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2009.06.08

惜別「宮武うどん店」

店を閉めるのではないかという噂を聞いて
慌てて駆けつけたのが2年前。

先週末、その噂がとうとう現実になった。

「宮武ファミリー」と呼ばれる、「ひやひや」「あつあつ」「ひやあつ」の
愛すべき呼び方を生んだだけでなく、
素朴で飾り気のない実直な、どこか懐かしい
田舎のうどんを代表するうどん店であった。

田尾さんの「恐るべきさぬきうどん」以降のうどんブームの功績は
さぬきうどんの魅力を多くの人に伝えただけでなく、
名店と呼ばれる多くの店の後継者問題を救ったことも大きい。

しかし、一方で、たくさんの店が暖簾を下ろしているのも事実。
ぼくがうどんを食べ始めた1998年11月3日以降でも、
決して忘れることのできない店々のうどんを食べることができなくなった。

番町の「久保」、飯山の「木村」、栗林の「松家」、錦町の「くぼた」、
瓦町の「讃岐家」、勅使町の「中北」、観音寺の「まり」。

そして、名店中の名店「宮武うどん店」。

さぬきうどんを意識的に食べ始めた上記の日に行ったのが、
「山越うどん」と、この「宮武うどん店」だった。

地理的な問題もあり、頻度高く通ったわけではないが、
うどんを理解するにあたり、原型を抽出する際に「宮武系」とすれば
確実にその輪郭がはっきりする特別な店であり、
ちょっと離れた老人ホームのばあちゃんに、
会いに行こうとは思うけれど、ちょっと無沙汰になってしまったら
もう会えなくなった、そんな感情である。

もちろんそれはそのうどんだけではなく、
映画「UDON」のモデルにもなった、大将の愛すべき人柄と
相伴って喚起される感情なのだと思う。

「体力の限界」なのだそうだ。

うどんは、すべてを機械でつくることができる。
しかし、小柄で細身の大将は、手で粉・塩・水を混ぜ、
生地を手でコネ、自らの包丁で切らないと
自分のうどんができないことを誰よりも知っているのだと思う。

「宮武うどん店」の店の佇まい、うどん、そして大将の顔を
決して忘れることはない。

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