2010.09.29
2010.09.27
大岩オスカールさんからのメッセージ
瀬戸内国際芸術祭出品作品「大岩島」焼失について
9月26日午後6時55分ごろ、瀬戸内海の男木島の植田
鉄工所付近から火災が発生し、火元のすぐ隣にあった
旧公民館も全焼、展示中だったインスタレーション作
品「大岩島」が焼失しました。この火災で、僕の作品
制作中に何度か様子を見にきてくれたおじいさんが亡
くなられ、とても残念に思います。ご冥福をお祈りし
ます。
焼失した「大岩島」は、もともと古い建築物に設置
されていることと、画材に油性ペンを使っているた
め、最初から長い年月はもたないものだと思っていま
したが、予想外の終わりを迎えてしまいました。「大
岩島」は多くの方々のご協力で実現しました。廃墟と
なっていた旧公民館の片付けから実際の制作、会期中
の運営などすべてに渡ってお世話になった、こえび隊
の皆さん、少ない予算の中から素晴らしい空間を作っ
て下さった建築家の林幸稔さん、スポンサーをしてい
ただいた株式会社レクザムさん他、ご協力いただいた
皆さんに改めて御礼をいいたいと思います。
7月19日にオープンした瀬戸内国際芸術祭は30万人を
超える人が来場し、男木島にも4万人が訪れていると
いうことです。あと1ヶ月の会期を残してとても残念
な出来事ですが、これからも多くの作品を発表をして
いきますので、今後ともよろしくお願いします。
大岩オスカール
<http://www.youtube.com/watch?v=zr59vzndrcU&feature=player_embedded>
男木島の記憶 焼失
昨夜、男木島で火災が発生し、ぼくの担当した
大岩オスカールさんの「大岩島」がある、旧公民館が焼失しました。
旧公民館への入り口のところの鉄工所が火元で、
旧公民館は焼け焦げた柱と梁が転がっているだけ。
しかし、旧公民館の上の「円(まどか)」の建物の外壁が
モルタル塗りであったことと、当時島から海へ
風が吹いていたこともあり、延焼が広がらなかったことが、
奇跡的だというのが、現地を見た感想です。
鉄工所の方は、残念ながら亡くなられたようですが、
集落全体が焼失したことも容易に想像できますので、
そうした大惨事にならなかったことが、不幸中の幸いです。
自分が担当した作品が焼失したことは残念でなりません。
しかし、それ以上に、この公民館は、映写機も備え、
島の人たちの記憶と深く結びついており、
そうした人々の記憶のシンボルを失ったことに心を痛めます。
芸術祭開催前から、島の繁栄のあかしであるこの公民館を何とか
島の人たちの憩いの場として再生できないかという相談を受けていた
その最中に、オスカールさんの作品の場として決定し、
そこに、オスカースさんが抱いた瀬戸内海の原風景をしたためた
今回の芸術祭を象徴する特別な場所=作品になっていたことを
改めて感じました。
男木島に、一日も早く平穏な日々が戻ることを願います。
2010.09.24
Go west!
日本一狭い香川県は、南北には短いのですが、東西に長く、
高松から東へ40kmで徳島県、西へ50kmで愛媛県。
香川は、東讃・中讃・西讃と、3つに区切って呼ばれます。
数年前から、詫間のクライアント香川さんとお付き合いが出来、
病院の改修や、集合住宅「unite」などの仕事をするようになり、
西讃へ行く頻度が劇的に上がりました。
今日は、仁尾・詫間・観音寺の現場へ行ってきました。
四国から突き出した半島、紫雲出山は、浦島太郎伝説の地で、
「箱」など、由来の地名のある場所。
その半島にあるのが、カーサ・ブルータスにも紹介された、
仁尾の隠れ家のような週末カフェ「ヴェランダ」。
オーナーの岩本さんは、香川さんとお友達で、
「house hs」の仕事を大変気に入っていただき、
「林さん、フィリップ・ジョンソンのガラスの家をつくって欲しい」と。
持っておられる、北欧のテーブルを置き、樹木の間から、
瀬戸内海を見渡すスペース。
その半島の反対側からさらに瀬戸内海に突き出した詫間の岬の先端に、
海を見渡しながらビールを飲めるスペースをつくって欲しいという仕事。
岩本さんにお友達の森さんを紹介していただきました。
木々の間を抜けて、室内に入ると270度パノラマが広がる。
観音寺のテナントビルに、設計した美容室が、竣工間近。
黒の天井に黒い床。
間仕切りの黒い格子とボール球の照明が、効いている。
明日には、家具も入って完成!
2010.09.22
男木島事情
3連休の最終日、父が入院したり、慌ただしい中、
ふと時間が出来たので、男木島へ行くことになりました。
12時の船に乗るまで、1時間足らず。
島で食事することも考えましたが、多分、いっぱい。
サンポートの「海の市場」の様子を見て、サンクスへ。
船も混雑が予想されるので、立ってでも食べれる物の方がいいよ、
という助言に、娘も嫁もまったく耳をかさず、豚丼とお好み焼き!
15分前に港に着くと、行儀よく、乗船を並んで待っています。
これまでは、なんとなくダラダラと乗ってました!
何とか座れましたが、立ってる人も大勢いました!
途中の女木島からも大勢の人が乗って来た!
島に着くと、船の時間だということもあるのでしょうが、
港は人でごった返してます!
プレンサの後、オスカール作品を見て、男木島の入り組んだ立体迷路を
登り始めると、狭い路地に大勢の人!
家プロジェクトは、入場規制で20分待ち!
これまでに訪れた時、集落の最上部の現場に行くまでも、
会うのは島の人、せいぜいふたり。
誰とも会わないことだって不思議じゃありませんでした。
途中、アート・フロント・ギャラリ―の男木島担当の木坂葵さんと会い、
「えらいことになってますねー!」と声を掛けると、
「昨日は、もっと大変でした!」と。
少し涼しくなったので、地元の人が動き出したのは確か。
やはり、これは「お祭り」なんだと。
日常の穏やかな風景とは一変。
喧騒のなかに、家並みからふと現れる、瀬戸内海。
その美しさがこころに静寂を与えてくれる。
そんな場面を持ち帰ってくれれば「お祭り」の目的は果たされる。
2010.09.17
桑田真澄 「心の野球」
サブタイトルに「超効率的努力のススメ」とある。
ぼくらの頃は、とにかくガムシャラに練習した。
そして、技術的な指導をされた記憶は全くない。
近年は、からだのメカニズムがかなり解明され、
目的に応じた効率的なトレーニングがされるようになってきた。
だから、高校野球でさほど体格に恵まれなくても
150km近くの球を投げる投手はゴロゴロいる。
一方で、昔ながらの非科学的なガムシャラな、質をかえりみない
練習をする指導者も驚くほどたくさんいる。
それは、怪我や故障を誘引するものであり、
指導者の怠慢で、勉強不足であり、改めるべきだと
自身の少年野球チームの指導を通じてそうしたことを学び、
桑田は呼び掛けている。
小学校時代はヤンチャだったことや、清原との出会い
巨人入団の経緯、メジャー挑戦など、興味深いことが書かれているが、
本書の核心の部分はタイトルの「心の野球」。
全盛期に肘の靭帯を断裂し、復活した姿は決して忘れられない場面だが、
その怪我をしたときに、野球が出来ないからこそ悟ったことがあるという。
それまでは、技術や結果を追い求めていた、と。
しかし、野球というスポーツ通して何を学ぶのかは、
野球が出来ない時、野球を離れた時、また、現役を引退した後、
どういう人間であるかということだと。
勝敗や数字という目に見える「結果」を追うのではなく、
野球に取り組む姿勢、試合までの最前の準備、集団で闘う和、
そして、一球一球に込める気持ち、
そうした目に見えない「心」を持った野球をしようと。
娘が野球を始めてから、教える側として野球に接し、
行きついた考えは、桑田のそれと大きく重なる。
少年野球は、からだの成長の差、技術の習得の深度に、個人差がある。
桑田の言う「心」とは、野球に取り組む姿勢、つまり、土を耕すことであり、
根をしっかり張る事であると思う。
植えてすぐの苗に咲く花や実を競う必要がどこにあるのか。
目の前の勝敗という結果などどちらでもいい。
それはあくまでも副産物。
挨拶がきちんと出来る。
親に野球をやらせてもらっていることに、
監督・コーチなど指導してくれる者に、感謝をする。
道具を大切にし、自分たちで道具を運び、グランド整備をする。
正しい技術の向上のため、自分のからだ使い方を意識し、
技術を高めるための具体的な目標を設定し、日々努力する。
チームメイトと一丸となって試合に挑む。
これだけでいい。
そうした「心」を持つこと、そして、それを学ぶプロセスこそ大切で、
言い換えれば、これが出来ていなくて勝って、打っても何の価値もない。
多くの指導者はボランティアであるが、そんなことは子供たちには関係ない。
だから、「教えること」を学び、正しい「からだの仕組と使い方」を学び、
その子に応じた教え方を探求する責務がある。
関心や興味を持たせる事から始まるのだと思う。
野球を大好きにして、夢と希望と目標を持って、
それを叶えるために共に歩む、その道程こそ大切なのだ。
目先の結果に一喜一憂、右往左往せずともいい。
それよりも、長く野球をやるための礎をしっかりと築く。
今は、そう思えるようになった。
桑田は、「野球は、人間性を磨くのにとても適したスポーツ」だと。
ぼくも、心底そう思う。
そして、将来、指導者としてユニフォームを着たいという。
勝つという結果を求められるのがプロ野球。
桑田が、どんな「心の野球」をするのか、楽しみである
2010.09.10
瀬戸内国際芸術祭 「基壇プロジェクト 東屋」「林隆三ひとり語り」
これまた、6月が近付いた頃、アート・フロント・ギャラリーの
男木島担当の岡本濃さんから「お時間いいですか?」と。
男木島の港に着くと、周囲から1mほど高くなった
石積みのスペースがあります。
祠(ほこら)でもありそうな、そんな場所ですが、
特にいわれもなく、島の人たちが話しが出来る、
そんなスペースだとのこと。
この場所を「基壇」と我々は呼びました。
そこに、夏の日差しを遮る東屋と、市の電動アシスト自転車の
駐輪所を計画してほしいとのこと。
しかも、予算は驚きの低予算!
本当に驚くほどの低予算なので、恒久的なものは考えられないので、
木のフレームを組み、自転車置場は雨風をしのぐ設えとするけれど、
日陰をつくる部分はヨシズでつくり、朽ちたら取り替えてもらう。
そういう提案をしました。
まず、問題は、既にある立派な石のテーブル!
つくる予定の場所にあり、どうしても動かさないといけない。
しかも、とてつもなく重い。
当初、島の人とこえび隊で、と思っていたけど、どうやっても無理。
なので、JCの後輩で、昨年「牟礼 石あかりロード」でお世話になった
(有)中村節郎石材の中村卓史くんに泣きつきました。
「こういう石だけど、捨てていいんだけどどうしたらいいだろう?」
「削岩機が必要ですね。」
「その機械を借りて、素人でも可能かな?」
「先輩!無理ですし、危険です!
捨てるのは石屋として忍びないので、持って帰っていいですか?」
費用は実費でお願いしました。
ユニックに積み込むのはあっという間でした。
しかし、おおよそ3.5tある石は、ユニックで作業する限界でした。
そんなこんなで、東屋が出来上がりました。
今月19日には、東屋で瀬戸内海を背景に、
林隆三さんが朗読のライブを行います。
http://www.setouchi-navi.jp/sfs/info308.html
9月19日は、ぼくの44歳の誕生日。
同じ「林」ですがそれも偶然です。
瀬戸内国際芸術祭 「直島海の駅 案内所」
6月も後半にさしかかった頃、それぞれのプロジェクトが佳境に入り、
頻繁に芸術祭の実行委員会とアート・フロント・ギャラリーの
常駐スペース、こえび隊の事務局があるターミナルビルに
かなりの頻度で行っていたある時、実行委員会の多田祐子さんから
呼び止められました。
「少しお時間いいですか?」と。
聞くと、妹島和世さんと西沢立衛さん設計の、直島の海の駅の会議室に、
インフォメーションと芸術祭関連グッズの販売スペースを設営するので、
その家具をデザインしてほしいとのこと。
もちろん、7月19日のスタートに間に合うように。
とにかく時間がない。
聞くと、予算の出どころも、予算も未確定。
要望と内容を確認し、こう伝えました。
「とにかく3日で図面と見積りを出します。予算は○○万円をベースに
具体的な画策にかかって下さい!」
事務所に戻ってすぐに、スタッフと家具の考え方を確認し、
その日のうちに見積りできる図面を送り、見積りに掛かってもらいました。
出てきた見積りは、やはり予想通り。
それを元に、確保した予算に合わせて仕様の変更と内容、
発注のタイムリミット、支払い条件などを確認し再度見積りに掛かる。
発注の契約を交わし、内容を確認し、制作にかかった後、
使用者から変更の申し入れがあったと連絡がある。
すぐに出向き、要望を確認し、変更案をその場で描き、
FAXし、内容を確認してくださいと。
それが、朝11時。
「午後一番に訂正した図面をPDFで送りますので、
先方に最終確認してください。」と。
すると、アート・フロント・ギャラリ―の桑原さんが、
「林さん、対応、速いですねー!」と。
いやいや、そうしないと業者さんに迷惑がかかるし、間に合いませんから!
ランバーコアという板材で作製し、塗装しただけのもの。
四方から見える、ガラスのスペースなので、背面となるところも
商品が印象的に見えるようにしました。
オープン3日前、作製した家具を設置し、商品の陳列もして、
何とか間に合いました!
瀬戸内国際芸術祭 「海の市場」
瀬戸内国際芸術祭のアート作品のほとんどが瀬戸内の島々にあります。
その島々へは、高松の港から船で出かけることになります。
高松の港から人々を見送り迎える設えと、
公式関連グッズの販売スペースの設えを、
われわれ「VAKA」のグループとしてやってほしいとの依頼がありました。
それまで、どのような可能性と制約があるのかを運営者が理解するための
会議にぼくが呼ばれていた経緯もあり、サンポートのマリタイムプラザに
設ける、県産品の販売ブース、漁連・農協の販売ブース、
そして、サンクス東四国さんが運営する関連グッズの販売スペースの
設計を、ぼくが担当することになりました。
前3者の販売スペースは、通行量の多い表側に設け、
関連グッズは、もっと照度を落として、ミュージアムショップといった
表とは全く雰囲気を変えたものにしたいと思いました。
サンクスの担当の真鍋康正さんと安部圭太さんも、
「それはいいですね!」と。
しかし、このショップは会期中のみのもので、
100日後には全てを撤去しなければなりません。
壁面の陳列棚は、収納の制約もあり、アッパーの間接照明と
半透明のガラスの棚板はすぐに決まりましたが、
「リ・デザイン」の商品や、公式グッズをどのように見せるのか、
そして、廃棄しなくてもいいものはないかと考えました。
この場所は、光を意識する空間にしたいと考えました。
そして、商品を印象的に見せるなら、ガラスの箱がいいと考えました。
制作することも考えましたが、既成品がもっとも安価です。
しばらく、この「ガラスの箱」について考えていましたが、
ある時、ひらめきました!
そうだ!水槽だ!
これらのガラスの箱は、既製品の水槽です。
水槽をひっくり返して陳列の台としました。
水槽、ご希望の方はお申し出ください(笑)!
2010.09.07
瀬戸内国際芸術祭 高橋治希 「SEA VINE」
春頃から、「瀬戸内国際芸術祭、大変でしょう!」とよく聞かれましたが、
実は直前の6月半ばころからが大変で、大変でもいいはずの春頃は、
まだまだこれから、というところでした。
そんな中、仕事の関係で、3月中には完成させたい、というのが
今回の高橋治希さんの作品でした。
まだまだ寒い2月に現地で初めてお会いした高橋さんは、
とても穏やかなやさしい方でした。
まず、作品を制作する住宅で、高橋さんの考えを伺いました。
男木島は、斜面に貼りついているので、どの家からも、
海側の家の屋根越しに瀬戸内海が見える部屋があります。
高橋さんは、有田焼でつる草と花をつくるアーティストです。
そのアートと瀬戸内海の風景が一体となるような空間をつくる事が
今回の目的でした。
構造的な問題を考慮しながら、撤去する部分、柱を残すけれど、
壁を撤去する部分などを確認しました。
そして、海側のサッシュを撤去して、本当は何もないのが理想、
ということでしたが、雨風の問題があるので、
既存のサッシュの枠を残して、ガラスを入れることにしました。
通常、もっともっと大きなガラスを使っていますが、
男木島の路地には自動車が入らないので、これだけでも大工事なのです。
また、窓からの日差しが強すぎると、作品が際立たないので、
照明器具を設置するとのことで、窓に入れたガラスに
照明が映り込まない角度を探して、確認。
3月に3週間合宿状態で、数名で制作にかかっていました。
まさに、足の踏み場がなく、また、磁器なので、
踏んだり、あたったりして壊さないように大変です。
ものすごい数のパーツを仮組みして、パーツとパーツを樹脂で固定し、
天井にテグスで吊って行きます。
男木島のどの家の座敷にも、海を望む窓があります。
日々刻々と表情を変える瀬戸内海が、その家の窓からだけから見える
切り取られた場面が、その変化を際立たせます。
その美しさをもっとも感じられる、
高橋さんらしい穏やかでやさしい作品です。
瀬戸内国際芸術祭 大岩オスカール 「大岩島」
瀬戸内国際芸術祭で関わった作品・仕事を紹介したいと思います。
まずは、男木島の大岩オスカールさんの「大岩島」。
男木島は、今回の瀬戸内国際芸術祭で訪れたのが初めてでした。
女木島は「鬼ケ島」として有名で、鬼が住んでいたとされる洞窟を訪ねたり、
海水浴で来ていた記憶があります。
男木島は、港から見える斜面に貼りついた集落で、
高低差のある路地はまさに立体迷路。
学生時代に調査に行った、イタリアのまちを思い起こさせます。
その住民の公民館が今回の作品の場所。
映写機を備えたその建物は、講堂であり、映画館であり、
島の歴史と記憶が刻まれた場所。
しかし、手をつける前は、玄関は壊滅的で、窓ガラスは割れ、外観は廃墟。
内部には、行き場のなくなった漁具で溢れていました。
そして、まず、オスカールさんから送られてきたのはこんなスケッチでした。
これは、壊れた窓ガラス部分から外に通路を新たにつくり、
講堂の部分を作品とするアイデアでした。
アーティストとの窓口であるアート・フロント・ギャラリーの岡本濃さんに
予算を確認すると、とても出来ない予算でしたので、
窓ガラスを問題の無い程度に修復し、通路を建物内部に取る事を
オスカールさんに確認してほしいと即答しました。
それほどに、厳しい予算でしたので、正直驚きました。
その後、通路の具体的な幅、通路部分の天井を低くすることなど
こちらからの提案を図面化してオスカールさんとやり取りし、
玄関部分の具体的な計画などは任せてもらうこととなりました。
オスカールさんは、日系ブラジル人で、日本で建築の勉強をし、
設計事務所で実務もされていた方ですが、それでも、
大きなコンセプトだけ話をされ、具体的な建築については、
ほとんど任せてもらいました。
連続する床と壁には、長尺シートと呼ばれるものを貼り、
そこに、一家に一本は必ずあるマジック、「マッキ―」で絵を描いていく。
長尺シートは「タジマ」の「パーマリューム」を使うとのこと。
予算も厳しかったので、岡本さんに「タジマ」さんに
協賛してもらいましょう!と提案。
施工の「不二装飾」さんともども協賛していただきました。
両側に貼られた鏡はわずかに角度をつけているので、
湾曲して連続するように見える。
通路部分は元の公民館の床のままです。
割れてボロボロだった窓ガラスは、使えるガラスを峻別し、
枠は、きれいになりすぎると既存部分から浮いてしまうので、
焦げ茶と黒を混ぜたつやのない塗料で
既存部分と調和するように仕上げました。
天井は、薄らぼんやりと半透明なイメージということで、
薄く透ける素材を張りました。
日中は日差しが強いのでわかりませんが、夕方や、
日差しが強くない日は、天井の布越しに照明がかすかに現れます。
こちらの方が、幻想的でいい感じです。
6月いっぱいで工事を終え、2週間で制作するとのことでした。
7月頭に大岩オスカールさんを現場に案内した日は、
W杯で、ブラジルがオランダに惜敗した日。
ブラジルの青いユニフォームを着たオスカールさんは、
会う人みんなに挨拶代わりに「惜しかったですね」と。
とても柔和なオスカールさんは、美術手帳の公式ガイドブックに
サインを頼まれると、コンセプト画のページに、
サインと共に、絵を描き足したりしていました。
箱買いしたマッキ―を抱えて、実質1週間で描き上げました。
http://www.youtube.com/watch?v=zr59vzndrcU
飾らず、どこか懐かしい男木島に、
やはり、飾らず、どこか懐かしい作品が生まれました。
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