写真の後、見送りをして終了。
同級生70名の力がひとつになり、無事終えることが出来ました。
 
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2次会までの間は、男ばかりで飲み直し。
2次会にも50名の同級生が参加してくれました。

50歳になった同級生がとても協力的に連携しひとつの任務を果たしました。
ぼくは、高松青年会議所時代から多くの会合を設営してきました。
しかし、今回の任務が終わった後の感情は、これまでにないものです。
たくさんの方々に喜んでもらえたという喜びはあります。
しかし、ぼくの特別な感情はその種の喜びではありません。
会の盛会に向けて尽力してくれたみんなの気持ちがとても嬉しい。
ある特定の組織でも団体でもない、高校の同級生だったメンバーが、
心を一つにして成し遂げた達成感なのでしょうか。
「どうせやるんなら!」と思い、取り組んだ設営でしたが、
高松一高の同級生のみんな、本当にありがとう!

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50歳になって、新しくこんなにも深いところで通じ合える、
親しい関係が築けるとは思ってもいませんでした。
代表幹事として、特別な思わぬご褒美を頂きました。

 

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2015.01.05

謹賀新年2015

新年あけましておめでとうございます!

本日より、始動いたします!

今年は、人生の大きなターニング・ポイントとなりそうな予感です!

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これまで蓄え培って来た自分の持ちうる能力を
全身全霊力の限り発揮する覚悟です!

本年もよろしくお願いします!

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2014.08.04

甲子園出場!

甲子園大会に出場してきました!!!

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といっても、高校野球ではなく、ロータリー・クラブの野球大会で、
所属する「高松南ロータリー・クラブ」の選手として出場しました!

言うまでもなく、甲子園は野球をする人間にとっては、憧れの聖地。

しかし、ぼくは、ものごころついた時から「プロ野球で活躍すること」が、将来の夢であり目標でしたので、小学4年生の時に、高松商業の応援で初めて甲子園を体験するも、生意気にも「プロに行く前に、何度か甲子園くらい来るだろう」と思っていて、興奮するどころか何の感慨もなく、試合展開や采配、試合の流れを読んでいました。

ところが、2009年に娘と甲子園に桜町中学の後輩、高橋涼平くんの
寒川高校と日本文理の試合を観に来た際に、その美しさと臨場感に
圧倒され、感動しました。

そして、その日本文理と広島の堂林翔太の中京大中京の決勝戦も観戦。

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今回、春には甲子園出場が決まり、マウンドに上がるべく、
日々、コンディションを調整してきました。

試合前日の金曜日の夜に、参加12チームが集まる前夜祭があり、
ぼくは、前夜祭から出席。

それが、その前日の木曜日の朝、右足カカトに激しい痛み!
その日の朝は走ることもできず、歩くのがやっと。

一日様子を見るも、痛みは治まらず、かかりつけの整形外科へ。
レントゲンを観た先生は「痛風ですね」と。

え~っ!!!
これまで、尿酸値が高かったことはないし、食事は高タンパク
低カロリーと野菜の摂取に気をつけてるし、何で~~~!?!?!

と言ったところで、痛みが収まるわけでもなく、
翌日に試合があることを伝え、痛み止めの注射とロキソニン。

しかし、痛い!あまりにも、痛い!!!

同行の秋山俊二さんは、マスターズ陸上でアジア記録を持つアスリート
ですが、ぼくと同じく大のビール好き!(笑)

その秋山さんに症状を伝え、前夜祭の乾杯からビールを飲まないことを
伝えると、「痛風じゃないから、ビールを飲もう!!!」と。(笑)

前夜祭を終え、秋山さんと、73歳の大橋投手に小野さんの四人で、
三宮での二次会へも足を引きずりながらの移動。

試合当日も、痛みは消えず、夕方からの試合なので、
お昼にロキソニンを2錠。

甲子園への入口は選手と同じ6号門!

入るとすぐに、選手がバッグを担いでスロープを登り、
監督などをインタビューするスペース。

着替えは、一塁側ロッカールームを使用。
ユニフォームに着替えて、室内練習場でアップ。

恐る恐る走ってみると、全く痛くない!!!

ロキソニンが効いたのか、アドレナリンのせいか!?!
とにかく、まったく痛くない!!!(笑)

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グラウンドに出ると、その美しさに心を打たれます。

甲子園球場は、この場所で野球をすることを夢見た
数多の高校球児の思いが詰まっているからなのか、
ここで繰り広げられた百万のドラマの舞台だからなのか、
グラウンドと客席が一体となった、素晴らしい球場です。

高揚感あふれる臨場感は、そのかたちだけでなく、音が生み出します。
打球の音や歓声は、特別なライブ感に溢れる臨場感。

グラウンドに降り立つと、客席とは全く違う光景。
手入れの行き届いたグラウンドはとても美しく、
それを優しく包み込むスタンド。
まさに、夢舞台!

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先発は、我がチーム最年長の大橋康範投手!
ぼくの母と同じ年の73歳!!!

今期は、4試合に登板し、3試合で2イニングスを無失点と好調!
すると、なんと2イニングスを無失点と完璧な投球!
大橋投手、甲子園でもみせてくれました!

相手は、和歌山県の海南東ロータリー・クラブ。
左腕投手は、よいピッチャーでした。
球は低めに制球され、甘い球がありません。

2回を終わり、0-0の状況で、マウンドへ。
ブルペンでは、久しぶりに肩の痛みを気にせずに投げました。
もちろん、この時には「痛風」の痛みはすっかりありません。(笑)

マウンドの土を均し、キャッチャーへ視線を向けると、
視界に入る全ての客席は、マウンドへと向かっています。

球場の中でも、その中心。
まさに「舞台」です。

マウンドからの光景は格別で、勇気と力を与えてくれます。

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相手左腕に、外へ逃げながら沈むツーシームをうまく拾われ、
1点を奪われましたが、3回を投げ切りました。

甲子園で試合をしているという感慨は全くなく、
この舞台でよいプレーをすることだけに集中していました。

甲子園には魔物が潜んでいて、通常では考えられないような
プレーが起こることがありますが、その雰囲気を少し体験できました。

試合は、均衡した試合となり、3-1と2点ビハインドで迎えた最終回、
秋山さんの執念の一打で1点差に迫るも試合終了。

しかし、緊張感のある良い試合で、甲子園球場に失礼のない
試合だったのではないかと思います。

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今度は、この場所で、満席のお客さんが入った状態で試合をしたいと思いますが、この望みをどう叶えれば良いのかまだわかりません。(笑)

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2014.05.20

「いってら!」

高校生になった娘は、目一杯、高校生活を堪能しています。

小学生の時には、朝から目をキラキラさせて「おはよう!」。

それが、中学に入った途端、消え入るような声で「ぁょ」。

自立への道程とはわかってはいるものの、寂しいものです。

家庭内での言葉遣いも乱暴に。

でも、外ではすごくいい子で頑張っている。

これは、正しい成長の過程で、誰にでも大なり小なりあること。

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高校生になると、中学時代から少し吹っ切れたようで、
学校のことなど、屈託なく話すようになってきました。

週の半分は部活の後に塾に行ってますから、
帰宅時にぼくが起きていれば少し話をします。

朝は、朝食を摂りながら、その日の予定など。

朝、ぼくが最初に出掛けます。

「行ってきます!」と言うと、返事は。

「いってら!」

コレ。

ぼくも同じ頃、父にそう言ってました。

「いってらっしゃい」と言うのも気恥ずかしく。

なので、やや省略。

しかし、この言葉を他で聞いたことはないし、
もちろん、教えたこともありません。

偶然、娘はこの言葉を発したのか?

これも遺伝子のなせるワザなのでしょうか?!?

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2014.05.09

高校入学

娘が高校生になりました。

中学の卒業式から合格発表までの5日間は、
不安な気持ちを紛らせるように、
受験勉強から解放され、一心不乱に遊び倒しました。

そして、無事志望校に合格しました。

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合格してすぐに、説明会と必要なものの販売。

教科書と参考書でなんと46冊!!!

そして、あっという間に入学式。

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ぼくも通った高校。
ちなみに奥さんは高校の同級生。
姉も弟も同じ高校です。(笑)

卒業生には、中西太さんを始め、大藪春彦、尾木ママこと尾木直樹さん。
ぼくのふたつ上の姉の同級生にはナンチャンこと南原清隆さん。
一年生の時の学園祭で、ナンチャンが落語をしていました。(笑)

唯一の高松市立の高校だからか、自由な雰囲気。
姉がとても楽しそうで、それを見ていてぼくも決めました。



当時から、それなりに進学校でしたが、学校に受験の雰囲気は希薄で、
名門進学校復活ということで、ぼくの翌年から、
「特別理科コース」その翌年に「国際英語コース」と設置され、
徐々に成果を上げ、現在では半数以上が国公立大学に進学し、
難関大学にも多くの生徒を送り出す学校になっています。

入学式のあとも、父兄への説明会の内容は、
受験に対するものばかり。

「起きる時間・勉強を始める時間・寝る時間」を固定しましょう。
現役で国公立大学に入るには、1年生時の勉強時間が大切です。
1日あたり「学年プラス2時間」勉強しましょう。
1年生は1週間に20時間。
部活など慣れないことも始まりますので、ウィークデーは2時間。
土日は5時間ずつでよいです、と。

ぼくの時には、そんなこと言われたことないので、驚きました。


唯一の市立高校ということで、先生が変わらないことも特徴で、
年齢の離れた人とも先生の話が通じるのがこの学校の特徴。

とはいえ、卒業からおよそ30年。(笑)
さすがに数名の先生だけが残っています。

入学式の時に、数名の先生と再会しました。

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ぼくが2年生の時に新任で来られた中條先生は、教頭先生に。

体育の授業がユニークで面白かった東山先生は、
生活指導のおっかない先生として活躍されていると、
娘からのLINE情報。

お会いするのを楽しみにしていたら、ばったり廊下で。
「おう!どしたんや。孫か?」と、相変わらずのジョーク。(笑)


野球・ソフトボールをしてきた娘は、ソフト部がないので、
ダンス部か陸上部で随分思案していました。

3歳の時からバレエをしていて、家内とフラメンコもやっていて、
踊るのが大好きな娘は、LINEなどの情報からも、
気持ちは大きくダンス部に傾いていました。

小学生の時に、陸上記録会の100m×4の選手になり、
5・6年生ともに高松市では1位。
県大会では2位になり、陸上はそもそも関心がありました。

合格発表の際に、その時のメンバー愛ちゃんと再会し、
早速、「みお、お前何部に入るんや?言うてみい!」と迫られる。(笑)

陸上部の顧問の岡宏彰先生は、ぼくが3年生の時に教育実習で来られ、
ぼくのクラスが実習の対象となり、専門のハードルを教えてくれた人。

小学校の時の記録会でもお会いしていたので、
「何部に入るん?是非、陸上部へ!」と勧誘されていました。(笑)

入学後、ずっと強い女子剣道部の先生から、
「あなたが未経験者なのは知っていますが、

 体幹が強いのですぐに強くなりますから是非!」と、
直々にラブレターをいただき、練習も見学に。

ずっと陸上を専門でやっていた愛ちゃんたちと、
一緒にやりたい気持ちもあれば、経験の差を不安に思う部分もあり。

悩んだ挙句、陸上部へ入りました。

競技種目の適性は、先生が判断してくれるでしょう。

とにかく、受験でなまったカラダにキレを取り戻すことが先決。

本人は、7種競技をやると決めたようです。

入学式の後は、念願のフグを!
「薄造りをガサっと!」とを体験し、満足そうでしたが、
食事の後は早速、塾へ。

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入部早々記録会など試合が目白押し。

部活も学校生活も楽しそうで、高校生活を謳歌しています!

勉強もしなければと思っているようで、
時間を見つけて机に向かっています。

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高校時代は、一生の友達ができる時間。
そして、その後の人生が粗方決まる時間。

部活も勉強も、しっかり楽しんでください!

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2014.03.17

中学卒業

娘の通う太田中学校の卒業式でした。

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東日本大震災の後、入学式で「一日一日をしっかり生きる!」と
「新入生の誓い」を立てた日から、はや3年。

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中学の3年間は、からだもそうですが、大人へとこころが一番成長する、
だからこそ、ぼくの中ではもっともしんどかった3年間でしたが、
娘も小学校とは全く違う成長を見せてくれました。


大人への成長とは「自立」への過程。
覚悟はしていましたが、小学生とは異なり、
ハグすることがなくなるどころか、親の存在を煩わしく思う。

家での親に対して反発する態度や言葉は、
覚悟はしていたものの、つらいものです。
学校ではしっかりやっているし、家で吐き出すくらいよいけれど、
「それでいいよ」とは言えず、たしなめる。

これも、親と子の適切な距離感を獲得するための
必要な過程だったのだと思います。

ソフトボール部へ入部早々、4人の新入部員とはケンカの毎日。
経験者は娘だけで、6名の3年生は遠慮してあまり事細かに教えない。
2年生は寡黙なプーみお先輩一人だけ。
経験者の娘はレギュラー確定で、他の誰かが必ず試合に出るのに、
ルールもわからない。
そこで、娘が教えるも、気の強い子達は言い争いばかり。
 
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しかし、この時間が良かったのか、たった4人の部員は、
姉妹のような確かな絆で結ばれました。

総体が終わると部員は5名に。
試合どころか練習もままならないありさま。
新人戦は、他の部員を借りて出場するだけ。

2年生になった春は、新入生に入ってもらうために娘は奔走しました。
「入部してくれたらすぐ試合に出られます!」とのチラシを配布。
公なアピールのチャンス「部活紹介」では、持ち時間をしっかり練って、
それが功を奏し15人もの後輩が出来ました。

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他校でもよくある事態で、普通、どうすることも出来ない事ですが、
娘は、自分の力でこの状況を変えてみせました。

総体が終わって新チームになると娘がキャプテンに。
試合には娘たち2年生4人と未経験者の1年生。
経験不足が明らかな彼女たち。
総体後から、顧問の先生に練習試合を組んで欲しいと
嘆願するも「まだ早い」と。
みんなまだまだ経験が浅いので、ひとり2つ以上のポジションの練習を
娘がやらせていると、顧問は「そんなこと必要ない」と。

顧問の先生は専門的な知識がなく、指導にも積極的ではない中で、
自分なりに練習方法を考えてのことなのに、
頭ごなしに否定されて腹もたった事でしょう。

しかし、それ以降、娘は顧問にお伺いを立てることにし、
「こういう内容の練習をしようと思うのですが、どうでしょうか?」と。
結果、顧問の先生を協力的に巻き込むことが出来ました。

経験値が上がって、考えてプレーするようになると、
新人戦で初の県大会への進出、そしてあわやベスト4という活躍!

ダークホース、太田中の戦いぶりは話題となり、
その後は練習試合の申し込みが多く、練習試合には困らなくなりました。

強豪、高松東高と高松南高から、合同練習に呼んでいただき、
強化大会への招待など、強いチームとの試合経験も積みました。

しかし、以前の自分たちくらいのレベルのチームには、
どう転んでも負けないようになると、「過信」そして「慢心」。
こうなると、日々の練習がだらけてきて、弱いチームとの試合でも
試合運びが軽くなり、強いチームと試合するときの心の持ち方が、
異なりすぎて、重圧。

これは、厄介でした。

総体は、四国大会出場を目標にできるところまでは行きましたが、
やはり、専門的指導者のいる学校との日々の積み重ねの差異は、
簡単なものではありませんでした。

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ケンカばかりしていた同級生4人と、たくさんの後輩ができ、
チームの雰囲気づくりから、練習メニューやオーダーなど、
実質的な運営を自分で考えざるを得なかった環境は、
人の心は簡単なものでないことを学んだことと思います。

学校行事でも、リーダーシップを発揮しました。
春の運動会では、積極的に運営に関わり、
秋のコーラス大会では、指揮者としてクラスをまとめることに腐心。
真剣であるがゆえに、一喜一憂していました。

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生徒会は、学校でも優秀な子供たちの集まりであり、
ある種、尊敬の的です。
好奇心旺盛な娘も参加するのかと思っていましたが、
放課後、多くの時間を取られることになるので、
「わたしがいないと練習出来ないから」と、
実質的に練習を取り仕切っているキャプテンとしての立場を優先。
すごく、大人な判断だと思いました。

総体が終わると、後は受験です。
入学時「1番を獲る!」と言っていましたが、
優秀な子供の多い太田中では、簡単なことではありませんでした。

授業がわからないわけではありませんが、週2回の塾以外は、
ほとんど勉強もせず、日々勉強している子との差は開くばかり。

何事も、自分でやる気にならないと身につかないと考えているので、
ぼくたち親からは「勉強しなさい」とは言いませんでした。

3年生になった直後の模試が、これまでにない悪い出来。
奥さんが見かけた「お風呂で号泣してた」日からは、
週3回の塾の日以外も毎日、部活が終わってから塾へ自習へ。

総体が終わって、夏の塾の強化合宿以降は、目標へ向かって、
一心不乱に勉強に取り組むようになりました。

大晦日もテレビを観ないと宣言し、年が明けてからは、
携帯も電源を切ったまま。

しかし、同じように取り組んでいる子はたくさんいるので、
成績は確実に伸びてきましたが、
一足飛びというわけには行きませんでした。

受験本番を終え、晴れ晴れとした顔で、
「これで落ちてても、悔いはない」と。

この7ヵ月あまりの彼女の集中力と精神力は、
どんな結果であろうと、彼女のこれからの人生の
支えになるものだと感じました。

自らの様々な経験と成長を手に取るように感じた中学生活。
万感の思いで卒業式を迎えたことと思います。

義務教育はこれで終わりました。
しっかりと成長した娘を誇らしく思います。

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いろんな困難や問題があったけど、しっかりと乗り越えて、
確実に成長を感じられる有意義な3年間でしたね!
みお!卒業おめでとう!
ひとまず、しっかり遊んでください!(笑)

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2014.01.11

丹下健三生誕100周年記念講演「建築のみらい」

  昨年3月のシンポジウムの講演録がUPされました。
http://kenzotange100-kenchikunomirai.jimdo.com/

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昨年は、丹下健三の生誕100周年ということで、
ぼくが長く関わっている香川県建築士会高松支部青年部会の事業として、
例年のように同世代の建築家を招くスタイルではなく、
丹下健三研究の第一人者藤森照信氏においでいただく
ということから準備が始まりました。
そして、夏に丹下さんの初めての展覧会を香川県が準備している中で、
展覧会の委員長の神谷宏治氏も加わることが決まりました。
そうなると、必然的にコーディネーターが必要となります。
宮本教博部会長に尋ねると、「どうすればいいですか?」と。
こうなれば、ぼくがやるしかありません。(笑)

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丹下研究の第一人者である藤森氏に加えて、
丹下さんの右腕である神谷宏治さん。
相当周到に段取りをしないとエライ事になるぞと、
かなりの重圧の中準備を始めました。
 

藤森さんはこれまでの経緯から、メールでのやり取りは
容易なことがわかっていましたが、
84歳の神谷さんとどうコミュニケーションを取ればいいのか、
と思っていたら、展覧会の準備でかなり頻繁にやり取りをしている
香川県の佐藤竜馬さんと今瀧哲之さんが、
「神谷さん、メール大丈夫です!レスも早いですよ!」と。

2ヵ月前に、全体の流れと時間配分表を作成し、
お二人に内容を確認していただく。
藤森さんはあまり細かなことは言いません。
神谷さんは、こちらが迷っているところを
的確に疑問を投げ掛けられました。
しかし、こちらがそこで決めたことは何もおっしゃいませんでした。

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当日、藤森さんは雑誌の取材旅行から直接会場入り。
このあたりも、「気にしなくていいから」という感じ。
神谷さんは、お昼前の飛行機で高松に。
少しでもお話が出来たほうが良いと思い、
佐藤さんと空港までお迎えにあがりました。
ご高齢なので、どのような様子なのか少々の心配もありましたが、
「矍鑠(かくしゃく)」と表現するのが失礼なほど、
背筋もしゃんとしているし、真摯な生き方が溢れている、
ダンディで風格がある様に驚きました。

ぼくの師山本忠司は、様々な建築家・アーティストと
交流がありましたが、その中でも、神谷さんの話をする時は、
特別なニュアンスを持っていました。
そのせいか、こちらの特別な思いもあり、
最初は中々話しかけられませんでした。
うどんを一緒に食べ、車で香川県庁舎へ。
一旦控え室にご案内し、県庁ホールを歩きながら
いろいろな話を伺うことができました。
そうしながら、ぼくは、少しずつ緊張がほぐれて行くのがわかりました。

控え室に戻ると、藤森さんが到着。
お二人に、実際に使用する映像を見せながら進行の説明。
というよりも通し稽古。
藤森さんでも年代が曖昧なものもあるようで、尋ねられましたが
ぼくの頭には年代はしっかり記憶されています。
ステージは披露されなかったお話も交え、
リラックスした中で良い準備が出来ました。

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壇上での様子は既にお読みいただいた通りです。

駆け足ではありましたが、何とか建築家丹下健三の人となり、
そして、「香川県庁舎」への道程をご紹介できたのではないかと思います。

7月20日に香川県立ミュージアムでスタートした
「丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ」展は、見ごたえ十分で、
その記念シンポジウムも大変魅力的で充実したものでしたが、
神谷さんが体調を崩され欠席となってしまいました。
そうなった今、改めてお呼びしてお話が伺えて良かったと思っています。

今回の講演会を振り返って、師山本忠司が神谷さんのことを
何故特別なニュアンスで語っていたのか理解できたように思います。
「香川県庁舎」は、香川県にとって特別な建築です。
建築家丹下健三の傑作でありひとつの頂点であることは
講演会でも述べた通りです。
そして、郷土復興の記念碑である県庁舎を
気鋭の建築家丹下健三に託そうとした猪熊弦一郎の熱量。
戦後の「民主主義」は、県民に開かれたものであるべきであり、
それを体現することを丹下健三に託した金子正則元知事の熱量。
それを見事に建築としてかたちに顕した丹下健三の熱量。
そして、丹下健三を傍らで支えた浅田孝の熱量。
同じく丹下研究室の顔として現場にあたった神谷宏治の熱量。
香川県の技官として、良い建築とすべく現場で陣頭指揮を取った
山本忠司の熱量。
これらの、莫大な熱量が「香川県庁舎」を特別なものとし、その熱量は、
その後香川で仕事をすることとなる気鋭の建築家・アーティストに
伝播し、良い作品がたくさん生まれたのです。
そして、今もなお「香川県庁舎」は衰えることなく、
甚大な熱量を放出し続けています。

とにかくその端緒となった「香川県庁舎」。

山本忠司は、この「香川県庁舎」の現場を預かるものとして、

神谷さんと全身全霊を込めともに戦い、傑作に至らしめた

という意識が強くあるのだとおもいます。

「戦友」の如き思いを持っているのだと。そう感じました。

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懇親会の席で、神谷さんと藤森さんから、よいシンポジウムだったと、
褒めていただき、すこし安堵しました。
そして、その場で何かしらの記録に残すことを、
宮本委員長は約束しました。
 
ところが、前述したように神谷さんが体調を崩され、
文言のチェックが滞ったままUPできない状態だったのです。
 
今は、すっかり元気になられたようで、一安心です。

講演会終了後、すぐに神谷さんから御礼状をいただきました。
講演会でお世話になったことの御礼に加えて、
講演会が好評であったその成功が
ぼくのお陰である事の御礼が添えられていました。
これは、準備したものとしてとても嬉しいものでした。

師山本忠司は、自らが建築家であることだけでなく、
自分が関わった多くの作品に並々ならない愛着と誇りを持っており、
その評価を高めるための活動を、労を厭わずに尽力していました。
ぼくは、香川の建築・アートから多大な熱量をいただきました。
そして、それを伝えるお手伝いをすることが、
先達の方々への恩返しだと思っています。

丹下展の準備の多忙な中多大な協力をいただきました
香川県の佐藤龍馬さん、今瀧哲之さん、本当にありがとうございました。
また、すべての段取りと調整をしていただいた、
香川県建築士会高松支部青年部会の宮本教博部会長をはじめとする
部会のメンバー、そして部会のOB諸氏、
関わった人たちの魂が響きあう場を設えていただき
ありがとうございました。

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今回の講演会が、少しでも多くの人に、
熱量を伝えるこことなれば幸いです。

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