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2009.08.19

年子の弟と、場所をわきまえずにいつも走り狂っていた。
毎日、どろんこで、真黒になって、泥だらけで帰って来た。
わが子だと思うとぞっとするが、
けれども怒られたことはない。

父の会社の事務をしていたが、週に2回はサンドイッチを
弁当につくってくれた。
ぼくは、好き嫌いが激しかったが、おかずは不思議と気にならなかった。

野球に没頭するぼくが、出場する試合を見にきたことはない。
怖くて見れないのだそうだ。
毎日、ユニフォームやアンダーシャツなど泥だらけだったが、
いつも朝には白くなっていた。

学生時代、たまに電話があった。
夢に出てきただの、カラスを見たから心配になったからと。
父がつくった野菜を送ってくれる時、
食料と一緒に必ず、近況を記した短い手紙が入っていた。

何の社会的保証もない、建築家を志すことを決め、
大学院卒業後、給与の安い建築家の事務所に弟子入りすることを決めた時、
安定した道を選ぶように強く薦めたが、
ぼくの決意が固いことを確認すると、後は黙って応援してくれた。

よく働き、丈夫で、自分のことよりも、
いつもぼくたち子供のことを一番に考えてくれていた。


母親とはそういうものだと思っていた。

30歳で独立したものの、気概はあっても仕事はなく、
大学と専門学校での非常勤講師だけでは食べられない。
時間のある時は父の仕事の手伝った。

翌年春に、娘が生まれた。
その3日後に、姉の家族がNYへ移住。

冬には、嫁が仕事に復帰し、娘は母に預けた。

大学での採用がないことが判り、自分でしっかりと稼がないといけない
がけっぷちの再スタート。
人の輪を拡げるために青年会議所に入り、
父の知り合いの商業施設を手広く手掛けている事務所で
しばらく手伝うことをになった。

それまで登山をしたり丈夫だった母が、階段を登ると息切れがすると。
いよいよ具合が悪いので、病院へ行くと即入院。
胃に、こぶしほどの大きなガンがあり、摘出手術が必要だと。
娘が1歳の誕生日を迎える4日前のことだった。

手術を受ける体力を1カ月かけて回復させ、手術。
おびただしい数のガン細胞が体中に拡がっていた。


いつまでもそばにいて、ぼくたちのことを見守ってくれている。
いなくなることなんか想像すらしなかった。
今もうそじゃないかと思う。
悲しみは時間が解決してくれるなんてうそだ。
現実を受け入れなくてはと思うけれど。

何にもしてあげることができなかった。

ぼくらがしっかりと自分らしく生きて行くことでしか、
母への恩返しはできないのかな。

母が亡くなって今日で10年。

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2009.08.15

甲子園

野球を始めて3年が経つ娘が、「甲子園へ行きたい!」と。

桜町中学の後輩、高橋涼平くんの寒川高校が初の甲子園大会出場を決め、
高松商業との県大会決勝も見ていたので、急遽見に行くことにした。

ぼくは、ゆっくりビールでも飲みながらと、観光気分。
何を期待するでもなく、とにかく出かけました。

大会6日目、十分な下調べもせず、13時30分からの寒川高校vs日本文理の試合に
12時前には余裕で球場に入る予定で出発した。

飲みたいのと、渋滞は嫌なので、車は無し。
高速バスで三宮へ出て、阪神電車。

予定通り、12時前に到着。
ところが、第一試合がPL学園の試合とあってか、またお盆休みだからか、
恐らくその両方の影響で、中央特別自由席のチケットの販売がいつ再開されるのか
全く読めない状態で、多くの人が並んでいる!

後のカードは、さほど注目校が出ないため高をくくっていた。

もう12時直前!
15日は、終戦記念日。
12時に試合を中断しサイレンを鳴らして、黙祷を捧げる。
その瞬間を娘と体験したかった。

だが、それも叶わず。仕方ないので、まずはお土産を物色。

そして、再度、チケットの列に加わった。
「こりゃひょっとすると、見れないまま帰るのか!?」と思った時、
チケットが余っているので、正規の金額でいいので買ってくれないかと。
これは天の助け!2枚頂き、球場へ!

階段を上り、球場へ入ると、鳥肌が立った!

甲子園は2回目。
昭和51年夏、当時常連校だった高松商業と銚子商業の試合を見て以来、33年振り。
当時、9歳、小学校4年生の野球に狂っていたぼくを、父が連れて来てくれた。
けれど、正直に言うと、すでにプロで活躍することしか頭になかったぼくは、
まあ、何度か甲子園には出るだろう、くらいにしか思っていなくて、さほど感動もなかった。

しかし、今回、満員の甲子園球場。
この歓声が生み出す臨場感は、ここでしか味わえないもの。

そして、グランドはステージ。

バックネット裏で見たが、特別なライブ感は、球場を一つにする。

同点のまま延長に突入した明桜vs日本航空石川戦。
緊迫した中、一つひとつのプレーに球場がどよめき、
劇的な幕切れに酔う観客の高揚感。

そして、いよいよ始まった、目的の寒川vs日本文理戦。
初陣寒川の選手たちは、のびのびとプレーしていた。

先発の斎投手が好投。いつどのような展開で高橋投手にスイッチするのか、
回を重ねるごとにドキドキして見ていた。

追いつ追われつの好ゲーム。
7回表、本塁打で1点差に詰め寄られ、その後2死としたところ、
高橋投手、甲子園初登板。
痺れる場面だが、三振に切って取った。

その裏先頭打者が2塁打!
もう一点欲しい場面、斎が送りバントを2度失敗し、三振。
次打者のショートゴロに走者が飛び出し、2死。
追加点を奪えず。

8回表、先頭打者を安打で出すも、バント失敗で1死。
しかし、フォーク、スライダーで勝負したい捕手は、
変化球を続けて要求し、ストライクを取れない。
カウントを悪くし、ヒットを打たれ逆転を許した。

中学時代、しなやかなフォームで120km台後半のキレのある真っすぐを
アウトコース低目に投げ込んでいたが、
高校に入り、球速は135kmまで速くなったが、美しさは一転、力んでいる。
しかも、キレのある持ち味のストレートを要求せず、

変化球でかわすばかりのリード。

高橋投手が敗因をつくっているようだが、この投手を、変化球投手としてしまうなら、
甲子園では勝てない。

速さだけにとらわれず、初速と終速の差の少ない切れ味抜群のストレートで
三振が取れる投手として、また、甲子園に帰って来て欲しい。

しかし、高校生の、そしてこれまでに野球に情熱を傾けた人の、
これからこの場所を目指す人たちの様々な思いの詰まった甲子園球場。
そんなことは、子供の頃から何度も見聞きし、分かったつもりだったけれど、
それをはるかに超えた、それにふさわしい、臨場感あふれる特別な場所でした。

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