専松山 願教寺
高松で進めてきた、「専松山 願教寺」が完成しました。
浄土真宗のお寺です。
2011年2月、高松青年会議所の先輩である砂川武彦さんから
お電話をいただき計画がスタートしました。
現在お寺のある場所から、今回の計画の場所に、お寺を建て替えて
移動するという計画。
砂川武彦さんのお父さんが檀家の総代さん。
若い住職とそのお母さんのために、これからのお寺として、
良い計画となるように、様々な論点から、最も腐心されている方でした。
そもそも大工さんで、建築には精通していますが、
住職や息子さんたちの若い世代で、計画をすすめるべきだということで、
武彦さんの後輩であるぼくに、依頼されたという経緯です。
計画は、「本堂」と「庫裡」。
「本堂」は、御本尊を祀る「内陣(ないじん)」と、
参拝者の礼拝の場所の「外陣(げじん)」の
ふたつの空間からなります。
「庫裡(くり)」は、僧侶の居住する場所、
一般的に言う「住宅」に該当します。
今回は、「本堂」と「庫裡」のふたつの空間を計画することに。
建設地は、細い道に建物が密集している場所で、
車の通行さえ容易ではない場所。
広い敷地のどの位置にどのように配置をするのが、
もっとも良いのかというスタディーを何案も検討しました。
そうした中で、「庫裡」のスペースは書院を兼ね、最小とし、
南側の旧街道からのアプローチを考慮した配置計画となりました。
この場所は海岸線に近く、地盤が良くありません。
伝統的な瓦葺きだと重量が重くなり過ぎるため軽量化することと、
本堂の大きな空間を考慮し、鉄骨造で計画しました。
工事車輌の進入路は、隣接する駐車場の通路部分を利用させていただくことで、確保することを念頭に置いていました。
ところが。
建築工事の請負が谷口建設興業さんに決まり、営業の古川忠利さんと、
工事の準備のために、駐車場の通路部分の借用の手配や、利用者の方の
代替え駐車場の手配などを進め、地権者さんにお願いに行ったところ、
あっけなく、断られました。
なんでも、地権者さんの娘さんのお話では、お母様はご高齢で、
そういう相談は難しいと。
それから、条件等を古川さんともう一度練り直し、
また、隣に住む方が、地権者さんの息子さんで、ぼくの親友の勤める
大手ゼネコンの方だとわかり、希望を持って説明に上がりました。
ところが、条件うんぬんではなく、お母様はご高齢な上に、
心労に敏感で、だから、そういう話を切り出すことも遠慮したい。
ということで、丁重に断られました。
そうなると、重機が入らないのは確定となり、
ようやく進入できる軽トラックを前提として再検討。
建物は木造で、かつ、軽量な部材を組み合わせる構造とし
監督の山本さんらと検討を重ね、ようやく着工と相成りました。
先にアップしました起工式、そして上棟式は、
長く困難な道程を経ているだけに、特別な感慨がありました。
http://yharch.cocolog-pikara.com/blog/2012/11/post-483a.html
http://yharch.cocolog-pikara.com/blog/2013/04/post-6254.html
敷地は、とても入り組んだ場所です。
敷地の南側に、旧街道があります。
そこからの、とても狭い道を進むと、建物の一部とサインが
少しずつ近づいてくる。そんなアプローチです。
様々なアプローチを検討しましたが、
ポーチ→エントランス→廊下→外陣→内陣を、
同一の軸線上に構成することが望まれました。
そして、数年前の浸水の経験を踏まえて、床面を周辺地盤より1mに。
宗教建築は、アプローチがとても重要です。
神聖な礼拝の空間へ至る、精神的高揚感を生み出す場面の展開こそが、崇高さを感じさせるのです。
ポーチの高さは、周辺の建物のスケールに合わせて、やや抑えています。
そして、ポーチからエントランスへの階段で、
わずかながらも心理的距離感を生んでいます。
エントランスは、廊下よりも天井を低くし、ここでも上方への動きを持たせ、実際の距離よりも長く感じさせることを目指しています。
ご高齢の方が多く利用されることを念頭に、
段差を安全に、そして効果的に活かすよう考えました。
エントランスの下足入れには、家具と一体となった手摺を設置。
そして、目の前にこの建物の統一された鴨居のラインがあり、
その上部には、お寺の「山号板」。
外陣は全て、障子で囲われ、大きな法要を想定して、
障子を外せば、周囲の廊下と一体になるように計画しました。
内陣は、浄土真宗の「極楽浄土」を表す金箔張り。
西側には、寺務所と、お茶室として利用することを想定した、
六畳と八畳の、続き間ともなる書院。
これから作庭予定の西側のスペースに向かって、
サービス動線となる広縁。
そして、水回り。
とても長い時間を掛けて、ようやく竣工に到りました。
これまでに要した時間は、まったくの無形の状態から、
多くの関係者の潜在意識の中にある、「あるべき願教寺の姿」を
共有するには、必要な時間であったのだと思います。
御本尊が越してくるのは、しばらく先になりそうですが、
良い祈りの空間を提供できたのであれば、幸いです。
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