2012.02.22

「うまひゃひゃさぬきうどん」さとなお著

1998年11月3日。

香川で生まれ育ったぼくは、うどんのことを
それなりに知っているつもりでした。

Umahya

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しかし、「恐るべきさぬきうどん」が1993年に発刊され、
「どうやら奥深いさぬきうどんの世界があるようだ」とは、
何となく伝え聞くものの、日常の生活で、特段の不便は感じず、
深く関心を持つことはありませんでした。

1997年。
独立し、同時に「四国職業能力開発大学校」と
「穴吹デザインカレッジ」で教えることなり、
実は、県外からの学生に「さぬきうどん」について
教えてもらったのである。

彼らは、かなりの店を制覇し、その魅力を語る。

はっきりと「自分はさぬきうどんのことを何も知らない」と自覚。

そのきっかけになったのが学生が貸してくれた、この本でした。


東京生まれの関西で広告代理店に勤める著者が、
さぬきうどんの魅力に取り付かれ、何度も香川に通ったドキュメント。

一気に読み終えると、居ても立ってもいられなくなった!

そして、4月に生まれ、ちょうど離乳食を食べ始めた娘を連れ、
どうやら避けては通れないらしい「山越」と「宮武」に
足を運んだのが、文化の日。


それは、大きく「うどん観」が変わった日でした。

それまで「うまい」と思っていた店で、もう食べることはなくなり、
娘がうどんが好きだと聞いたじいちゃんがくれた、
缶入りの離乳食用のうどんを娘が吐き出しました。


その日以来、会う人会う人に「うどん」のことを尋ね、
うどんのことばかり考える日々が続きました。

それから、週に5日、一日に5件のうどんやを巡る生活。

週に25件。

一月で100件。

もう、バカです。


もちろん、そんな生活は数ヶ月で終わりましたが。


しかし、香川特有の風土や地理、そうしたものを学ぶいい機会でした。

そして、「さぬきうどん」の地域特性や分布を考察することは、
自分のアイデンティティを深く見つめる作業に他なりませんでした。



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2011.06.22

「もしドラ」

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」
のことです。

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出版当初から話題になっていたのは知っていたけれど、
何となく読みそびれていたのですが、中学に入学した娘が、
朝の読書の時間用にと買ってきたので、娘が読み終わった後、読みました。

映画も娘と一緒に観てきました。

P.F.ドラッガーの『マネジメント』については、安藤芳樹さんが、
ここ数年、各章ごとにチャート形式でまとめたものを送ってくれていたので、
自然と頭に入っています。

Manegement
Yoshikiando


ちなみに、安藤さんは、さぬきうどんのバイブル「恐るべきさぬきうどん」の
麺通団の「知将A藤」その人で、団長の田尾和俊さんに
日常のさぬきうどんの世界を知らしめることになった、
今はなき「中北」に連れて行った張本人です。
それ以降、田尾さんがタウン誌「TJかがわ」で「さぬきうどん」を取り上げ、
そのストーリーをベースにつくられた、本広克行監督の映画「UDON」で、
トータス松本演じる役所は、安藤さんがモデル。
映画にもチラッと無邪気に出てます。


まず、原作の方。

物語そのものは、面白いと思います。
物語の構成は「なるほど、こうなればそりゃ面白い!」というものですが、
この本は「文学」ではなく、「ビジネス書」であるという、「マーケティング」は、
的確に捉えていますが、「文学」とまで言わずとも「読み物」としたときに、
「表現力」や細かな機微や抑揚を描き出す「描写力」に乏しく、
結果、娘にすれば「ワクワクしない」ので「つまらない」となります。


Moshidora

映画の方は、「ワクワク」させないとお話になりませんから、それなりでした。
ですが、やはり、「感動」や「興奮」、もしくは「知的刺激」のような、
「表現」としての魅力はありませんでした。
話題のAKB48の前田敦子が主役でしたが、演技はそつない感じでしたが、
旬の人間が持っている「オーラ」のようなものがまったく感じられませんでした。
その友人役を演じた川口春菜の方に役者としての魅力を感じました。
調べてみると、彼女はまだ16歳で、「ポカリスエット」や「三井のリハウス」の
CMに起用されるも、映画初出演とのことで、ブレーク間違いありませんね。


双方に感じるのは、つくり手が「安易」にことを進めていることです。

ですから、読む者、観る者に「訴えかける何か」がありません。

本も映画も、「商業的に成功する」ことがひとつの「目標」であることには
異論はありませんが、長い時間の経過の中で古びない「持続可能な価値」を
生むことも、もうひとつの「目標」であり、後者の場合には
それを達成するために葛藤する「熱量」が必要です。

その「熱量」こそが、読む者、観る者に「訴え」かけ、
「熱量」は、それをつくるものの「真摯さ」によって生まれると思います。

つまり、双方には、ものをつくる人間としての「真摯さ」が欠如しているのです。

その「真摯さ」つまり「ひたむきな姿勢」こそが、
経営、それに取り組む人間に「必要不可欠な資質である」と
P.F.ドラッガーが説いているのに、です。

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