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2011.01.26

法政大学55・58年館

新しくつくられた、どんなに素晴らしい建築も、
古い建物に決して敵わないことが、ひとつだけあります。

それは「記憶」です。

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ぼくが入学した、バブルの頃、多くの大学は、
手狭になった都心から広大なキャンパスを求めて、
大学都市へと変貌する八王子周辺へと移行、分散していました。

ここ数年、学生数の減少を見越して、本来の都心の持つ魅力を回復するべく、
都心のキャンパスに、大学の機能を戻し、再整備する動きにあります。

母校の法政大学の本拠地は市ヶ谷。
ぼくの所属した工学部は、前身の麻布から1964年東小金井へ。
経済学部と社会学部が、1984年多摩へ。
そして、2000年、市ヶ谷キャンパスに高層棟が建設。
2007年建築系学科は、デザイン工学部として市ヶ谷へ。

ここで、問題になってきたのが、旧校舎。

法政大学の建築学科をつくったのが、建築家 大江宏。

明治神宮宝物殿などを手掛けた、新太郎を父に持ち、
幼児期の日光での宮大工との生活に始まる日本の伝統的な
建築のありかたを肉体的記憶にもちながらも、
近代建築の洗礼を受け、その間での相克が大江の建築の根源にある。

東京大学では丹下健三と同期。

その若き大江宏が、近代建築の洗礼を受け、ガラスで外壁面を構成する
カーテンウォールを日本で最初に実現させたのが、
1953年に竣工した法政大学大学院。

続いて、55年館・58年館と竣工させ、
市ヶ谷キャンパス全体の整備が行われました。

2000年の高層棟計画の際、大学院棟は解体されました。

今回、55・58年館が取り壊しの憂き目に会おうとしてます。

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取り壊し・新築推進派の、その理由は、
まず、現在の耐震性能に問題があり、耐震性能を確保するには
莫大な費用が必要であり、また、設備が現在のニーズに対応できていない、
そして、敷地面積から割り出される床面積を、
最大限、効率よく利用するためだという。

もちろん、これを謳う裏づけとして、建築の専門家がいます。

しかし、法律で定められる、最大の床面積には、もうすでにほぼ限界。

大江宏の建築教育の思想が浸透する法政大学の建築学科には、
それぞれの分野の日本を代表するエキスパートが名を連ね、
特に構造の分野では突出しています。
丹下健三、磯崎新を支え、ぼくも教えてもらった、
青木繁先生・川口衛先生、そして、現在の構造家を代表する佐々木睦朗先生。

その世界的権威が、耐震性を確保するのに「さしたる問題は無い」と。

建築の世界でも評価の高い、建築の本来の姿を残しつつ、
耐震性を高め、設備を再考することで、リノベーションをすることは、
さほど困難なことではありません。


「大学とはどういう場であるべきなのか。」

効率や、人間の力学を学ぶことも大切であることは否定しません。
しかし、「人のこころを豊かにするために」捧げられた、
芸術として高い価値のあるものを認めようとする姿勢と、
また、「開かれた教育」を大学の指針とし、各分野にユニークな人材を輩出した
その場所で多くの議論や思想が営まれた「学び舎」の時間と記憶を、
愛おしむ心を育てなくて、何が大学なのか。


30歳で独立して以来、建築教育の現場に携わってきた人間として、
改めて問いたい。

「ここで学ぶ学生に何を伝えたいのか」

校舎再建の問題は、単なる新築かリノベーションかという問題ではなく、
法政大学がどのような大学でありたいのかを問われているのだと思う。

http://www.55-58saisei.sakura.ne.jp/

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Posted by: ysl Tshirt | 2015.10.02 04:51

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