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2010.04.06

「竜馬がゆく」

中学2年の終わりから3年にかけて、貪るように読んだのが、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。

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時節としてはちょうど今時分。

断わっておくけれど、決して読書の好きな少年ではありませんでした。

マンガや野球関連の本は何度も何度も飽きることなく読みましたが、
いわゆる小説などは、まともに一冊を読むことができず、
読書感想文などは、まえがきとあとがき、
伝記ものなら最後の解説だけを読むような子供でした。

母が、そんな様子に呆れたのか、痺れを切らしたのか、
野球に明け暮れる毎日で、帰ってもまともに勉強していないのは
成績を見れば明白で、中学2年になった頃、
「どんな種類でもいいから、本を読みなさい」と。

当人は、「本、買ってくれるんや!ラッキー」ってことで、
野球関連の本、タレント本、そういうのを買って、
でもとにかく、本を読むということは習慣化されました。

そして、少しずつ小説などを読むようになり、
そんな時に、この本のことを知り、強い興味を持って、読んでみようと。

400ページを超える分厚い文庫本が8冊!
でも、読み始めると、のめり込みました。
導入の泣き虫で寝小便たれで、寺子屋の先生にも見放された幼少期から
剣の道を通して成長する青年期に至る件で、完全に引き込まれました。

途中、ストーリーを理解する上で必要な、
背景や情勢を長くそして細かく説明する部分も
飽きることなく何とか読み進めました。

江戸という泰平の世の中にあって、また、社会の在り方を疑うという
視点すら持たない「常識」に縛られた世の中で、
その価値を一旦保留し、批判されている考えにすら耳を傾け、
凝り固まらず柔軟に、百年の計で日本という国がどうあるべきなのかを
深く洞察し、そのためには、個人の憎悪の感情も押し殺し、
苦難に満ち満ちていようとも必要な道を切り拓く。

そんな坂本龍馬に対して、もちろん憧れや、畏敬の念は抱きましたが、
同時に、自分は竜馬のようにはなれないなと、率直に感じました。

これは、諦めでもなんでもなく、素直にそう思った上で、
そして、自分ならあの時代に、何ができたのだろうか、
そして、何ができるのだろうかと自分に問い掛けました。

登場人物の中では、見識も高く、統率力も卓抜したものがありながら、
飽くまでも土佐藩を変えることにしがみついた故に尊敬し崇めていた
山内容堂に切腹を命じられることになる武市半平太や、
確かな見識と強い意志と行動力を持って薩長同盟を、
そして、竜馬の働きを支えた中岡慎太郎に強いシンパシーを感じました。

ちょうどその頃は、野球という目標が明確にあっても、
学校での人間関係や自分の立ち振る舞いに自信がなく
悶々としていた時期でしたが、恐らくそうしたことは誰でもが
経験することで、だからこそ、その時期にこの本を読んだことは
よかったのではないかと思います。

「世の中の 人は何とも言わば言え 我が成すことは吾のみぞ知る」
まだまだ周りの人に自分を理解してもらえない、
そして自分も、自分自身の可能性を
不安と期待がないまぜになりながらも模索する、
そんな十代の竜馬の句。

学生時代、手帳にこの言葉を書いていました。

ぼくは、A型の乙女座ですが、高校時代の友人や、
ふだん、仲の良い人にA型以外の人が圧倒的に多いのは、
自分にはないものを持っている人に、
ある種の憧れや尊敬の念があるからかもしれません。

それは、この本を読んだことと、どうやら無関係ではなさそうです。

同じ本を2度読まない人もいるようですが、
大学生時代、自分の進路に行き詰まった時、
社会人になって、独立を考えた時、
読み返す、その時々に大きな示唆を与えてくれる
自分の中の物差しのひとつです。


組織の中での個人の在り方。
そこにある「常識」を一旦保留し、深く洞察すること。
判断するために必要な情報、見識を広く持つこと。
自分の考えにすら縛られないこと。
私欲ではなく大欲を持って行動すること。

今振り返って思うに、様々なことを学んだのだと思います。

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