豊島再訪/「豊島美術館」
現在、浪人をしている娘は、建築系の大学にすすむようで、
AO入試に向け、自己推薦文を書くにあたり、「豊島美術館」に行きました。
2010年、瀬戸内国際芸術祭を巡った時、豊島を巡りましたが、
「豊島美術館」はまだ工事中でオープン前でした。
その時、小学6年生。
中学に入ると、部活や勉強の都合で訪れることが出来ず。
その間、反抗期に入り、あいさつも会話もつっけんどん。
ぼくもそうでしたが、大人になる過渡期で、
本人はとても葛藤していたのだと思います。
今年に入り、受験校の決定など会話する機会が多くなり、受験を終えた頃から、
以前のように屈託のない笑顔で話をしてくれるようになりました。
ともに、受験を闘ったという意識からでしょうか、
ともかくひとつの苦難を乗り越えたようです。
2年前、高校2年生の時、東京へオープンキャンパスに行きました。
「商業施設の設計がしたい」という娘を、表参道に。
ここには、世界の名だたる建築家のファッションビルが建ち並んでいます。
安藤忠雄「コレッツィオーネ」、ヘルツォーク&ド・ムオロン「プラダ」、
青木淳「ルイ・ヴィトン」、妹島和世+西沢立衛「ディオール」etc.
学生時代から、何度も訪れた場所です。
その際も、最小限の説明しかしませんでした。
もちろん、普段なら、建築家が何を考え、何をどう表現しているのか
細部にいたるまで解説します。(笑)
それでも、その時は「ふ~ん、よく知ってるね」という塩梅。(笑)
その頃から考えると、娘と建築やアートについて、
また、それに関わった人たちの話をするのは、夢のような至福の時間です。(笑)
今回は、ふたり旅。
台風の過ぎ去った後、快晴の瀬戸内海を渡り豊島へ。
家浦港から自転車で「豊島美術館」へ。
2007年香川県建築士会の講演会の講師として、
建築家西沢立衛氏をお招きした際、
この「豊島美術館」の素となる計画案のお話を伺いました。
当時は、直島に建設予定でしたが、瀬戸内国際芸術祭の開催が決定の後、
現在の場所での計画となりました。
島の起伏の頂点を越え、消える道の向こうに海が見えます。
その道を下ると、眼前にはパノラマに広がる瀬戸内海、
左手には豊かな表情の棚田。
そして、右手のこんもりとした森に包まれるように「豊島美術館」が見えます。
敷地に入り、斜面に埋めこまれた受付でチケットを購入し、美術館へ。
美術館へは、小径に導かれます。
木々の木漏れ日を抜け、海に開き進みます。
美術館に近づいたところで、靴を脱ぎます。
美術館の空間は、3次元に膨らんだ260mmの厚さのコンクリートの
床板で出来ています。
小さな入口と、2か所の大小の円形に切り取られた開口にガラスはなく、
空の明るさが美術館内部の照度となり、刻々と動く太陽により、
照度分布が変化します。
ちなみに、内部は撮影禁止ですので、掲載の写真はネット上のものです。
よくみると、床には水滴が散在しています。
「母型」と名付けられた、内藤礼さんによる作品です。
床から生まれた小さな水滴は、しっかりと膨らみ、
耐え切れなくなると勾配によって動き出します。
するすると動く水。
ゆっくりとゆっくりと、キラキラと動く水。
寄り添う水。
離れる水。
床と水にやわらかく反射した光に満ちた空間。
初めて訪れた時は、空間を意識するあまり気を付けていたつもりでしたが、
靴下がびちょびちょに濡れました。(笑)
台風が過ぎた後のやや強い風が、
いつもよりわずかに強い木々の音を生んでいました。
西沢さんのコンセプトは、当初より水滴でした。
当初のアーティストは、具象の彫刻家でしたが、
空間のイメージが明確になる中で、内藤さんに。
まったく外の空間。
洞穴の奥の空間。
場所により開放感・閉塞性が異なります。
2か所の円形の開口部のリボンは、風に乗ってゆっくりと舞う。
建築空間と作品が不可分な関係となり、どちらも生命の権現である水からなる。
直径2mmの186か所から生まれる水。
拝観者は、静かにゆっくりと水の動きを見つめる。
移ろいゆく時間に、自らの存在を重ねる。
自己の内奥に深く問いかけるような、豊かな空間でした。
工事施工は、親友の池口泰彦さんがベネッセ営業担当の鹿島建設。
監督は、豊田郁美さん。
この3次曲面のコンクリートを如何にきれいに仕上げるのか苦慮した豊田さんは、
毎朝、ゆで卵を食べ、どうすればきれいに殻が外せるのか研究したようです。
結果、土を盛って締固め、表面にモルタルを塗って型枠としました。
床には、撥水剤が塗布されています。
水のはじき加減で、水滴の形状、動きが変わります。
内藤さんと何度も試行錯誤を繰り返したようです。
同級生の建築家安部良さんの「島キッチン」でスィーツを食べ、
クリスチャン・ボルタンスキーの「ささやきの森」へ。
木々を深く分け入ると、落ち葉を踏む足音の向こうに、涼やかな音。
願い事の書かれた札が生む、風鈴の森。
「豊島横尾美術館」では、2010年の民家での作品の赤い石の庭が蘇る。
横尾忠則のエネルギー溢れる世界観に圧倒される。
最後は、当時、竣工へ向けて追込み工事中だったトビアス・レーベルガー。
ここでも、スィーツを。(笑)
真っ黒に日焼けし、無邪気だった小学6年生の娘と廻った豊島。
自我の葛藤を乗り越え、
また屈託のない笑顔を見せてくれるようになった19歳の娘。
当時の印象を振り返りながら、年齢を重ねた今だから出来る、
作品について、建築について、作家についての会話は、
台風の風が厚い雲を拭い去った空、
多くの雨水をなみなみと湛えた瀬戸内海の豊かな表情と共に、
忘れられない時間となりました。
まだまだ、受験は続きますが、今日のこの時間が
がんばるエネルギーとなればと願います。
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