丹下健三生誕100周年記念講演「建築のみらい」
昨年3月のシンポジウムの講演録がUPされました。
http://kenzotange100-kenchikunomirai.jimdo.com/
昨年は、丹下健三の生誕100周年ということで、
ぼくが長く関わっている香川県建築士会高松支部青年部会の事業として、
例年のように同世代の建築家を招くスタイルではなく、
丹下健三研究の第一人者藤森照信氏においでいただく
ということから準備が始まりました。
そして、夏に丹下さんの初めての展覧会を香川県が準備している中で、
展覧会の委員長の神谷宏治氏も加わることが決まりました。
そうなると、必然的にコーディネーターが必要となります。
宮本教博部会長に尋ねると、「どうすればいいですか?」と。
こうなれば、ぼくがやるしかありません。(笑)
丹下研究の第一人者である藤森氏に加えて、
丹下さんの右腕である神谷宏治さん。
相当周到に段取りをしないとエライ事になるぞと、
かなりの重圧の中準備を始めました。
藤森さんはこれまでの経緯から、メールでのやり取りは
容易なことがわかっていましたが、
84歳の神谷さんとどうコミュニケーションを取ればいいのか、
と思っていたら、展覧会の準備でかなり頻繁にやり取りをしている
香川県の佐藤竜馬さんと今瀧哲之さんが、
「神谷さん、メール大丈夫です!レスも早いですよ!」と。
2ヵ月前に、全体の流れと時間配分表を作成し、
お二人に内容を確認していただく。
藤森さんはあまり細かなことは言いません。
神谷さんは、こちらが迷っているところを
的確に疑問を投げ掛けられました。
しかし、こちらがそこで決めたことは何もおっしゃいませんでした。
当日、藤森さんは雑誌の取材旅行から直接会場入り。
このあたりも、「気にしなくていいから」という感じ。
神谷さんは、お昼前の飛行機で高松に。
少しでもお話が出来たほうが良いと思い、
佐藤さんと空港までお迎えにあがりました。
ご高齢なので、どのような様子なのか少々の心配もありましたが、
「矍鑠(かくしゃく)」と表現するのが失礼なほど、
背筋もしゃんとしているし、真摯な生き方が溢れている、
ダンディで風格がある様に驚きました。
ぼくの師山本忠司は、様々な建築家・アーティストと
交流がありましたが、その中でも、神谷さんの話をする時は、
特別なニュアンスを持っていました。
そのせいか、こちらの特別な思いもあり、
最初は中々話しかけられませんでした。
うどんを一緒に食べ、車で香川県庁舎へ。
一旦控え室にご案内し、県庁ホールを歩きながら
いろいろな話を伺うことができました。
そうしながら、ぼくは、少しずつ緊張がほぐれて行くのがわかりました。
控え室に戻ると、藤森さんが到着。
お二人に、実際に使用する映像を見せながら進行の説明。
というよりも通し稽古。
藤森さんでも年代が曖昧なものもあるようで、尋ねられましたが
ぼくの頭には年代はしっかり記憶されています。
ステージは披露されなかったお話も交え、
リラックスした中で良い準備が出来ました。
壇上での様子は既にお読みいただいた通りです。
駆け足ではありましたが、何とか建築家丹下健三の人となり、
そして、「香川県庁舎」への道程をご紹介できたのではないかと思います。
7月20日に香川県立ミュージアムでスタートした
「丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ」展は、見ごたえ十分で、
その記念シンポジウムも大変魅力的で充実したものでしたが、
神谷さんが体調を崩され欠席となってしまいました。
そうなった今、改めてお呼びしてお話が伺えて良かったと思っています。
今回の講演会を振り返って、師山本忠司が神谷さんのことを
何故特別なニュアンスで語っていたのか理解できたように思います。
「香川県庁舎」は、香川県にとって特別な建築です。
建築家丹下健三の傑作でありひとつの頂点であることは
講演会でも述べた通りです。
そして、郷土復興の記念碑である県庁舎を
気鋭の建築家丹下健三に託そうとした猪熊弦一郎の熱量。
戦後の「民主主義」は、県民に開かれたものであるべきであり、
それを体現することを丹下健三に託した金子正則元知事の熱量。
それを見事に建築としてかたちに顕した丹下健三の熱量。
そして、丹下健三を傍らで支えた浅田孝の熱量。
同じく丹下研究室の顔として現場にあたった神谷宏治の熱量。
香川県の技官として、良い建築とすべく現場で陣頭指揮を取った
山本忠司の熱量。
これらの、莫大な熱量が「香川県庁舎」を特別なものとし、その熱量は、
その後香川で仕事をすることとなる気鋭の建築家・アーティストに
伝播し、良い作品がたくさん生まれたのです。
そして、今もなお「香川県庁舎」は衰えることなく、
甚大な熱量を放出し続けています。
とにかくその端緒となった「香川県庁舎」。
山本忠司は、この「香川県庁舎」の現場を預かるものとして、
神谷さんと全身全霊を込めともに戦い、傑作に至らしめた
という意識が強くあるのだとおもいます。
懇親会の席で、神谷さんと藤森さんから、よいシンポジウムだったと、
褒めていただき、すこし安堵しました。
そして、その場で何かしらの記録に残すことを、
宮本委員長は約束しました。
ところが、前述したように神谷さんが体調を崩され、
文言のチェックが滞ったままUPできない状態だったのです。
今は、すっかり元気になられたようで、一安心です。
講演会終了後、すぐに神谷さんから御礼状をいただきました。
講演会でお世話になったことの御礼に加えて、
講演会が好評であったその成功が
ぼくのお陰である事の御礼が添えられていました。
これは、準備したものとしてとても嬉しいものでした。
師山本忠司は、自らが建築家であることだけでなく、
自分が関わった多くの作品に並々ならない愛着と誇りを持っており、
その評価を高めるための活動を、労を厭わずに尽力していました。
ぼくは、香川の建築・アートから多大な熱量をいただきました。
そして、それを伝えるお手伝いをすることが、
先達の方々への恩返しだと思っています。
丹下展の準備の多忙な中多大な協力をいただきました
香川県の佐藤龍馬さん、今瀧哲之さん、本当にありがとうございました。
また、すべての段取りと調整をしていただいた、
香川県建築士会高松支部青年部会の宮本教博部会長をはじめとする
部会のメンバー、そして部会のOB諸氏、
関わった人たちの魂が響きあう場を設えていただき
ありがとうございました。
今回の講演会が、少しでも多くの人に、
熱量を伝えるこことなれば幸いです。
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