浮浪の人々
生まれ育った高松を離れ、東京で、学生生活を始めた時に、
色々な衝撃がありました。
そのひとつが、新宿の構内で実際に目にした「浮浪者」と
呼ばれる人たちの存在でした。
当時からホームレスと言っていたのかどうか、記憶が定かではありませんが、
不特定多数の人間が行き交う場所で、ダンボールで居を構え、
そして独特の異臭を放つ様は、それはそれは衝撃的でした。
ちなみに、「浮浪」とは、「定まった住所や職などを持たず、
方々をうろつくこと。」と手元の辞書にはあるので、
だいたいの浮浪者の方は、特定の場所に居を構えているので、
「浮浪」には当てはまらず、家を持たない「ホームレス」が
呼び方としては正しいのでしょうね。
ここ数年、高松にも浮浪の方が見受けられるようになりました。
そして、近所のため池のほとりの屋根つきの机とベンチのところに、
何やらやはりダンボールやらで寝床を構える方が出現しました。
東京なら、まちで誰かと偶然会うなんてことはなく、
ある意味すぐに匿名の誰かという存在になりうるわけですが、
高松だと、こちらが知らなくても、素性が知られていたり、
昔から「三人おれば一人は親戚」という父の言葉が、
まんざら極端なこともないなと思える今日この頃。
そんな田舎でそういう生活をしているというのは、中々理解に苦しみます。
近所の方々も、もしかしたら事情が分かっていて、
黙認しているのかなとも思えます。
ある時、その方が、犬を連れていました。
一緒にいた娘が「あの人、犬を飼いよるんで」と。
なんと、その浮浪のお方は、犬を飼っておられました。
その方が寝床にしている場所は、子供たちが野球をしたりして遊べる
大きな公園の傍なのですが、だから子供たちはよく見かけるようです。
その公園では、冬場、学校の使えない水曜日に野球の子供たちの
自主練習をしています。
その練習に少し遅れて行った際、白いハコバンに、その浮浪のお方が
件の犬を乗せているではないですか。
まさかと思い、娘に、「あの人、車も持っとんかな」と尋ねると、
「いっつも、公園の池の傍に止めとる。そんなん、みんな知っとる」と。
ぼくは、犬を飼い、車を所有するこの方の存在は、
どこかユーモラスであたたかみがあって笑えます。
追 記
みなさんのまわりはいかがでしょうか?
と、SNSで投げかけたところ、やはり都会でのホームレスの方々との
遭遇は、衝撃的であったことに加え、高松のそういう方々の情報をいただきました。
基本的には、あまり郊外にはいなくて、中心市街地や
その外周部分の住宅街におられるようです。
駅の地下駐車場や、遊具のない比較的古い公園。
そして、若い人もいれば、夫婦もいるようで、その夫婦も車を所持。
河川敷の橋桁の下にソファを持ち込んで生活されている方もおられるようで、
しかし、度重なる河川の氾濫によって、出て行ってしまったようです。
いずれにしても、ある意味優雅なのが高松スタイルなんでしょうか。
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