2017.09.22

豊島再訪/「豊島美術館」

現在、浪人をしている娘は、建築系の大学にすすむようで、
AO入試に向け、自己推薦文を書くにあたり、「豊島美術館」に行きました。
 
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2010年、瀬戸内国際芸術祭を巡った時、豊島を巡りましたが、
「豊島美術館」はまだ工事中でオープン前でした。
その時、小学6年生。
中学に入ると、部活や勉強の都合で訪れることが出来ず。
その間、反抗期に入り、あいさつも会話もつっけんどん。
ぼくもそうでしたが、大人になる過渡期で、
本人はとても葛藤していたのだと思います。
今年に入り、受験校の決定など会話する機会が多くなり、受験を終えた頃から、
以前のように屈託のない笑顔で話をしてくれるようになりました。
ともに、受験を闘ったという意識からでしょうか、
ともかくひとつの苦難を乗り越えたようです。
 
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2年前、高校2年生の時、東京へオープンキャンパスに行きました。
「商業施設の設計がしたい」という娘を、表参道に。
ここには、世界の名だたる建築家のファッションビルが建ち並んでいます。
安藤忠雄「コレッツィオーネ」、ヘルツォーク&ド・ムオロン「プラダ」、
青木淳「ルイ・ヴィトン」、妹島和世+西沢立衛「ディオール」etc.
学生時代から、何度も訪れた場所です。
その際も、最小限の説明しかしませんでした。
もちろん、普段なら、建築家が何を考え、何をどう表現しているのか
細部にいたるまで解説します。(笑)
それでも、その時は「ふ~ん、よく知ってるね」という塩梅。(笑)

その頃から考えると、娘と建築やアートについて、
また、それに関わった人たちの話をするのは、夢のような至福の時間です。(笑)
今回は、ふたり旅。
 
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台風の過ぎ去った後、快晴の瀬戸内海を渡り豊島へ。
家浦港から自転車で「豊島美術館」へ。

2007年香川県建築士会の講演会の講師として、
建築家西沢立衛氏をお招きした際、
この「豊島美術館」の素となる計画案のお話を伺いました。
当時は、直島に建設予定でしたが、瀬戸内国際芸術祭の開催が決定の後、
現在の場所での計画となりました。

島の起伏の頂点を越え、消える道の向こうに海が見えます。
その道を下ると、眼前にはパノラマに広がる瀬戸内海、
左手には豊かな表情の棚田。
そして、右手のこんもりとした森に包まれるように「豊島美術館」が見えます。
 
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敷地に入り、斜面に埋めこまれた受付でチケットを購入し、美術館へ。
美術館へは、小径に導かれます。
木々の木漏れ日を抜け、海に開き進みます。
美術館に近づいたところで、靴を脱ぎます。
 
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美術館の空間は、3次元に膨らんだ260mmの厚さのコンクリートの
床板で出来ています。
小さな入口と、2か所の大小の円形に切り取られた開口にガラスはなく、
空の明るさが美術館内部の照度となり、刻々と動く太陽により、
照度分布が変化します。

ちなみに、内部は撮影禁止ですので、掲載の写真はネット上のものです。
 
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よくみると、床には水滴が散在しています。
「母型」と名付けられた、内藤礼さんによる作品です。
床から生まれた小さな水滴は、しっかりと膨らみ、
耐え切れなくなると勾配によって動き出します。
するすると動く水。
ゆっくりとゆっくりと、キラキラと動く水。
寄り添う水。
離れる水。
 
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床と水にやわらかく反射した光に満ちた空間。
初めて訪れた時は、空間を意識するあまり気を付けていたつもりでしたが、
靴下がびちょびちょに濡れました。(笑)

台風が過ぎた後のやや強い風が、
いつもよりわずかに強い木々の音を生んでいました。

西沢さんのコンセプトは、当初より水滴でした。
当初のアーティストは、具象の彫刻家でしたが、
空間のイメージが明確になる中で、内藤さんに。

まったく外の空間。
洞穴の奥の空間。
場所により開放感・閉塞性が異なります。
2か所の円形の開口部のリボンは、風に乗ってゆっくりと舞う。

建築空間と作品が不可分な関係となり、どちらも生命の権現である水からなる。
 
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直径2mmの186か所から生まれる水。
拝観者は、静かにゆっくりと水の動きを見つめる。
移ろいゆく時間に、自らの存在を重ねる。
自己の内奥に深く問いかけるような、豊かな空間でした。
 
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工事施工は、親友の池口泰彦さんがベネッセ営業担当の鹿島建設。
監督は、豊田郁美さん。
この3次曲面のコンクリートを如何にきれいに仕上げるのか苦慮した豊田さんは、
毎朝、ゆで卵を食べ、どうすればきれいに殻が外せるのか研究したようです。
結果、土を盛って締固め、表面にモルタルを塗って型枠としました。
床には、撥水剤が塗布されています。
水のはじき加減で、水滴の形状、動きが変わります。
内藤さんと何度も試行錯誤を繰り返したようです。


同級生の建築家安部良さんの「島キッチン」でスィーツを食べ、
クリスチャン・ボルタンスキーの「ささやきの森」へ。
木々を深く分け入ると、落ち葉を踏む足音の向こうに、涼やかな音。
願い事の書かれた札が生む、風鈴の森。
 
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「豊島横尾美術館」では、2010年の民家での作品の赤い石の庭が蘇る。
横尾忠則のエネルギー溢れる世界観に圧倒される。
 
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最後は、当時、竣工へ向けて追込み工事中だったトビアス・レーベルガー。
ここでも、スィーツを。(笑)

真っ黒に日焼けし、無邪気だった小学6年生の娘と廻った豊島。
自我の葛藤を乗り越え、
また屈託のない笑顔を見せてくれるようになった19歳の娘。
当時の印象を振り返りながら、年齢を重ねた今だから出来る、
作品について、建築について、作家についての会話は、
台風の風が厚い雲を拭い去った空、
多くの雨水をなみなみと湛えた瀬戸内海の豊かな表情と共に、
忘れられない時間となりました。
 
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まだまだ、受験は続きますが、今日のこの時間が
がんばるエネルギーとなればと願います。

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2015.09.10

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高校からの友人の住宅が完成しました。
 
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建築家の世界では、様々な謂わば都市伝説のような言い伝えがあります。
その中の一つに、このような言葉があります。

「親兄弟親戚と友人の仕事はするな」

ぼくに仕事の依頼をされる方は、ぼくの設計の考え方・方向性に共感して、
仕事を依頼していただく方がほとんどです。
しかし、「親兄弟親戚と友人」は、建築に対する考え方よりも、
その人間関係から、ある意味「仕方なく」依頼してくるので、
考え方を共有できない場合、人間関係が崩れる可能性があるので気をつけろ!
という事なのだと思います。(笑)
 
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今回のクライアントは、高松一高の3年生の時に同じクラスになり、
それ以来の友人です。
部活を引退した後、図書館へ勉強しに行くのも毎日一緒、
大学も東京と神奈川でしたから、お互いのアパートに行ったり、新宿で飲んだり、
お互いの仲間と野球の試合をしたりした友人です。
高松の繁華街に家があったせいで、学生時代の長期休暇中、飲みに出かけると、
多くの友人と彼の家で雑魚寝をしたものです。
彼は、幼い頃から獣医になるのが夢で、獣医師として働いていましたが、
数年前に、彼の祖父の代からの家業を継いでいます。

繁華街の住宅は、商店街に面した店舗の上部にあります。
会うたびに、その家をどうするのか?という話題になりますが、
昔のことなので、隣の方と共同で立てている関係上、色々と複雑なことも。

その他様々なタイミングが重なり、土地を購入し、住宅を建てることとなりました。
まずは、土地の購入から相談に乗りました。
子供たちの学校の問題から希望のエリアと予算を伺い、
数十の候補を精査し、何度も一緒に現地を訪れるも、
土地探しは、縁のもので、中々「これだ!」という物件に巡り合いませんでした。
そんな時に、「新たに売りに出された物件がある」との連絡があり、
広さ・環境・価格など、条件にピッタリの土地で、即決を勧め、
そして、この敷地での計画が始まりました。

由緒ある高松讃岐藩の氏神様である石清尾(いわせお)八幡宮への
参道である八幡通りに面した敷地。
両サイドは、かつての通りの趣を残す、戦後の伝統的木造建築の家屋。
南側の道路は、車がすれ違えない生活道。
 
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まずは、南北に長い敷地に対して、以下の考え方は、計画をスタートする時点で共有していました。

○外に閉じて、中庭に開く。
○北側の八幡通りにガレージと玄関のアプローチ。
○1階 中庭の南側に北向きのリビング。

○1階南側道路からお母さんの出入り口。
○1階に水回り。
○2階に寝室。

南側に開かないリビングは、落ち着いたとても良い感じにすることが可能ですが、
少し「暗い」と思われる可能性もあるので、そのあたりの説明は丁寧にしました。

当初、「リビングを中庭に開いて吹抜けに」という要望でしたが、
2階リビング案も含めて検討を重ねるうちに、最終プランに落ち着きました。
 
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そして、リビング部分の床を少し下げました。
リビングの床を下げると、その部分だけ天井が高くなり、床にくぼみができることで、
その部分だけ、ゆるく囲われた快適性が生じます。

リビング上部の2階の部分を南側にセットバックさせることにより、
リビング北側の中庭に光が届き、開放感を持たせました。

プランは、敷地の制約が多い分、各室の関係はすんなり決まって行きました。
 
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クライアントである友人も、奥さんも建築・インテリアに関心が強く、
自分たちの住宅建設に向けて、多くの建築を雑誌やインターネットで
勉強していましたので、各部屋の窓の開閉方式に始まり、
手すりの形状、収納スペースのレイアウト、使用材料からその細部にいたるまで、
具体的な事例を基に、こと細かな要望が出されました。

ぼくは、基本的にクライアントの要望はすべて適えたいと思っているので、
とにかくすべての要望をまずは伺った上で、そのそれぞれの要望を、
建築トータルでバランスよく調和がとれるという点から、
「そういう方法も理解できるけれど、今回の場合は、○○との関係から、
ここはこう考えた方がいい」と、思い切ってあきらめるよう助言することもあり、
そうした場合、最初は、戸惑いや、さらに言えば
すんなりうなずかないぼくに不信感もあったようですが(笑)、
彼らが、ぼくの言葉を基に自ら検証するうちに、納得してもらえることがほとんどでした。

そうなってくると、あれこれ細かなところまで自分で考えたいクライアントも、
徐々に「林がそこまで考えているのなら、そうしよう!」と、
大きく信頼してくれるようになりました。(笑)
「友人」という関係から、「クライアントと建築家」という信頼関係が生じたのです。

あれこれ考えるのが好きなクライアント夫妻から、
これまでに取り組んでいないリクエストがいくつかありました。
 
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まずは、ガラス・ブロックです。
ガラス・ブロックに関心を持たれるクライアントは多いのですが、
予算の都合で選択肢から外れることがほとんどです。(笑)
建築の勉強を始めたころ、ピエール・シャローの「ガラスの家」の
ガラス・ブロックの淡い光の空間に魅せられ、興味のある素材でした。
ただし、ガラス・ブロックは、そのサイズと種類を的確に選択している建築が
そう多くないのも事実です。
ここでは、ガレージとホワイエの境壁に使い、リビングから中庭越しに見える
背景として使用しました。
そして、ガラス・ブロックのサイズと目地から天井高さ、床材の割付、
開口寸法などがオートマチックに決まりました。

ガラス・ブロックは、ガレージの内部を透過せずに、
中空の内部で、自ら取り込んだ光をやわらかく放出します。
 
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アプローチからホワイエと続くスペースの天井を何か工夫してほしいとのことで、
八幡通りに残る、この場所の空気感を生んでいる家屋の、
格子のスケールのルーバーで、天井を構成しました。

また、奥さんは家具や家電にも関心が強くダイニング・テーブルと椅子、
その上部のペンダントの照明器具は、消費税の問題もあり、建設前に購入しました。

建築のスケール感に、家具を合わせるのは簡単ではありませんが、
今回は、先に家具が決まって、それに合わせてリビング・ダイニング・キッチンの
細かな寸法を決めるという作業になりました。
 
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住宅の中で、最も使用頻度の高いものは冷蔵庫です。
生活導線、家事導線のポイントになりますが、どんな冷蔵庫も
生活感が出過ぎてしまうのが難点で、冷蔵庫を見えにくく、
かつ、使い勝手の良い位置に配置するのに腐心します。
今回は、ワイン・セラーを内蔵した冷蔵庫をあえて、正面から見せています。
シンクと作業台の仕上げをステンレスとし、レンジフードとともに、
家具のウォールナットとトータルでバランスさせています。
 
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そして、中庭の樹木です。
計画の中で、樹木についてのやりとりは必ずあります。
多くのクライアントは「水をやらなくて、葉が落ちない、大きくならない」
樹木を望まれますが、そんな樹木はありません。(笑)
今回、住宅全体をゆるやかに結ぶ「中庭に、樹木が欲しい」と。
加えて、アプローチからのアイストップとして、リビングが見えすぎないような装置として、
樹木を植えることを決めました。
造園屋さんの畑に、クライアント夫妻と樹を選びに行きましたが、
広大な畑の中では、スケール感をつかむのが難しいのですが、
壁際に植えるため半円形の樹形で、2階の手すりを少し超えた高さのものを選びました。
現場に植込みの日、会議で少し遅れて到着すると、最終位置を決めかねているようで、
少し壁側に倒して角度を指示し、決定しました。

北向きのリビングにやわらかく光を反射させながら、
中庭のスケール感の中で、控えめに主張しています。
これから、この樹の成長が、どう空間に影響するのか見届けたいと思います。
 
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とにかく、様々な要素と要望があり、新たにトライしたこともたくさんありましたが、
それぞれのバランスが調和した、とても上品な建築になりました。

そして、高校時代からの友人関係を壊すことなく、
さらに信頼関係を深める仕事になったのではないかと思います。(笑)

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2014.11.10

追悼 神谷宏治さん

 世界的建築家 丹下健三の片腕、
香川県庁舎も担当した建築家 神谷宏治さんがご逝去されました。

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昨年、丹下健三生誕100周年ということで、
東大の建築史を専門とし、丹下さん公認の伝記記述者で、
丹下健三研究の第一人者である藤森照信氏に加えて、
丹下健三の片腕として長年丹下さんに仕えてきた
神谷宏治さんをお招きしてシンポジウムを開催することとなりました。

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 そうなると、コーディネーターが必要となり、
その大役をぼくが担うこととなりました。

 大変な重圧を感じる大役ではありますが、丹下健三という建築家に、
そして、丹下健三に精通するお二人の「丹下健三観」に肉薄する
またとない絶好の機会と捉え、準備を始めました。

 このあたりのことは、以前にも記しましたので、ご覧ください。
http://yharch.cocolog-pikara.com/blog/2014/01/post-c6f9.html

 複数の方を相手に進行する場合、話が散逸しがちなので、

あらかたの流れと時間配分を決め、お二人に内容を確認していただき、
意見を伺いながら準備を進めました。

 藤森さんは、2008年の香川県庁舎竣工50周年の講演会、
2009年の建築士会の中四国ブロックの際と、お会いしており、
フランクな人柄で、進行の内容も、あまり細かな要求がないことは、
想定していました。

 神谷さんは、進行について、こちらが迷っているところを

短く端的なメールで的確に疑問を投げ掛けられました。

しかし、こちらがそこで決めたことは何もおっしゃいませんでした。

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当日、藤森さんは雑誌の取材旅行から直接会場入り。このあたりも、「気にしなくていいから」という感じ。神谷さんは、お昼前の飛行機で高松に。少しでもお話が出来たほうが良いと思い、佐藤竜馬さんと空港までお迎えにあがりました。ご高齢なので、どのような様子なのか少々の心配もありましたが、「矍鑠」と表現するのが失礼なほど、背筋もしゃんとしているし、真摯な生き方が溢れている、ダンディで風格ある様に驚きました。

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師山本忠司は、様々な建築家・アーティストと交流がありましたが、その中でも、神谷さんの話をする時は、特別なニュアンスを持っていました。そのせいか、こちらの特別な思いもあり、最初は中々話しかけられませんでした。うどんを一緒に食べ、車で香川県庁舎へ。一旦控え室にご案内し、県庁ホールを歩きながらいろいろな話を伺うことができました。そうしながら、ぼくは、少しずつ緊張がほぐれて行くのがわかりました。

 控え室に戻ると、藤森さんが到着。お二人に、最初から進行の説明。というよりも通し稽古。藤森さんでも年代が曖昧なものもあるようで、尋ねられましたがぼくの頭には年代はしっかり記憶されています。ステージは披露されなかったお話も交え、リラックスした中で良い準備が出来ました。

   壇上での様子は以下のHPにまとめました。
http://kenzotange100-kenchikunomirai.jimdo.com/
 駆け足ではありましたが、何とか建築家丹下健三の人となり、そして、「香川県庁舎」への道程をご紹介できたのではないかと思います。

 今回の講演会を振り返って、師山本忠司が神谷さんのことを特別なニュアンスで語っていたことが少し理解できたように思います。「香川県庁舎」は、香川県にとって特別な建築です。芸術としての「建築作品」としても、建築家丹下健三の傑作でありひとつの頂点です。そして、郷土復興の記念碑である県庁舎を気鋭の建築家丹下健三に託そうとした猪熊弦一郎の熱量。それを受け、戦後の「民主主義」は、県民に開かれたものであるべきであり、それを体現することを丹下健三に託した金子正則元知事の熱量。それを見事に建築としてかたちに顕した丹下健三の熱量。そして、丹下健三を傍らで支えた浅田孝の熱量。同じく丹下研究室の顔として現場にあたった神谷宏治の熱量。香川県の技官として、良い建築とすべく現場で陣頭指揮を取った山本忠司の熱量。これらの、莫大な熱量が「香川県庁舎」を特別なものとし、その熱量は、その後香川で仕事をすることとなる気鋭の建築家・アーティストに伝播し、良い作品がたくさん生まれたのだと思います。そして、今もなお「香川県庁舎」は衰えることなく、甚大な熱量を放出し続けているのです。

 とにかくその端緒となった「香川県庁舎」。山本忠司は、この「香川県庁舎」の現場を預かるものとして、神谷さんと全身全霊を込めともに戦い、傑作に至らしめたという意識が強いのだと思います。神谷さんとは「戦友」の如き思いを持っているのだと。そう思いました。

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 講演会の打上げの席で、神谷さんと藤森さんから、
「よいシンポジウムだった」と、褒めていただき、少し安堵しました。

 神谷さんに対して、ぼくは特別な感情があり、
お会いしている間、不思議な感覚でした。
 存在は知っていても、会うことのなかった親族、
それも「祖父」や「父」といった濃い関係の親族のような。
 神谷さんも、少しずつ特別な感情でぼくを見てくれているような。

 数日後、神谷さんから手紙が届きました。

 まずはお礼を述べられ、講演会が「かなり好評」であったと伝え聞き、
「今回の成功は林さんのお蔭です。重ねて深く感謝いたします。」
とあり、少しでもお役に立てたのかと、涙が止まりませんでした。

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 文末に「また高松でお会いしましょう。」とあったのに、
結局叶うことが出来ませんでした。

 神谷さんは、香川県庁舎をはじめ、日本の戦後復興から高度経済成長期に、丹下健三が手掛けた国家的プロジェクトである「代々木オリンピック・プール」や「大阪万博お祭り広場」など、後世に残る傑作を丹下健三の片腕としてサポートしてきた人です。
 師山本忠司同様、自身が建築家でありながら、自らが関わった建築に深い愛着を抱く、稀有な存在です。

 神谷さんの訃報を耳にした時、驚きませんでした。
覚悟していたからです。
 「会えない人」と思っていた神谷さんに、
最後に深くかかわり、通じ合う時間を持てたことを幸運に思います。
 しかし、まだまだ、たくさんお話を伺いたかった。

 ぼくにとって、生涯忘れられない人が、また亡くなりました。

 心よりご冥福をお祈りすると共に、全身全霊を掛けて、
建築の可能性を模索し続けること、建築の魅力を伝え続けることを
約束したいと思います。

 神谷宏治さん、ありがとうございました。
 安らかにお眠りください。

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2014.01.11

丹下健三生誕100周年記念講演「建築のみらい」

  昨年3月のシンポジウムの講演録がUPされました。
http://kenzotange100-kenchikunomirai.jimdo.com/

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昨年は、丹下健三の生誕100周年ということで、
ぼくが長く関わっている香川県建築士会高松支部青年部会の事業として、
例年のように同世代の建築家を招くスタイルではなく、
丹下健三研究の第一人者藤森照信氏においでいただく
ということから準備が始まりました。
そして、夏に丹下さんの初めての展覧会を香川県が準備している中で、
展覧会の委員長の神谷宏治氏も加わることが決まりました。
そうなると、必然的にコーディネーターが必要となります。
宮本教博部会長に尋ねると、「どうすればいいですか?」と。
こうなれば、ぼくがやるしかありません。(笑)

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丹下研究の第一人者である藤森氏に加えて、
丹下さんの右腕である神谷宏治さん。
相当周到に段取りをしないとエライ事になるぞと、
かなりの重圧の中準備を始めました。
 

藤森さんはこれまでの経緯から、メールでのやり取りは
容易なことがわかっていましたが、
84歳の神谷さんとどうコミュニケーションを取ればいいのか、
と思っていたら、展覧会の準備でかなり頻繁にやり取りをしている
香川県の佐藤竜馬さんと今瀧哲之さんが、
「神谷さん、メール大丈夫です!レスも早いですよ!」と。

2ヵ月前に、全体の流れと時間配分表を作成し、
お二人に内容を確認していただく。
藤森さんはあまり細かなことは言いません。
神谷さんは、こちらが迷っているところを
的確に疑問を投げ掛けられました。
しかし、こちらがそこで決めたことは何もおっしゃいませんでした。

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当日、藤森さんは雑誌の取材旅行から直接会場入り。
このあたりも、「気にしなくていいから」という感じ。
神谷さんは、お昼前の飛行機で高松に。
少しでもお話が出来たほうが良いと思い、
佐藤さんと空港までお迎えにあがりました。
ご高齢なので、どのような様子なのか少々の心配もありましたが、
「矍鑠(かくしゃく)」と表現するのが失礼なほど、
背筋もしゃんとしているし、真摯な生き方が溢れている、
ダンディで風格がある様に驚きました。

ぼくの師山本忠司は、様々な建築家・アーティストと
交流がありましたが、その中でも、神谷さんの話をする時は、
特別なニュアンスを持っていました。
そのせいか、こちらの特別な思いもあり、
最初は中々話しかけられませんでした。
うどんを一緒に食べ、車で香川県庁舎へ。
一旦控え室にご案内し、県庁ホールを歩きながら
いろいろな話を伺うことができました。
そうしながら、ぼくは、少しずつ緊張がほぐれて行くのがわかりました。

控え室に戻ると、藤森さんが到着。
お二人に、実際に使用する映像を見せながら進行の説明。
というよりも通し稽古。
藤森さんでも年代が曖昧なものもあるようで、尋ねられましたが
ぼくの頭には年代はしっかり記憶されています。
ステージは披露されなかったお話も交え、
リラックスした中で良い準備が出来ました。

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壇上での様子は既にお読みいただいた通りです。

駆け足ではありましたが、何とか建築家丹下健三の人となり、
そして、「香川県庁舎」への道程をご紹介できたのではないかと思います。

7月20日に香川県立ミュージアムでスタートした
「丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ」展は、見ごたえ十分で、
その記念シンポジウムも大変魅力的で充実したものでしたが、
神谷さんが体調を崩され欠席となってしまいました。
そうなった今、改めてお呼びしてお話が伺えて良かったと思っています。

今回の講演会を振り返って、師山本忠司が神谷さんのことを
何故特別なニュアンスで語っていたのか理解できたように思います。
「香川県庁舎」は、香川県にとって特別な建築です。
建築家丹下健三の傑作でありひとつの頂点であることは
講演会でも述べた通りです。
そして、郷土復興の記念碑である県庁舎を
気鋭の建築家丹下健三に託そうとした猪熊弦一郎の熱量。
戦後の「民主主義」は、県民に開かれたものであるべきであり、
それを体現することを丹下健三に託した金子正則元知事の熱量。
それを見事に建築としてかたちに顕した丹下健三の熱量。
そして、丹下健三を傍らで支えた浅田孝の熱量。
同じく丹下研究室の顔として現場にあたった神谷宏治の熱量。
香川県の技官として、良い建築とすべく現場で陣頭指揮を取った
山本忠司の熱量。
これらの、莫大な熱量が「香川県庁舎」を特別なものとし、その熱量は、
その後香川で仕事をすることとなる気鋭の建築家・アーティストに
伝播し、良い作品がたくさん生まれたのです。
そして、今もなお「香川県庁舎」は衰えることなく、
甚大な熱量を放出し続けています。

とにかくその端緒となった「香川県庁舎」。

山本忠司は、この「香川県庁舎」の現場を預かるものとして、

神谷さんと全身全霊を込めともに戦い、傑作に至らしめた

という意識が強くあるのだとおもいます。

「戦友」の如き思いを持っているのだと。そう感じました。

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懇親会の席で、神谷さんと藤森さんから、よいシンポジウムだったと、
褒めていただき、すこし安堵しました。
そして、その場で何かしらの記録に残すことを、
宮本委員長は約束しました。
 
ところが、前述したように神谷さんが体調を崩され、
文言のチェックが滞ったままUPできない状態だったのです。
 
今は、すっかり元気になられたようで、一安心です。

講演会終了後、すぐに神谷さんから御礼状をいただきました。
講演会でお世話になったことの御礼に加えて、
講演会が好評であったその成功が
ぼくのお陰である事の御礼が添えられていました。
これは、準備したものとしてとても嬉しいものでした。

師山本忠司は、自らが建築家であることだけでなく、
自分が関わった多くの作品に並々ならない愛着と誇りを持っており、
その評価を高めるための活動を、労を厭わずに尽力していました。
ぼくは、香川の建築・アートから多大な熱量をいただきました。
そして、それを伝えるお手伝いをすることが、
先達の方々への恩返しだと思っています。

丹下展の準備の多忙な中多大な協力をいただきました
香川県の佐藤龍馬さん、今瀧哲之さん、本当にありがとうございました。
また、すべての段取りと調整をしていただいた、
香川県建築士会高松支部青年部会の宮本教博部会長をはじめとする
部会のメンバー、そして部会のOB諸氏、
関わった人たちの魂が響きあう場を設えていただき
ありがとうございました。

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今回の講演会が、少しでも多くの人に、
熱量を伝えるこことなれば幸いです。

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2013.11.22

伊勢神宮遷宮

今年は、伊勢神宮の20年に一度の遷宮の年です。

先日、伊勢詣でに行ってきました。

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伊勢神宮は、20年に一度、左右に社を建替えて遷宮します。

前回の20年前は、ちょうど大学院を卒業して、
師山本忠司の事務所に勤め始めたばかり。
その時に、伊勢神宮の遷宮の話がよく出ていて、
「今回はタイミング的に行くのは無理だけど、
 20年後って、想像つかないな!」
と思っていましたが、20年経ちました。(笑)

その時は、新聞やTVで大きく扱われることもなく、
「こんなに大きなイベントなのに!」って思っていましたが、
「パワースポット」なる言葉も定着した今、大変な人でした。

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まず、行く予定の2週間前に伊勢神宮近くでのホテルを探しましたが、
全く空きのない状態でした。
結局、名古屋で前泊し、朝、近鉄で行くことにしました。

20年というサイクルは、建築技術の伝承などから。
真新しい檜の光沢のある社と、20年を経て、
周囲の自然と同化するかの如き社の対比は、
時の流れを如実に物語っています。

伊勢神宮には、食物・穀物を司り、神衣食の守護神である、
豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る「外宮(げくう)」と、
我が国で最も貴く、国家の最高神であり、皇室のご先祖である
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る「内宮(ないくう)」があります。

まず、「外宮」を参拝してから「内宮」を参拝するのが古来からの習わし。

ともに、神社の聖域の入口は、橋によってつくられています。
この橋は、「外宮」では左側通行、「内宮」では右側通行。

そして、鳥居の前で一礼するのが習わし。

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周囲の木々に囲われるよう、木漏れ日と呼応するように建ち、
敷地の微妙な高低差を、アプローチとしての高揚と、
絶妙に仕掛けられたアングル。

小学校低学年の時に、家族で来た記憶はありますが、
当時はそんなことを、微塵も感じていませんでした。(笑)

日本の最南端と考えられていた山深い紀伊半島は、
山陰同様、精霊に満ち満ちた風景。
伊勢神宮周辺の、森羅万象に霊気と精霊を感じる様は、
俗世と未知の外界との結界であることを感じさせます。

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2013.11.05

出雲大社遷宮

今年は、出雲大社の60年に一度の遷宮の年です。

先日、建築士会の松江での全国大会へ出席に合わせて、
出雲大社詣でに行ってきました。

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今年は、伊勢神宮の20年に一度の遷宮の年で、
大きく取り上げられていますが、出雲大社は、
60年に一度の遷宮の年。

伊勢神宮は、天照大神を祀り、20年に一度、
左右に社を建替えて遷宮します。
出雲大社は、大国主命を祀り、60年に一度、
屋根を葺き替えて遷宮します。

出雲大社は、やはり神聖な朝に詣でたいので、
まずは、現存する最古の大社造りの「神魂(かもす)神社」へ。

国宝です。

神を感じる佇まいです。

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神魂神社の目の前の田んぼは、稲刈りが終わり、
束ねた稲の縄文的造形がつくり出す光景は、神事の如く。

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出雲大社は、山の裾野に鎮座します。

神社や寺のアプローチは、通常、「上方」を意識させますが、
出雲大社は下って行きます。
それは、母胎内に回帰するかの如く、どこか懐かしく、
おおらかに抱かれるように。

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そして、洋の東西を問わず、聖域の軸線はシンメトリーで強調されるものですが、出雲大社では、シンメトリーを回避します。
参道の中心には松が植えられ、参拝者は軸線を感じながらも、
軸線から外れた場所を進みます。

鳥居は、参道の軸線からズレ、拝殿もされにズレます。

拝殿をぐるりと回り込むと、三重に囲われた本殿。
その重厚な佇まいは、日本人であることを自然と意識します。

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古代の神殿は、空にそびえるかの如く、高いものであったようです。

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神々が集う場、出雲大社。

その神々は、出雲大社へ行く前に、稲佐の浜に来ます。
神々の「駅」のようなものでしょうか。
長大な砂浜に、ポツリと突然隆起した岩。
まさに神の所業という光景。

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そこから、すぐ陸地に入ったところに、
神々が一旦立ち寄る「上宮(かみのみや)」。

出雲大社へと向かう際に、旅装束から、一旦落ち着いて、
正装で向かう前に気持ちを落ち着ける場所でしょうか。
そう思うと、ユーモラスでもあります。

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神々が集う山陰は、精霊に満ち満ちた風景。
いつも雲がかかり、魑魅魍魎を生むのかのような光。
森羅万象に霊気と精霊を感じる様は、
八百万の神々を自ずと生んだのでしょう。

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2013.10.22

専松山 願教寺

高松で進めてきた、「専松山 願教寺」が完成しました。

浄土真宗のお寺です。

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2011年2月、高松青年会議所の先輩である砂川武彦さんから
お電話をいただき計画がスタートしました。

現在お寺のある場所から、今回の計画の場所に、お寺を建て替えて
移動するという計画。

砂川武彦さんのお父さんが檀家の総代さん。
若い住職とそのお母さんのために、これからのお寺として、
良い計画となるように、様々な論点から、最も腐心されている方でした。
そもそも大工さんで、建築には精通していますが、
住職や息子さんたちの若い世代で、計画をすすめるべきだということで、
武彦さんの後輩であるぼくに、依頼されたという経緯です。

計画は、「本堂」と「庫裡」。
「本堂」は、御本尊を祀る「内陣(ないじん)」と、
参拝者の礼拝の場所の「外陣(げじん)」の
ふたつの空間からなります。

「庫裡(くり)」は、僧侶の居住する場所、
一般的に言う「住宅」に該当します。
今回は、「本堂」と「庫裡」のふたつの空間を計画することに。

建設地は、細い道に建物が密集している場所で、
車の通行さえ容易ではない場所。

広い敷地のどの位置にどのように配置をするのが、
もっとも良いのかというスタディーを何案も検討しました。

そうした中で、「庫裡」のスペースは書院を兼ね、最小とし、
南側の旧街道からのアプローチを考慮した配置計画となりました。

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この場所は海岸線に近く、地盤が良くありません。
伝統的な瓦葺きだと重量が重くなり過ぎるため軽量化することと、
本堂の大きな空間を考慮し、鉄骨造で計画しました。

工事車輌の進入路は、隣接する駐車場の通路部分を利用させていただくことで、確保することを念頭に置いていました。

ところが。
建築工事の請負が谷口建設興業さんに決まり、営業の古川忠利さんと、
工事の準備のために、駐車場の通路部分の借用の手配や、利用者の方の
代替え駐車場の手配などを進め、地権者さんにお願いに行ったところ、
あっけなく、断られました。

なんでも、地権者さんの娘さんのお話では、お母様はご高齢で、
そういう相談は難しいと。
それから、条件等を古川さんともう一度練り直し、
また、隣に住む方が、地権者さんの息子さんで、ぼくの親友の勤める
大手ゼネコンの方だとわかり、希望を持って説明に上がりました。

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ところが、条件うんぬんではなく、お母様はご高齢な上に、
心労に敏感で、だから、そういう話を切り出すことも遠慮したい。
ということで、丁重に断られました。

そうなると、重機が入らないのは確定となり、
ようやく進入できる軽トラックを前提として再検討。
建物は木造で、かつ、軽量な部材を組み合わせる構造とし
監督の山本さんらと検討を重ね、ようやく着工と相成りました。

先にアップしました起工式、そして上棟式は、
長く困難な道程を経ているだけに、特別な感慨がありました。
http://yharch.cocolog-pikara.com/blog/2012/11/post-483a.html

http://yharch.cocolog-pikara.com/blog/2013/04/post-6254.html


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敷地は、とても入り組んだ場所です。
敷地の南側に、旧街道があります。
そこからの、とても狭い道を進むと、建物の一部とサインが
少しずつ近づいてくる。そんなアプローチです。

様々なアプローチを検討しましたが、
ポーチ→エントランス→廊下→外陣→内陣を、
同一の軸線上に構成することが望まれました。

そして、数年前の浸水の経験を踏まえて、床面を周辺地盤より1mに。

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宗教建築は、アプローチがとても重要です。
神聖な礼拝の空間へ至る、精神的高揚感を生み出す場面の展開こそが、崇高さを感じさせるのです。
ポーチの高さは、周辺の建物のスケールに合わせて、やや抑えています。
そして、ポーチからエントランスへの階段で、
わずかながらも心理的距離感を生んでいます。
エントランスは、廊下よりも天井を低くし、ここでも上方への動きを持たせ、実際の距離よりも長く感じさせることを目指しています。

ご高齢の方が多く利用されることを念頭に、
段差を安全に、そして効果的に活かすよう考えました。
エントランスの下足入れには、家具と一体となった手摺を設置。

そして、目の前にこの建物の統一された鴨居のラインがあり、
その上部には、お寺の「山号板」。
外陣は全て、障子で囲われ、大きな法要を想定して、
障子を外せば、周囲の廊下と一体になるように計画しました。

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内陣は、浄土真宗の「極楽浄土」を表す金箔張り。

西側には、寺務所と、お茶室として利用することを想定した、
六畳と八畳の、続き間ともなる書院。

これから作庭予定の西側のスペースに向かって、
サービス動線となる広縁。

そして、水回り。

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とても長い時間を掛けて、ようやく竣工に到りました。

これまでに要した時間は、まったくの無形の状態から、
多くの関係者の潜在意識の中にある、「あるべき願教寺の姿」を
共有するには、必要な時間であったのだと思います。


御本尊が越してくるのは、しばらく先になりそうですが、
良い祈りの空間を提供できたのであれば、幸いです。

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2013.10.08

house sm

徳島市で進めてきた、住宅が完成しました。

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ASJ徳島スタジオの仕事です。

しかし、完成に至るまでには、平坦な道程ではありませんでした。

2010年から計画を始め、2011年の雪の日に、
地鎮祭を終えました。
http://yharch.cocolog-pikara.com/blog/2011/02/post-9130.html

ところが。

その地鎮祭の後、問題が起こりました。
通常、地鎮祭の後、近隣へ現場監督さんとご挨拶に伺います。
「工事が始まります。ご迷惑をおかけします。
 越してきた際にはよろしくお願いします。」ということで。

その場所は、工場が無くなった後、真ん中に道路をつくり、
そこだけで完結する8戸の住宅団地。

その一番奥が計画地でした。
他の7戸は既に生活をしています。

そして、計画では、住宅だけではなく、近くに住む、
お父さんの営む理髪店が併設されていました。
理髪店を引退後は、奥さんが犬のトリマーのお店として
使用する計画でした。

これが、問題になったのです。

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この住人が結託し、不特定多数の人が利用する店舗は認めない、
理髪店やトリミングの不潔なものを水路にも放流させないと。

建築基準法上は全く問題ありません。
また、土地売買の際の規約にも、店舗を営むことの禁止事項は
記載されていませんので、規約には一切抵触していません。

ですから、これは住民たちの単なる言いがかりで、法的には何ら問題はありませんでしたが、これから何十年と住もうとしている場所で、最初から揉め事を持ち込みたくないのは誰でも同じ。また、理髪店とトリミングの店は、営業が困難なこと必至。

随分と悩まれましたが、結局、この場所を諦めることとし、
一年後に、新たな土地を探すことから再スタートしました。

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そして、この一年の間に、これからの生活を十分に考えることとなり、
阿南市から、通勤や子供たちの通学のことを考慮して、
徳島市の中心部分の敷地を検討することになりました。

とはいえ、地価がずいぶんと違いますので、最小限の敷地。
その中で、今回の敷地に出会いました。

徳島県庁の目抜き通り沿いの一画。
L型の変形の敷地ですが、必要な諸室がインプットされているので、
一目見て、「これはピッタリだ!」とヒラメキました!(笑)

案の定、敷地にプランを描いてみると、ドンピシャ!
全く無駄のない、完璧な形状でした。

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1階には、トリミングのお店・住宅への玄関・将来的にご両親を呼べるように一室、そして、洗面脱衣とお風呂・トイレ・収納。

2階には、リビング・ダイニングと寝る・着替える・収納のスペース。


ただし、この場所で最も懸念されたのは、全面の国道の騒音でした。

2階のリビング南側には、バルコニーを設ける配置は
当初からありましたが、音を遮りながら光を取り入れるように、
半透明のガラスのスクリーンを設けることにしました。
このガラスのスクリーンは、プライバシーと日照を確保しながら、
騒音を遮り、そして生活の様子をわずかに伝えるものです。
そして、バルコニーの上部も、わずかに風が抜けるように。

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あとは、開閉の調節の自由度が高いルーバーサッシュを適宜。

クライアントのご主人は、高校の数学の先生で、かつ、演劇部の顧問。
細かな建築の見え方や、設計の細部にまで関心が及びました。
建築の専門家でも気づかないような部分に質問が及び、
ぼくも、喜んで応える、といったことがよくありました。(笑)

また、あれこれと「仕掛け」を考えることが好きで、
到底難しいと思っていた、階段からトリミングの店への階段も設置。
そして、1階の両親の部屋の様子を2階のリビングから
確認できるように、のぞき穴も設置。

寝室は、2段ベットのようなロフトとなり、上部は寝室。
下部は、当面は小さな子供たちの遊び場であり、収納のスペース。

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などなど、楽しい仕掛けがたくさんの住宅となりました。

建築に求められる機能は、そのスペースごとに全く異なります。
ただし、一見何の関係もないような諸要素が、
あるルールを見出した途端に、一挙に整理される。

それは、因数分解のように。

そして、そのルールは、細部にまで及ぶ。

クライアントは、そうした建築の成立の仕方に
強い関心があったのだと思います。

向田邦子のエッセイは、何の関係もないと思われる、
複数のストーリーが、最後に見事につながります。

そうした、演劇と数学の共通の魅力が、
実は、建築にも通じるものであることを、
改めて感じさせていただいたお仕事でした。

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2013.10.07

house kk

多度津町で進めてきた、住宅が完成しました。
 
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昨年6月、「設計を依頼したい」とのご連絡を頂き、
計画がスタートしました。

田園のどかな多度津町の住宅団地の一画。
数年前に、平屋の建物付きの土地を購入され、
その場所に建替える計画です。

最初の顔合わせは、事務所に来ていただきましたが、
ふたりのお嬢さんが小さいこともあり、
その後の打合せはご自宅に伺い行いました。
 
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ご夫婦ともに、「house kf」のご主人と知人で、
この住宅をとても気に入り、依頼を決めたとのこと。

要望は、最低限の必要諸室。
とにかく、ぼくの方から提案して欲しいとのこと。

田園地帯の広い区画の住宅団地。
平屋の住宅の並ぶ、ゆるやかなスケール感。

建物が建つことで、そのスケール感が浮かび上がるような、
「余白」を与える建ち方が良いと考えました。
 
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小さなお子さんがお留守番することが多くなりそうなので、
防犯上、外周面に大きな窓は設けず、
風を取入れるスリット状の窓を適宜配置。
2階に中庭を設け、それに面する吹抜けが階下に光を届ける。
中庭と小さな吹き抜けが、この住宅の各室に、
緩やかな一体感と程よい距離感を与えます。

最初の提案をとても気に入ってくださり、
後は、もう微調整。

8月には実施設計を終え、見積依頼。

11月には建築工事請負契約となりました。

それにしても、大きな中庭ではないので、
リビングが暗くなり過ぎてないのか、それが心配で、
空間がほぼ把握出来る状態になって、
フローリングの発注のギリギリのタイミングまで悩み、
ウォールナットとしました。
結果、落ち着いた佇まいとなり、光がより印象的になりました。
 
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玄関先の外構は、家に導く低い壁と、幾何学的なさらに低い壁。
実は、既存の浄化槽との取合いがうまくいかず、
苦肉の策から生まれましたが、面白いアプローチになりました。

温厚なご夫婦と、とても元気な子供たち。

家族の成長をやわらかく見守り包み込むような、
そんな鷹揚な住宅となることを願っています。

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2013.09.04

「くいもんや おか村」OPEN!

  9月5日、和食のお店「くいもんや おか村」がオープンします。

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ある日、桜町中学野球部の先輩、レストラン「マルシェ」のオーナーシェフ大石朋宏さんから連絡があり、ホテルクレメント高松の後輩が独立するので協力してやって欲しいと。

そして、紹介されたのが岡村秀人さんでした。

岡村さんは、福井県の出身で、縁あって高松に来られ、独立することに。
本格的な和食の道を歩んできた岡村さんですが、「料亭」や「割烹」ではなく、お店は地元に根付いた昔ながらの「居酒屋」のようなリーズナブルで庶民的なお店にしたいと。これは、フレンチの道を進みながらも「まちの洋食屋さん」を営む大石先輩と共通しています。

お店は、カウンター10席程度と小上がりの和室、予算から考えて出来ればそのままの状態で使えそうな「居抜き」が理想、という物件を探し始めて数ヶ月、これという物件に出会わないとのことで、まずは物件探しのお手伝いから。

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昨年の「美酒酒場 夜間飛行」の移転の際にもよい物件を斡旋していただいた、久本酒店の佐藤省吾さんに条件を伝えたところ、「今は、その規模の物件が少ないのですが、探してみます」と。

数日後、よい物件があるとのことで岡村さんと一緒に現場へ。そこには、佐藤さんと共に、高松のまちなかの面白物件に精通している不動産のセイコウの筒井正広さんが。これは最強タッグ!

そして、物件は、まさにカウンター10席に、小上がりの和室!
お店は「割烹」というよりは和食の「料理屋」。
10数年営業しているが、大将が引退するため7月末まで営業。

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「居酒屋」だと、もう少しテーブル席が欲しいが、岡村さんが求めているお店だと、レイアウトも変えずに使えるから「これ以上の物件はありません!」と佐藤さん&筒井さんも太鼓判!

それが、6月の初旬。
そこから、岡村さんには、店舗の賃借契約や資金計画などのへの手続きにかかってもらい、ぼくは、店舗の見積に取り掛かる。

店舗のレイアウトは基本的にそのまま。
ただし、いたるところに汚れや痛みが出ているので、とにかくどこにお金を使うかを腐心する。岡村さんは、本格的な和食の道にいた人なので、絶対に清潔感を持った状態にまではしないといけないと思いました。

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店のつくりそのものは悪くないので、外壁の水垢と汚れを極力落とし、室内の木部を徹底的に研磨し、塗装をやり変える。取り替えたのは、店の入口の扉くらい。これは、「店内の様子が外からある程度わかるつくりにしたい」という岡村さんの要望。後はとにかく美装で。

おかげさまで、やわらかく落ち着いた、肩肘張らない、柔和な岡村さんらしい店舗になったのではないかと思います。

工期の短い中、テキパキと工事の段取りをしてくれたのは、北原建築工房の北原正敬さん。そして、カウンターなどとにかく研磨してくれたのは、北原さんと瀬戸内国際芸術祭の山口啓介さんの「歩く方舟」やレアンドロ・エルリッヒの「美しく捨てられて」で協力してもらった、塗装屋さんのペインターズ・プロの末広くんと家具建具の丸生木工所の生島さんのチーム。

和室のテーブルと表のサインは、ぼくのポリテクカレッジの最初の教え子で、桜製作所にいたアンチポエムの松村亮平くん。

和室の間仕切りは、ぼくが山本忠司の事務所に入って最初に担当した住宅のクライアントで、ヤノインテリアの矢野和宏さん。丸亀町のお店「モアニ」もお手伝いさせていただきました。

お店のハガキや名刺は、お店から20mの場所に事務所があるROOT BOOKSの小西千都子さん。

とまあ、気心の知れたメンバー総出の仕事と相成りました。

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今回の仕事は、とにかく、今ある状態をより清潔に見えるようにという最小限の手数を求められる仕事。小西さんとお店の方向性を確認する中で、とにかくさりげなくやりすぎないことが、とても大切だと思いました。
つまり、「よくデザインされている」というよりも、むしろ控えめな。
それは、岡村さんの料理に対する姿勢そのものであるのだと思います。
素材の持つ魅力をそのままに、手を加えることでその魅力を引き出すような。派手さはないけれど、しっかり心に刻まれるような。

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和食のお店「くいもんや おか村」が、9月5日にオープンします。

「くいもんや おか村」

香川県高松市瓦町1-1-11
17:00-23:00 日曜定休
TEL 080-4073-7511

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