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2009.12.14

太田ジャガーズ 2009 シニアのメンバーへ

卒団式も終り、中学での野球へ向けて、少しの不安と大きな期待の中でいることと思います。
君たちを中心とした新チームができることになった時、監督に頼まれてぼくがヘッド・コーチになることになりました。娘がジャガーズに入団して、背番号のないコーチとして教えるようになった時は、自分の考えが正しいのかどうかわからなかったので、相当勉強しました。
 ヘッド・コーチになった時、もちろんぼくは指導者に初めてなりましたから、これまで自分が教えられてきたように、ある意味相当厳しく指導したと思います。けれども、君たちと接していく中で、どうすればよいのかをわかりやすく具体的に、丁寧に、そして根気強く教え、待つことが必要だとわかりました。
 例えば、ボール回しをしているときに、ユウキは、一塁からの送球を正確に三塁に投げることができませんでした。そのたびに、「ちゃんと放れ!」と言っていましたが、普段手を抜くことの多いユウキもその時は真剣でした。その時に指導者として教えないといけないことは、気持ちを込めて投げることはもちろん、なぜうまく投げられないのかの原因を見つけ、そしてどうやればうまく投げられるのかを教えることだと気付きました。そう考えると、すべてのプレーや行動についての責任は指導者にあり、結果論と精神論だけで指導するやり方はおかしいのではないのかと考えるようになりました。ようするに、自分の子供を育てるように、将来、自分で考えて独りで歩いて行くことができるようにすることが大切だと。このことは、監督、奥田コーチと十分に話し合いました。
 ですから、それ以前のダメな指導者としてのぼくは、君たちに謝らなければなりません。大きな声をあげて、指導しているつもりになっているだけでした。本当にごめんなさい。それからは、それまで以上に野球の技術論を勉強しました。
 それは、まず君たちが抱えている悩みを見つけ、的確なアドバイスができるようにするためでした。もちろん一緒に改善していこうと試みても、すぐに上手くことばかりではありませんから、選手のそのときの状況に応じた練習方法やアドバイスの仕方にも工夫が必要でした。
 それでも、悩みを見つけ、共有し、それがクリアできた時の誇らしげな君たちの顔は、ぼくにも大変うれしいもので、決して忘れることができません。
 卒団式の時に、みんながぼくにくれた書き寄せの色紙は宝物です。
 そして、ぼくは、この色紙にある写真が大好きです。南部大会の時の写真です。
 冬場の厳しいトレーニングに耐え、これから始まる大会へ向けて、新しいデザインの真新しいユニフォームを着て、自信を持って誇らしげな顔、顔、顔。
 けれど、現実はそんなに甘くなく、また、どのチームも一つ上の学年の選手が少なく経験を積んでいて、また、名前がスラスラ出てくるほど好選手がたくさんいて、特に高松市はレベルが高かったこともあり、なかなか公式戦で勝てませんでしたね。正直、一年間のうち、一つの大会は県下を制することができるレベルに十分達していると思っていたので、こんなに苦労するとは思っていませんでした。それに、何度も目の前の勝利を逃がしたことで君たちだけでなく、お父さんやお母さんも公式戦となると力が入り、君たちへの重圧が重くなり、また逃す。野球で一勝することの重みを改めて学んだし、その分、初勝利の味は格別のものでしたね。
 それがあったからか、チームでの練習以外に素振りをしたり、自分で練習するのが普通になったことと、上手くなりたいという気持ちから、プレーの一つひとつに色々な技術的な、または精神的な意識を持って練習に取り組む、すごくいいチームになったと思います。
 シーズンを終えて、一杯悔しいことはあっただろうけど、他チームの凄いと思っていた選手が意外に大したことなくて、オリなどは「結構ジャガーズ、いけるやん!」と、今頃になって思っていることでしょう。
 君たちが流した涙は、しっかりと受け止めているつもりです。そして、一緒に苦難を乗り越えてきた経験は、一生忘れることはありません。
 全員が中学でも野球をやるようなので、野球を好きになってもらうことには力になれたのかなと思いますが、目標は大きく、「プロ野球選手」!
 ぼくが、43歳にしてまあまあの野球選手であることはみんなもわかると思いますが(笑)、ぼくは高校野球に挑戦せずあきらめてしまいました。君たちと、野球をやるなかで、やめてしまったことへの後悔はどんどん大きなものへとなっています。だから、とにかくあきらめずに続けてください。例え中学でレギュラーになれなくても、高校でレギュラーになれなくても、大学やプロテストから入団した選手はたくさんいます。とにかく、自分の目標へ向かって努力し続けることが、何よりも大切です。そこから得ることの方が、結果よりも大切なことは君たちがジャガーズで学んだことだと思います。そして、挑戦し続けて本当にダメならあきらめもつき、また違う道へ進めるはずです。
 2年間、君たちと過ごした日々は、決して忘れることのできないものになりました。ほんとうにありがとう。君たちの洋々たる野球人生はこれから始まります。うまい選手である前に、いい人間であってください。いい人間でないうまい選手は、どこかでダメになります。家族や仲間を思いやれない人間は、信頼されないし、いい選手にはなれません。
 悩んだ時、自慢したい時、いつでも声を掛けてください。
 最後に、一人ひとりにメッセージを送ります。

10 主将 小澤智大くん
 入団当初から、打球への反応、グラブさばき、この辺りは天性のものがありました。でも、小さくて細くて非力だったので、足を生かすために左打ちに変えてからは苦労しましたね。よく頑張ったと思います。最初の頃は、セーフティー・バントのサインが出ると、嫌そうにやってよく失敗してましたね。それでも、WBCを見てからか、バントは相手が嫌がる立派な技術だと理解して、三塁側へのバントだけでなく、プッシュバントなど本当に上手になりました。相手のすきを突く走塁も、見ていて面白かったです。バッティングも、スイングの指導のおかげで強いライナーが打てるようになりましたね。
 久保たちが卒団して、次のキャプテンをどうしようかと、監督と相談しました。その中で、トモが10番がほしいと言ってきたときは正直、驚きました。それでも、苦しい中で主将をやってきたことは、大きな財産だと思います。
 これまでも言ってきましたが、食べることはからだをつくることです。聞くと、お父さんも後から大きくなったようですが、しっかり食べる習慣をつけてください。朝起きたら30分走る。からだを起して、しっかり食べる。そうすると、体幹も強くなり、強いプレーができるようになります。
 トモ、相手の嫌がる野球を知っているいいプレーヤーになってください。

0 副主将 奥田悠揮くん
 君ほど、バッティングに情熱と信念を持った小学生に初めて出会いました。卒団式の時に、「色々泣かされた」と言っていましたが、ほとんどはダラダラ練習したのを叱ったもの。一度だけ野球のことで泣いたのは、「際どい球も打て」というぼくの指導に対して泣きながら「ボール球を振りたくない」と。それでも、国際試合やエンドランの状況などを踏まえて「打てるゾーン広いほどいい」という言葉には納得してくれました。ユウキのスイングには、古田も絶賛でしたが、気になることが2点。バッテイングセンターで気持ち良く打ちすぎているせいか、右手が伸びた状態で打ちたがるのでヘッドが下がり、遠回りしています。しっかりヘッドを立てて、真ん中より近い球は、腕が窮屈なくらいでちょうどいい。稲葉選手のスイングを見てください。それから、同じように、真ん中より近い球を右手を伸ばして打ちたいので、カカト体重もあり、右足が開き気味に出ます。だから遠い球がより遠く見え対応が遅れます。投手は、外角へいい球を投げたがるもの。詰まることを恐れずに、外角低めをガッツのように打とう!
 課題は、まずは守備ですね。普段の立つ姿勢から腹を突き出したおっさんのようですが、拇指球に体重を感じる体重を意識しましょう。福留はプロ入り直後はショートでした。今の野球は守備のミスは致命的です。WBCを見れば、日本チームの守備の意識の高さと技術の高さは歴然で、チームに求められるものですから、しっかり頑張ってください。
 そして、最後に言っておきたいのは、練習に取り組む姿勢です。バッティングなど、自分の得意なことには積極的ですが、15分間走やアメリカンノックなど、不得手なものをもっと一生懸命やることが必要です。しんどいのをがんばるような選手を見ていると、人は励まされたり、試合でしんどい場面でも信頼できるものです。誰も見ていないと思っていても、絶対に見ている人がふたりいます。それは、自分と野球の神様です。
 ユウキの非凡な打撃を見るのは大好きです。そのためにも、みんなに信頼されるいい選手になってください。

7 副主将 米澤拓希くん
 どんくさくて、不器用で、だけど誰よりも野球が好きで、できうる限りの努力をしていたヒロキの姿勢には、本当に頭が下がります。感動しました。入団してきたとき、顔でボールを追うので、守備も打撃ももう一つ。でも、絶対にピッチャーをやりたかったヒロキ。監督と相談して、試合で使っても四球のオンパレード。でも、それを改善するために出した指示は、全身全霊をかけてやってくる。みんなが自宅でも一生懸命練習する雰囲気をつくってくれたのはヒロキのおかげです。感謝しています。ありがとう!
 OHKの快投は見てやれませんでしたが、ヒロキが好投することに何の疑いもありませんでした。野球の神様はヒロキの努力を見ていてくれているだろうと思っていたからです。
 これからも、不器用で、ガムシャラで、そして決してあきらめず、泥臭い野球選手でいてください。

1 岩井一起くん
 高知から転校してきたその日に、グランドに来たのを昨日のように思い出します。このチームのエースは、君でした。球の速い、いい投手はたくさんいましたが、イッキほどのキレをもった投手は見たことがありません。関節の可動域が広く、からだをしっかりしならせて投げることができるからです。だから期待もしたし、裏切られた時は、どうすればいいのか苦悩しました。ひとつは、エースとしての自覚です。エースとは、いい投手と意味ではありません。チームの顔であり、みんなが頼れる存在でなければなりません。マウンドの上だけでなく、練習態度や普段の言動もそうです。もちろん、気持ちやからだをうまく調整してやれなかったことはぼくにも責任があります。例えば、長い距離を投げたくないという調整方法も君の意志を尊重し、やらせてきました。なぜなら、ある確信があるからだと思っていたからです。でも結果から言うと違ったやり方の方がよかったですね。なぜなら、色んな投手経験者に相談したり、調べると、やはり、キャッチボールの取り組み方から間違えていました。
 もう少し、お互いに考え方を交わしたうえで決めればよかったと後悔しています。何を後悔しているかというと、君の能力を十分に発揮させてやれなかったことです。
 足をあげたときにまっすぐ立つ「stay tall」、この時カカト体重ではなく拇指球に体重を意識すること。そこから、ゆっくりと右ひざを折って、腰が一塁側に引けずに打者へとまっすぐ体重移動。何度も言ってきましたが、これができればいい球が行きます。
 最後に、一言。君は間違いなくいい投手です。だから、みんなから信頼される「エース」としての自覚を持って生きてください。
 君が思っている以上に、ぼくは君に期待しています!

2 金黒拓真くん
 キンちゃん!いい選手になりましたね!入団当初は、ずいぶん肥っていて、走るのもしんどそうでしたが、大っ嫌いな松葉体操やアップでの運動で、からだを自由に動かせるようになりましたね。もともと走るのも早くて、俊敏性はあったけど、左右の切り返す動きなどが苦手で、その動きのスローイングが安定しなかったけど、夏の終わり頃から思ったように動けるようになりましたね。それは、練習のおかげで、体の向きを変えたり、動いたりするのは、下半身主導でできるようになったからです。
 苦手だったバントとペッパーは、最後には結構自信を持ってやっていたし、守備もどんどんうまくなって、本当に成長を感じました。
 そして、何といってもバッティング。ジャガーズの4番として大きな働きをしてくれて、自信を持って送り出せます。まだ、打てるところと打てないところの差が大きいですが、ヘッドが下がらないことと、ボールを呼び込むことに注意すればいいと思います。どんな打者でも10割打つことは不可能です。でも、3回に1回でいいやと思っていて打てるほど甘いものでもありません。イチローだって、全打席ヒットを打ちにいっての結果です。だから逆に、チャンスだからといって、「打たないと!」と思いすぎずに、どんな球でもくらいついていこうという強い気持ちだけあればいいのです。チャンスで打てなくても、チームのみんなもスタッフも納得する、でも、そういう場面で期待に応えるのが4番です。
 これから先、「もっとやせろ」と言われることがあると思いますが、気にしなくて構いません。飛距離は体重が必要です。もし太りすぎて動きが鈍るのは自分でわかるはずなので、その時だけ。
 ホームランバッターのキンちゃんを楽しみにしています。

3 福家雅稀くん
 いい選手になりましたね。最初は、細っちくて、関節がグニャグニャしてましたが、4年生の冬を越してから、体幹が強くなり、投げる球、打球が飛躍的に力強くなりました。それは、マサキが一つひとつの練習を一生懸命にやった努力の成果だと思います。からだのバランスも良く、ユニフォーム姿はチームで一番かっこいいですよ!
 最後の最後に送球が安定しなくなったのは、マサキの能力がもう少年野球のダイヤモンドのサイズに合わなくなったからです。だから、気にしなくていいです。大人用の谷佳知モデルのバットは、からだに合ってなかったけど、愛着のある道具を何とか使いこなしていい打球を打ちたいと思うマサキの気持ちはとても大事です。だから、何度も話しをして、それでも使い続けるマサキの気持ちを大事にしたかったのです。

 それから、次のプレーを焦るのは、もう慣れましょう。球を捕らずに投げることはできません。だからまず、確実に捕る。落としても、焦らず、一回で捕る。そして、正確に投げる。それだけです。
 最後に、まだ顔から動き出す癖があるので、とにかく「足から動く」。それから、最後まで球をしっかり見る。これを徹底すればもっともっといい選手になります。
 ベイスターズの村田のようなホームランバッターになりたいんですよね。マサキの打ち方はホームランを打てる打ち方です。右の距離砲はプロ野球でも貴重な存在。活躍を期待しています。

4 南 昌孝くん
 入団当初から、すばしっこくて、動きはよかったですが、投げても飛ばないし、打つのはあんまりバットにも当たりませんでしたね。それでも真面目に練習に取り組んだおかげで、守備もうまくなりサード任せられるほど力強さも出て、いいフォームでいい球が投げられるようになったので、投手もあるでしょうね!非力だった打撃も、相手の嫌な打者に成長しました。OHKの2回戦、最初打席は、最高の打撃でした!セーフティーもある、バスターで三塁手の頭を越すのもある、三遊間へ打つのもある、臭い球はカットもでき、引っ張る打撃もできる。それが凝縮された打席でした。だから、結果は三塁打でしたが、もしセカンドゴロでも最高の打撃でした。
 マサにこれから望むのは、あと少しの積極性ですね。チームが乗っているときは、誰でも果敢にトライできます。それはそれでいいのですが、試合が硬直していたり、押されている場面での積極的なプレーは、流れを変え、呼び込む可能性があります。
 それから、ランニングをするのや素振りをするのと同じ様に重要なのが、食事です。からだは、食事からつくられます。ですから、朝起きて、食欲がないのなら、走るか素振りするかして、からだを起し、しっかり食事をしてください。体重は重いほど、打球は飛びます。強いからだをつくってください。
 そうすれば、さらにいい選手になります。
 マサがグランドを駆け回り、活躍する姿が目に浮かびます。

5 廣畑航希くん
 高松市の選抜チームは、どうでしたか?各チームの代表が集まっているのですから、自分のレベルや特性が分かったのではないかと思います。守備、打撃、走塁に加えて、よく野球を知っていることが、逆に言うと、みんな意外と分かってないことが多いのだと気付いたのではないでしょうか?
 監督は「職人」と呼びますが、状況に応じた小技を含めた打撃や、相手のすきを見逃さないいやらしい走塁は、ほれぼれするほどいい選手です。
ピーちゃんを最初に見かけたのは、入団のずっと前。みおを連れて、公園へ行っていた時、ジャガーズのユニフォームを着たお兄ちゃんと、お父さんと一緒に、背丈ほどのバットでガンガン打つ小さな男の子を見てびっくりしました。それが、ピーちゃんでした。
 何でも一生懸命なのは君の長所。一生懸命やった結果、どこに出しても恥ずかしくない選手になってくれて、とてもうれしく思います。

それと関係するのかどうか、投げるにしても、打つにしても、全体にもう少し必要な時にだけ力を入れられるようになるといいですね。力を抜くことは、エネルギーのタメを生み、からだのしなりを生みます。
 そうすれば、しなやかさを持ったいい選手になります。
 野球を知っている選手は、チームのピンチを救います。流れの悪い時に、生きた声のでる、チームを助ける頼れる選手になってください。

6 溝渕弘一くん
 入った時は、まだ3年生。センターからホームへ向かって大きな声で自分の名前を言うのができず泣いていたブッチ。ちょっと練習がきついと、「足が痛い」と言い、よく休んでいたブッチ。
 けれど、プレーには柔軟性があり、全ポジションを守れるほどの選手になりました。本当にたくましいいい選手になりました。
 堅実なショートの守備だけでなく、投手としてもいい投球をしてくれました。特に、OHKの2回戦の最終回。2死としたものの1点差に、追い込まれた絶体絶命のピンチの場面。一呼吸入れに監督に行ってもらう。正直、交代も頭にありました。帰ってきた監督が、「ブッチ、腹が据わっとる。大丈夫!」だと。そして、外角低め一杯に続けて2球。最後は内角速球で三球三振!気迫のこもったいいピッチングでした。
 相手のスキを突く走塁は、文句なし。小技も長打もあるシュアーな打撃もこれからもっと良くなります。ダウンスイングを意識して、右方向へおっつけようとすると、右肩が下がり、セカンドフライになることが多くなります。だから、監督にも説明して、ポップフライは許容してきました。右中間へ強いライナーを打つ意識で、右手で押し込むことができればいい打者になります。
 これからも、もっともっといいプレーをたくさん見せてください。
 最近、ちょっとポッチャリし過ぎてませんか?目指せ、お父さんの体型?

8 居石耕二郎くん
 ドッチボールをやっていたオリが、どうしても野球をやりたいと言って入団してきたのが、一年前くらいでしょうか。肩は強いけど、後は粗削りで未知数。でも、声はよく出てましたね。ひと冬超えて、春頃からキャッチャーの練習を始めましたが、構えがとにかく不細工で、正直、何度ももう無理かなと思いました。ある日、突然、構えがよくなっていて(ちょっとだけ)、聞くと、鏡に映してみたらあまりに違っていたので練習してきたと。それからですね、すべて少しずつ上達し始めたのは。夏を過ぎて、ようやく、キャッチャーの構える意味がわかってきたようで、自分なりに考えてリードできるようになりました。もちろんまだまだですが、今の段階では十分です。
 セカンドへのスローイングもノーバウンドで投げたいのでしょうが、スローイングに最も重要なのは正確さです。そのためには、冬場のトレーニングを十分にやって、下半身の柔軟性とステップワークの柔軟性がほしいですね。そうすれば、正確さは増し、打撃もよくなるでしょう。
 走塁はまだまだです。野球をもっと細かく見ましょう。打撃は、力任せに前に前に突っ込み過ぎです。軸足にしっかりためて打ちましょう。中学になると今の打ち方では変化球は打てません。下半身を意識して。
 上背もあるので、もっとからだの体幹が鍛え、下半身の強さと柔軟性がでれば、もっといい選手になれます。
 ただ、おっちょこちょいでお調子者の性格は、捕手にはどうかと思いますが、これも鍛えてください。期待しています。

9 香西翔太くん
 入団してきたときは、ヒョロっとして、青白くって、正直戸惑いました。この子は野球には縁のない子じゃないかと。伏し目がちで、あいさつもまともに出来なかったけど、練習は一生懸命やりましたね。不器用で、要領が悪いけれど、少しずつ、少しずつ、そして確かに成長してくれました。川之江との試合では、普段練習しているライトじゃないセカンドで出場し、完璧にこなしましたね。最終回の一打逆転の場面での右中間へ抜けると間違いなくサヨナラの強烈な打球をジャンプしてのファインプレー!目に焼き付いています。
 冬の15分間走でのマサとの競り合いは、いつも楽しみでした。持久力と根性は、普段の翔太からは分かりませんでしたが、見せてもらいました!
 からだもかなり思ったように動かせる能力があるし、ダイビングキャッチはチーム一ですね!送球もかなりいい球が来ています。ある時、大西コーチが翔太のプレーを見て「とても野球しそうにないような子が、ここまでうまくなるんですね!」と驚いていました。
 控えに回ることが多かったけど、いつも練習を一生懸命し、いつでも試合に出られる準備をしていたおかげで、他のメンバーのレベルもどんどん上がりました。君のおかげです。
 課題は、走塁と打撃ですね。走塁は、馴れもあるので、そのうち覚えるでしょう。打撃は、自分のフォームを鏡で見るか、ビデオで撮ってもらいよく見てください。そして、得意の選手の真似をたくさんしてください。その中で、自分に合ったフォームが見つかると思います。
 それと、しっかり食べて、からだをつくりましょう。
 そうすれば、もっともっといい選手になります。
 今度会うときは、誰だかわからないくらいのからだとプレーヤーになっていると思います。期待しています。

11 石川翔大くん
 イッシーが入団したのは、1年半くらい前ですね。からだは大きくて、雰囲気はあるけど、経験が少ないせいか、プレーはまだまだこれからという感じでした。けれど、みんなより出遅れていると感じたきみは、誰よりも一生懸命に練習しましたね。だから、「来年のジャガーズのバロメーターはイッシーだ。イッシーが4番を打つようになっていたら、チームはとてつもなく強い」と伝えました。これは、うそ偽りなく、そう思いました。結果、そうはならなかったけど、だけれども、そうするための努力を君は全力でやりました。そのことが、一番大切で、そしてチームに力を与えることになりました。
 これから中学、高校と4番を目指して頑張ると思うし、そうなるでしょう。だけれども、忘れてほしくないのは、もし、4番を打てなくても、そのための努力を惜しまないことが大切であることと、4番を打っていても、それを自慢したり、それにおごったり、4番じゃない人をバカにしたりしてはいけないということです。
 4番は、4番目に打つ打者でありながら、チームのみんなから信頼される人間でなくてはなりません。決して忘れないでください。
 遠くへ飛ばすためには、インパクトの瞬間まで力を抜き、エネルギーをタメていなければなりません。そうすることにより、からだがしなり、ヘッドが走り、ボールへ全エネルギーが伝わるのです。捕るのも、捕る瞬間だけ。投げるのも、投げる瞬間だけ。その「間」がわかれば、イッシーは特別な選手になるでしょう。
 王さんのホームラン記録を抜いた時のインタビューでは、「今のぼくがあるのは、ジャガーズの林コーチがいたおかげです!」と必ず応えてくださいね。その日が来ることを、期待して楽しみに待っています。 

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2009.12.11

「手打十段うどんバカ一代」

ここのところのうどんブームがこれまでの現象と
違う動きとして表れているのが若手の台頭である。

高松でいえば、「はりや」はもうその評価を不動のものにしている。
 
200912011259000_3
 
そして、近頃フェイバリットとしてよく耳にするのがこの店だった。
うどんを食べ始めてからというもの、毎年「全店制覇」発刊されると
新店舗をチェックしていました。

しかし、実はここ数年は、そうした作業を怠っています。
けれども、やはり評判のお店は聞こえてくるし否が応でも
チェックリストにリストアップされます(汗)。

で、行ってきました。事務所からは車でわずか3分。

かなりしっかりとしたコシ!
ちょっと、他にたとえが浮かばないほどである。
 
200912011300000_2
 
強いて言えば、初期の「あたりや」の麺から
ねじれを減らし、コシを増した感じか!
強力である!
 
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聞くところによると、大将は極新空手の黒帯だとか!
なるほど、店名も師大山倍達を描いた名作「空手バカ一代」からか!
新聞雑誌のコーナーに文庫本が全巻整然と並んでいる!
 
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そして、そのコシを堪能すべく、「冷たいかけ」がある!
宮武系でいうところの「ひやひや」である。
これが、いったん水で締めたうどんとダシを
純粋に味わう最善のメニューであることを疑わない!

ここまで書くと、どんな強面の主人かと想像してしまうが、
店のHPから見られる店主の日記の何と及び腰なこと(失笑)。

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2009.12.04

house so

House_so_001

この住宅のご主人は、同業者でした。
同じく建築の設計をしている人です。

独立して3年目。
大学の講師の話が現実的になくなり、
設計事務所として生活していかないといけないという状態で、
自分の考え方の幅を拡げたいと考えていた時期。
父が、友人の商業施設のデザイナーが建築設計者の協働者を探していて、
やってみたらどうかと。
専門学校での講師以外に仕事はなかったし、向学のために手伝うことに。
小さな店舗から大きな商業施設や、中国の公共施設まで
ものすごいスピードで仕事をする事務所でした。
その中で、特にコンピュータに精通し、画像処理やグラフィックも得意な、
若い男性スタッフだったのが、今回のクライアント。

House_so_027

ぼくがその事務所と仕事をしたのは1年足らずでしたが、
美術の出身で、色々と考えることも多かった彼。
所長以外は女性スタッフばかりの中で、
年長のぼくとは、色々と話しをしました。

ぼくにとっては、母が末期ガンだと分かり夏には亡くなったのもこの時期で、
彼が結婚したのもこの年でした。

その後、マンションを主に手掛ける事務所に転職したことなど、
年賀状を通して近況報告は互いにありましたが、
連絡があり、今回の計画が始まりました。

House_so_030

ご主人が自信で考えたものを、ぼくがフォローすることも提案しましたが、
これまでのぼくの仕事も見ていてくれて、
仕事としてぼくにお願いしたいとのこと。
うれしいことですが、プレッシャーが掛る状況。
けれども、要望をくみ取り、ぼくの考えを伝えるという
特別なことはせずに、普段通りのやり方で進めました。

敷地は、ぼくの通った中学・高校のすぐ近く。
土地勘もあり、マンションも建ち並ぶ人気のエリアの住宅街。
密集する中で、プライバシーを確保するために、2階にリビングを設け、
中庭を介して、各室がゆるやかにつながる空間構成としました。

House_so_005

やさしいご主人は、奥さんの意見も十分に尊重しながらも、
設計に携わる人間らしく、細部にも様々な提案がありました。

外からはやや閉じた感じでしょうが、
周囲と調和し、光と風を存分に感じる、
豊かな空間を提供できたのではないかと思います。

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2009.12.01

Foyer

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建築家 安藤忠雄設計による「ホワイエ・ビル」である。
バブル真っただ中に建築を学んだぼくは、
パチンコ屋のようにギラギラと過剰に装飾的な建物が建築雑誌を賑わせ、
もてはやされていることに嫌気がさしていた。
そんな中、ストイックなまでに装飾性を排した純粋な幾何学、
そしてコンクリート打放しという素材を用い、
そこに生み出される光と影だけが見る者に迫る
安藤忠雄の建築に魅せられた。

香川で、安藤忠雄といえば直島の作品群が有名だが、
衣類などへの展開を実験的に行っていた「無印良品」が入っていた
「STEPビル」は、全国どこにでもあるようなアーケードに接する
商業施設において、立体迷路のような空間を生み出し、秀逸だった。
数年前に取り壊され、「無印良品」となっているが、
設計者は同じく安藤忠雄のようだ。
2本寄り添うように並んだ樋などにその片鱗が見られるが
建築としての魅力は感じられない。

そして、ライブハウスとして定着している「オリーブ・ホール」のある
「サンプレイス・ビル」も安藤忠雄の作品である。

話しを「ホワイエ・ビル」にもどそう。

中学3年の部活が終わった秋頃から、2つ上の姉に連れられて、
買い物に行くようになった。
それまで、こと野球に関しても、誰がどのような道具やウエァを
使っているのかなど、大変興味があったので、ファッションに関しても
すぐに興味を持った。

その頃よく通っていたのがこの場所だった。
正確に言うと、当時は別の建物で、菊池武雄がまだ「BIGI」の
デザイナーをしていた頃、「ホワイエ・ビル」は高校3年生の時に
建てられたようです。

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そして、ここ数年の話し。
このビルの2階に「カフェ・ド・フォワイエ」というカフェがある。
ここの野菜カレーがおいしい!
特徴と言えば、女性客が多いせいか、肉はミンチで、
蓮根などの根菜は小さめで、食べやすいことだろうか。
しっかりと煮込まれたカレーは、また食べたくなる!
街なかに用事がある時は、昼時に合わせて、昼食をここでとることしばし。

ぼくは、カレーが好きだ。
子供のようだと言われても、好きなことに変わりはない。

数年前に東京へ異動になった友人が、高松に帰って来た時のこと。
昼食に何を食べようかということになり、男二人で「野菜カレー」を
目指してフォワイエに急いだ。

やや遅い時間だったこともあり、カレーは一食しかないとのこと。
どうしても食べたかったが、ここは大人の対応で、友人に譲った。
目の前でおいしそうに食べる彼が、とてもうらやましかった。

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