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2010.02.19

「からし」

黄色い、練りからしのことです。

これほどまでに、何度食べても、
その味を的確に想像することができないものが
世の中に存在するのだろうか。

Karashi

基本的に、「からし」と「わさび」の鼻に強くつーんと来るのは苦手。
だけれども、唐辛子の辛さは、かなり大丈夫です。
でも、表現は同じく「辛い」。
なので、前者を「和辛い」、後者を「洋辛い」と勝手に読んでいます。

おでんは嫌いではありません。
香川のうどんやさんの多くには、おでんが置いてあります。
これは、ダシが一緒だからだと思われます。

そして、問題はそれにつける、「からし」、もしくは「からし味噌」。
この「からし」の、鼻につーんと来る度合いは、
もう店によってどんだけ違うんじゃ!

いつも、恐る恐る少しだけつけて、確認してから使います。

そのせいかどうか、「からし」が好きではありません。


からだを動かしているのは、筋肉の伸縮で、
表面の筋肉にとどまらず、内臓もこの伸縮によって動いています。
この運動に要するエネルギーは、からだ全体の40%に及ぶそうです。

その際に必要なのが、マグネシウム。

これが欠乏すると、筋肉が硬化収縮する。
つまり、筋肉がつった状態。
「こむら返り」とも、「こぶら返り」とも言う、あれである。
「こむら」は、ふくらはぎの古名で、「こぶら」は北陸地方の方言である。
だから、正確には、ふくらはぎがつることのみを「こむら返り」と言うが、
大抵つるのは、足の指が多く、ふくらはぎがつると
それはそれは強烈に痛い。
太ももがつると、もう動けないほど痛い。

しかし、これらの対処法は、足のつま先をこちら側に押し近づけるように、
足の裏側の筋と筋肉を伸ばすという動作で治まる。

忘れもしない予備校生時代、友人の肩がつった。
肩を顔に近づけて、電話機を肩と顔で挟む、あの状態である。
この状態の対処方法は知らない。
その場に柔道部の友人がいて、彼の脇に自分の腕を挟み、
それをテコにして、彼の腕を彼のからだに押し付けることで解消した。

とにかく、そのマグネシウムの含有料が著しく多い食品が
「からし」。

皆さん、あまり経験がないでしょうが、
ぼくは太ももをつったこと数回。

「からし」との因果関係は、定かではありませんが。

マスタードはあれだけ味が正確に想像できるのに、
誰か「からし」の基準をつくってくれないもんでしょうか。

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2010.02.09

「SUN CITY」

問題提起的な作品を次々と送り込むクリント・イーストウッド監督の
新作は「インビクタス/負けざる者たち」。
今年、サッカーワールドカップが初めてアフリカ大陸で開催される
南アフリカの、人種隔離政策(アパルトヘイト)と、
白人と黒人の融合のために奔走する、
タイトル通り不屈の人 ネルソン・マンデラを描くストーリー。

高校生になり、ビートルズから、ストーンズやエリック・クラプトンなど
ソウルやブルースなど、アメリカの黒人音楽に強く影響された人たちを
傾聴したせいか、黒人公民権運動などにも興味を持ち始めたころ。
‘84年、高校3年生の時、ボブ・ゲルドフがエチオピアの飢餓救済のために
アイルランドとイギリスのミュージシャンに呼び掛け、バンド・エイドを結成し、
「ドゥ・ゼィ・ノゥ・イッツ・クリスマス?」をリリースし、
音楽番組でも何度も流れ、話題となった。

それを知ったハリー・ベラフォンテが同じくアフリカの飢餓救済のために
アメリカのミュージシャンに呼び掛けつくられたのが
USAフォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」である。
ちなみにハーリー・ベラフォンテは、「デーオ・イデデエーォ」で有名な
「バナナボート・ソング」を唄った人で、
この曲は幼いころ父がよく唄っていたので思い入れがある(余談)。

それに遅れること数カ月、南アフリカの人種隔離政策、アパルトヘイトに対して、立ち上がったのがブルース・スプリングスティーンのEストリート・バンドのギタリスト スティーヴ・ヴァン・サンド。
彼が呼びかけつくられたのが「サン・シティ」。

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http://www.youtube.com/watch?v=X36NC-mIbq0

先発のふたつのプロジェクトが、どちらかというと、
ジョン・レノンの「イマジン」の様に理想郷的な印象を与えたのに対し、
「サン・シティ」は、その現状や、それを変えることのできない
自分や社会に対するもどかしさが怒りとして感情に直接伝わってきた。

「有名アーティスト」に限定することなく、のっけから、マイルスのペットがつんざき、当時市民権を得始めたラップやヒップ・ホップの先駆者たちがまくしたてる。
当時そんな言葉もなかったアフリカン・アメリカンの60年代のスター
テンプテーションズのデビッド・ラフィンとエディ・ケンドリックスや
当時気鋭のバンドU2のボーノなど、集められたというよりも、
趣旨に賛同した多彩な顔ぶれが終結したと言ってよい。

このプロジェクトは、テーマ曲にとどまらず、アルバムとして制作され、
ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが、
音楽の源流であるブルースとは何たるかをボーノ、エッジに手ほどきし、
ブルースにインスパイアされた「Silver and Gold」という
ルーツを意識する新境地を開拓した。

とにかく、18歳のぼくにはとてもとても刺激的だった。

そして、そのころ、初めてネルソン・マンデラという黒人指導者の名前を聞き、
その彼は長く投獄されている事実も知った。

その後、これらの運動が功を奏してか、1990年釈放される。
そんなことが南アフリカという国で起こりうるとは思ってもみなかったし、
マンデラが逮捕されたのが44歳の時。釈放時71歳!

http://youtu.be/X36NC-mIbq0

年齢的にも、命が絶えていても不思議ではなく、
釈放の報道に、驚愕したことを鮮明に記憶している。

チベット問題など、古今東西で、人道的な問題は数多起きている。
しかし、どんな場所よりも、残虐で残忍で非人道的な出来事は、
アメリカ大陸に「約束の地」を勝手に夢見て、先住民族を大虐殺し、
自らの奴隷として大量のアフリカ大陸に住んでいた人々を拉致し、
強制労働させ、いかなる彼らの人間性や文化をも受け入れなかったことである。

そのことに対して、謝罪の言葉を聞いたことがない。

南アフリカも同様に欧米の白人の都合に振り回された場所と言ってよい。
ワールドカップ開催も危ぶまれる状況が改善される、
つまり、一人ひとりの人間が尊厳と誇りを持って生きることができるのはいつの日か。

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2010.02.04

浮浪の人々

生まれ育った高松を離れ、東京で、学生生活を始めた時に、
色々な衝撃がありました。

そのひとつが、新宿の構内で実際に目にした「浮浪者」と
呼ばれる人たちの存在でした。
当時からホームレスと言っていたのかどうか、記憶が定かではありませんが、
不特定多数の人間が行き交う場所で、ダンボールで居を構え、
そして独特の異臭を放つ様は、それはそれは衝撃的でした。

ちなみに、「浮浪」とは、「定まった住所や職などを持たず、
方々をうろつくこと。」と手元の辞書にはあるので、
だいたいの浮浪者の方は、特定の場所に居を構えているので、
「浮浪」には当てはまらず、家を持たない「ホームレス」が
呼び方としては正しいのでしょうね。

ここ数年、高松にも浮浪の方が見受けられるようになりました。
そして、近所のため池のほとりの屋根つきの机とベンチのところに、
何やらやはりダンボールやらで寝床を構える方が出現しました。

東京なら、まちで誰かと偶然会うなんてことはなく、
ある意味すぐに匿名の誰かという存在になりうるわけですが、
高松だと、こちらが知らなくても、素性が知られていたり、
昔から「三人おれば一人は親戚」という父の言葉が、
まんざら極端なこともないなと思える今日この頃。

そんな田舎でそういう生活をしているというのは、中々理解に苦しみます。
近所の方々も、もしかしたら事情が分かっていて、
黙認しているのかなとも思えます。

ある時、その方が、犬を連れていました。
一緒にいた娘が「あの人、犬を飼いよるんで」と。
なんと、その浮浪のお方は、犬を飼っておられました。

その方が寝床にしている場所は、子供たちが野球をしたりして遊べる

大きな公園の傍なのですが、だから子供たちはよく見かけるようです。

その公園では、冬場、学校の使えない水曜日に野球の子供たちの
自主練習をしています。
その練習に少し遅れて行った際、白いハコバンに、その浮浪のお方が
件の犬を乗せているではないですか。

まさかと思い、娘に、「あの人、車も持っとんかな」と尋ねると、
「いっつも、公園の池の傍に止めとる。そんなん、みんな知っとる」と。

ぼくは、犬を飼い、車を所有するこの方の存在は、
どこかユーモラスであたたかみがあって笑えます。

追 記
みなさんのまわりはいかがでしょうか?
と、SNSで投げかけたところ、やはり都会でのホームレスの方々との
遭遇は、衝撃的であったことに加え、高松のそういう方々の情報をいただきました。

基本的には、あまり郊外にはいなくて、中心市街地や
その外周部分の住宅街におられるようです。
駅の地下駐車場や、遊具のない比較的古い公園。
そして、若い人もいれば、夫婦もいるようで、その夫婦も車を所持。

河川敷の橋桁の下にソファを持ち込んで生活されている方もおられるようで、

しかし、度重なる河川の氾濫によって、出て行ってしまったようです。

いずれにしても、ある意味優雅なのが高松スタイルなんでしょうか。

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