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2011.03.30

カズ! 東北へ届け、魂のゴール!

大震災の直後、3月29日に予定していた
サッカー日本代表の国際試合が中止になり、日本サッカー協会は、
すぐに、Jリーグ選抜とのチャリティーマッチとしました。

Jリーグ選抜には「カズ」こと三浦和良選手が選ばれ、
久々に「代表」として試合に臨みました。

残り15分に出場したカズは、後半36分、
縦のロングボールに飛び出し、闘莉王が競って落としたボールに
そこしかないタイミングで走り込み、ゴール!

そして、カズ・ダンス!





カズは、15歳で単身何のあてもないブラジル・サッカー界に乗り込み、
プロとして活躍するまでに登りつめ、
いわば叩き上げてきたブラジルでの地位を捨て、
1990年、日本代表の試合はいつもガラガラだった当時、
「日本をワールド・カップへ連れて行くために帰ってきた」。

読売サッカークラブに入団。
そして、代表入りすると、ダィナスティー・カップ、アジア大会を
続けざまに優勝へと導き、遠くはるかかなたのW杯出場が
ようやく現実の目標となってきたのです。

そして、1993年Jリーグ開幕。
ようやく日本サッカー界にプロが登場。
プロらしい立ち振る舞いとプレーの象徴がカズ。
プロに必要な高い質のパフォーマンス=ゴールの後の
サポーターとのパフォーマンスが、ブラジル仕込のカズ・ダンスでした!

その年。アメリカW杯予選を順調に勝ち抜き、
目前に見えたW杯出場の切符は、勝利目前のロスタイム、
手のひらからスルリと逃げたのでした。

簡単ではないW杯。

翌1994年。
日本人として始めてイタリア・プロリーグ、セリエAのジェノアに移籍。
翌年には読売ヴェルディに復帰。

そして、念願のW杯フランス大会の出場を決めたにも関わらず、
大会登録メンバーから外され、帰国。

誰よりもW杯出場を強く夢見て、
誰よりもW杯出場を真剣に望み、
誰よりも決定的なゴールを決めた男が、
切符を手にし、後はその宴を楽しむだけだったのに、
追い返されてしまったのでした。

その後は、代表に呼ばれることもないまま、
しかし、44歳になった今まだ夢を見続けているカズ。

サッカーに取り組むその真摯な姿は、
感動と熱量を与えてくれます。

今回のチャリティーマッチにはカズのサッカー人生そのものを掛ける
そういう強い思いが伝わるゴールでした。

「本当にみんなの気持ちが一つになったゴールだったと思います。
 これが東北の皆さんに届くことを祈っています。
 きっと届いたと思います。
 みんながついていると思いますので、
 日本全体、世界全員でこの危機を乗り切りましょう!


みんなに力を与えてくれた素晴らしいゴールをありがとう!
同級生のあなたを誇りに思います!

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「野球」卒業

関心も興味も経験も、見たことすらなかった野球をすることになったのは、小学校2年生の初夏のことでした。

小さい頃から、モノを投げてみて、捕ろうとする姿(捕れない!)を観て、即座に球技は向いてないなと。

小学校に入ったころ、「とおさん、バトミントンしよう!」と。
サーブをしようとするが、一向にラケットにすら当たる気配はなし。

そんな時、保育園から仲のよかった女の子の友達が、野球チームに入った。
へ~っ。と、思っていたら、「練習を見に行きたい!」と。
「えっ、マジで! だって、ルールどころか、
 野球とサッカーの区別もつかんやん!」と、思いながらグランドへ。

見学に来た子供は、だいたい、一日一緒にやってみるので、
南監督が「遠慮せずにいっしょにやってください!」と、勧めてくれたものの「いえ、ホントにまったくやったことも無くて。」と。(汗)

そして、見学終了。

「まあ、やらんわな!」と思ってましたが、「やりたい!」と。

マージーでー!

本気で止めました。

休みはないし、どこにも行けないし、やると決めたら卒業まで毎日、
一生懸命やらないと面白さもわからないよと。

「それでもいいから、やりたい!」と。

マージーでー!

どヘタクソなのはもうとりあえずあきらめるとして、まずは着こなしから。

帽子は、団の指定のスポーツショップへ行って、みんなそこで道具をそろえるので、同じようなものを身につけていました。

アンダーシャツは襟にマークの入ったナイキ。
スパイクもナイキ。
バットはナイキのレインボーカラーの松井稼頭雄モデル。
ユニフォームとグラブはローリングス。

とりあえず、道具は完璧!

そのせいか、最後まで着こなしにはうるさかった。

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グランドにいるあいだは、ヘタクソなりに一生懸命。

でも、それだけで目に見えてうまくなるほど甘くはありません。

野球は、覚えることがとても多いスポーツ。
野球のことばかり考え続けるくらいでちょうどいい。

しかし、そこまでは、なかなか到りません。

3年生の夏過ぎに、次年度のジュニアチームが出来ることになり、
団の事情で、ぼくは上の学年のヘッドコーチに。

それからは、ほとんど別行動で、見てやることもままなりませんでした。

もっともっと野球に興味を持ってもらおうと、「ダイヤのA」や「大きく振りかぶって」などのマンガを何となく側に置いて、読むように仕向けたり、高校野球に連れて行って、試合前の練習から選手の動きや声の出し方を見せたりしましたが、のめり込むまでは行きません。

4年生の秋、ジュニアチームとして始めて参加した新人戦で、市の大会に優勝しました。
といっても、一度も選手としてグランドに立つことなく。

残すところ、2年を切ったわけです。

ヘタクソなまま。

その時に、話しましたね。

練習も試合も楽しいと。
でも、練習試合にもまともに出してくれない。
試合に出ている子たちが、毎日、練習してるのは知ってる。
だからと言って、毎日、練習してるわけでもない。
それで、あなたは、これからどうするのかと。

このままでは、野球の楽しさもわからないままだよと。

肩はいいので投手を目指して、シャドーピッチングと、
そして、素振りを毎日やると。

それからは、毎日6時15分に起きて、練習。

可能な限り、練習を見てやりました。

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ぼく自身も、上手な子を対象にした教則本に載っていない、
クセのある、下手な子にどう指導をすればよいかというスキルは上がっていたので、しばらくすると、素振りだけならチーム一のフォームになりました。

野球教室などでも積極的にアドバイスを求め、観てもらうと、「いいね!」と。
だけれども、現実には、そう簡単ではありません。
これまでのクセで、どうしても、力みます。
そして余裕が無い。
チームは完全に勝利至上主義で、練習試合さえ出してもらえない。

かわいそうだと思ったし、見ていてつらかったのは、努力したことを認めてもらうことすらなく、努力の成果を練習試合でいいから試す場も与えられず。だけれど、日々、努力しろと言うのは、酷だというもの。


練習の成果で、投球フォームも、よくなりました。

ミソッカスが、ピッチャーとして練習させてもらえるように。
でも、それは6年生の秋。
もう、卒団間近のことでした。
指に掛かったキレのいい球は、見ていてきもちよかったよ。

最後の大会では、登板予定だったのに、練習前のアップ時につまづいて手をついた際に若木骨折。

あの時はつらかったね。

試合までのあいだ、何度も「だいじょうぶ!もう痛くないから、もう一回、病院へ行こう!」って。
その度に、先生が触ると、やっぱり「痛い!」って。

悔しかったね。
最後のチャンスだったから。
とおさんも、かける言葉が無くて、ふたりで、さめざめと泣いたね。

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もう、野球とはお別れだね。

野球やってよかった?

とおさんは、よかったよ。

みおのおかげで、野球というスポーツの素晴らしさを改めて知ることが出来ました。努力し続けることの大切さと、しかし、努力がすぐにかたちに表れないことを知ったことは貴重な経験だと思います。

何より、練習中、試合中、誰よりもチームに力を与える「声」を出し続けたあなたは、どこに出しても恥ずかしくない、立派な野球選手です。

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ありがとう。

よくがんばったね!

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2011.03.24

第83回選抜高校野球大会 選手宣誓 

日本を襲った、未曾有の大震災。

開催の是非が問われる中、観る人たちを勇気づけるために
開催されこととなった今大会。

球場全体の入場行進は取り止めになり、
センターからダイヤモンドへ喪章をつけての行進。

さらに、国旗・大会旗は半旗という、非常事態を物語る異様な雰囲気。

そして、選手宣誓。

創部1年目で史上最速出場を果たした、野球部全員が新2年生の
岡山の創志学園 野山慎介主将が震災からの復興に向けて、
自分たちが甲子園で何ができるのかを、被災地に届けとばかりの
魂を込めた、感動の選手宣誓をしてくれました!



「宣誓 私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
 今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われています。
 私たちの心は悲しみでいっぱいです。
 
 被災地ではすべての方々が一丸となり
 仲間とともに頑張っておられます。
 人は仲間に支えられることで大きな困難を
 乗り越えられると信じています。
 
 私たちに今できること。
 それはこの大会を精いっぱい、元気を出して戦うことです。
 
 頑張ろう!日本。
 生かされている命に感謝して、
 全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
 
 平成23年3月23日 創志学園高等学校 野球部主将 野山慎介」

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2011.03.18

卒 業

娘の通う太田小学校での卒業式でした。

太田小学校の卒業式は、よく練習されており、
在校生が席に着くのも、お辞儀をするのも、「間」が統一されていて、
厳粛な雰囲気をつくりだしています。

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一人ひとりへの卒業証書授与の後、校長先生のあいさつ。
来賓を代表してPTA会長のあいさつ。

在校生全員で卒業生への言葉を送り、
卒業生全員で在校生への言葉を送る、というスタイル。

これまでPTAの役員として何度か見ていることから想像し、
号泣し、嗚咽を抑えられなくなるといけないのでカミ殺すために、
タオルも用意していました。

しかし、今年は全体にそういう雰囲気は無く、
とても厳粛な雰囲気なのに、どこか淡々とした卒業式でした。

原因は、はっきりしています。

一週間前に起こった、未曾有の大震災がまだまだ予断を許さない状況で、
みんなどこか、目の前の子供のことだけに、入り込めないからです。

前夜、津波によって離散した子供たちが、着の身着のまま、
教室で、卒業証書をもらっている姿を映像で観ました。

高松での生活は、何の不自由も無く、子供たちも晴れ晴れとした顔です。

しかし、あの状況が自分たちに降りかかったものだとしたら、
と想像をめぐらせると、手放しでは喜べないのが心情です。

ですが、これは残念なことではありません。

支障ある生活を余儀なくされる多くの方々を思い、心を痛めながら、
ありふれた日常にある幸せをかみしめる、またとない機会です。

娘が、例え、今すぐには分からなくとも、
いつか思い返す「種」を授かったのです。

決して忘れない「種」を。


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はりきりやさんで、好奇心が旺盛で、責任感が強く、超積極的な娘。

しかし、時にそれが行き過ぎて、友達を傷つけ、誤解を招き、涙しました。

傷つけてしまった子供には、詫びるほかありませんが、
その出来事を通して、相手を思いやる気持ちや
こころや感情をコントロールする能力を、
そして、そのことを通して人のために行動することを、確実に身につけ、
こころが豊かになったことを、大きな成長と感じ、うれしく思います。

走り寄って、抱きついて、ってことがなくなったことは、

素直に寂しく思いますが、これも成長。

思い返せば、あっという間の6年間でしたが、
こころもからだも随分と成長しました。

楽しいことも嬉しいことも、苦しいことも悔しいことも、
いっぱい一緒に経験させてもらってありがとう。

まだまだ、自分の生きていく道を模索する途中。

思い悩み、苦しむこともたくさんあるのだろうけど、
自分の道をしっかりと歩んでください。

卒業、おめでとう。

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2011.03.11

「THE BLUES BROTHERS」

一番好きな映画が何?と聞かれると、返答に困るけれど、
一番何度も見た映画は?と聞かれると、即答!

「THE BLUES BROTHERS」!

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高校に入って、ビートルズやローリング・ストーンズから洋楽を聴き始め、
「ミュージックマガジン」をむさぼるように読み、
FMのエアチェックが時間割を合わせるよりも大切になった高2の春、
ロックの源である「ソウル」や「ブルース」の大物が大勢出てる
見逃してはならない映画がTVで放映されるという。

それが、「ブルース・ブラザーズ」!

踊れるデブのジョン・ベルーシとノッポのダン・エイクロイドのコンビが
繰り広げるハチャメチャで音楽満載のエンターテイメント娯楽映画。
何の知識も無くても誰でも楽しめます!

TVで放映されたものをVHSに録画し、モノラルでしたが、
何度も何度も観て、気に入ったセリフなどを弟と真似しあいました。

権利の問題なのか、オリジナル劇場版がビデオで販売されたのは
大学生になってから。
TV放映では大きくカットされていたので、これも何度も観ました。

娘が生まれてから、言葉が分からないうちに、もう毎日のように、
「アンパンマン」とヘビーローテーション!

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ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、ジョン・リー・フッカー
レイ・チャールズ、キャブ・キャロウェイ、マット・ギター・マーフィー!

この映画を通して、彼らを知り、黒人音楽の世界へどっぷり入って行き、
社会的背景と音楽の持つ力など、本当の意味での音楽の魅力を知りました。

この映画の存在は、ぼくの価値観を形成する上で、
大きな出来事であったことは間違いありません。

それはひとえに、製作者のブルース・ソウルへの深いリスペクトと
膨大な熱量が、この映画に溢れているからに外なりません。

知れば知るほど、BGMはもちろん、小ネタ満載!
しかも、それらは必然を持ち、ウィットとペーソスを含んでいます。


先日、上京した際、ふとこの映画の話になり、
「THE REAL BLUES BROTHERS」の相方の
弟が、
「一番好きなシーンは、ジョン・ベルーシが出所した最初の日、
 ダン・エイクロイドの安宿に戻って、ルイ・ジョーダンの
 “LET THE GOOD TIMES ROLL”の
 レコードをかける場面!」。

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ぼくも、この場面が大好きです!

「これから楽しくやろうぜ!」というこの曲は、
ぼくらに音楽の魅力を楽しもうぜ!と、投げ掛けている様でもあります。

娘が生まれて、初めて聴かせたのもこの曲。

感動・興奮・悲嘆・歓喜・記憶!
様々なものがいっぱい詰まっている映画です!

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三島製麺所

映画「UDON」の冒頭、山中で迷った小西真奈美が、
ようやく辿り着いた里山の民家が、実は、うどんやだった。

その店がこの、琴南町の「三島製麺所」。

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昨夏、久々に訪問し、その変貌振りに驚きました!

香川の数ある本当に探し当てにくいうどんやの中でも、
筆頭に上げられるのがこの店でした。

ぼくも、最初に訪ねたときは、目の前に立っても、
うどんやかどうか判断がつかず、何度も何度も周辺をうろうろし、
勇気を振り絞って戸を開けたことを思い出します。

さらに、食べることも難しい!

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2003年発刊「地元うどん通をうならせた さぬきうどん決定録」の
冒頭の爆笑対談の中にもありますが、久本酒店の佐藤哲也社長は、
その時点で10回訪問したのに、食べられたのは5回だと言う。

正確には、食べさせてくれたのが5回。

食べられなかった理由は、店のおっちゃんが、
「今日はつくらん。仕事しとうない!」って。(笑)

その名物のおっちゃんも亡くなり、映画以降は行列が!

今では、店はすぐ見つけ出せ、容易に食べられるようになりました。(笑)

しかし、変わらないのが、周辺の美しい里山の風景と、
おっちゃんのうどんを引き継いだ、
つやつやでしっかり重いコシのあるおばちゃんのうどん。

変わらない、美味さでした。

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2011.03.07

まさごや 朝日町店

「そうめん」の概念を変えたのが、小豆島のそうめんでした。

これは、大袈裟でもなんでもなく、今まで食べていたものとは
似て非なる、まったく違ったものでした。

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パスタでさえ、茹で時間が難しいのに、さらに細いそうめんは、
それを、「アルデンテ」で、ジャストにあげるのは容易ではありません。

その「絶品そうめん」を食べさせてくれたのが以前にも書いた「まさごや」。
http://yharch.cocolog-pikara.com/blog/2007/06/post_5ac1.html

その姉妹店が、事務所から至近にできました。

県立中央病院が移設する、その工事の準備が着々と進む、その近く。

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そうめんは、注文を聞いてから茹でる。

つやつやした麺は、見た瞬間、美味いのがわかる。

天かすは、ややしっかり揚がっているので、カリッとした食感が、
醤油どころ、小豆島ならではの、醤油を際立たせる
やや辛めのダシとの相性もいい!

ポイントは、たっぷりめのしょうが。


「あっ!ウマ!そーめん!!!」
http://www.youtube.com/watch?v=7j2mzeyGZ8Y

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