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2007.12.01

brother

ふたつ上の姉と、年子の弟。

歳の近い弟とは、よくけんかをした。

それだけ一緒にいた時間が長いのだろう。

何事にも、のめりこむのは、ぼくら兄弟の共通点だが、弟の場合は度を越している。

ぼくが、そういう部分に影響を受けたのかもしれない。

ぼくが小学校に入る頃、父に買ってもらった「巨人軍101のひみつ」。

弟は、選手の名前はもちろん、出身校まで暗記していた。

相撲も好きで、消しゴムで出来た力士で「トントン相撲」。

各場所の番付と星取表を作成。通常の場所数では物足りなく、

「ひな祭り場所」や「田植え場所」など独自の場所をつくっていた。

鉛筆を転がし、アウトだヒットだとやる野球ゲームでは、

甲子園大会を全試合やるがまた物足りず、

なんと、各都道府県の地区予選からやっていた。

だから、野球部のある高校は、何県の高校だかだいたい判る。

一緒に野球を始めたが、彼には素質が無かった。

小5から始めたサッカーが肌に合ったようで、高校まで続けた。

弟は、中学3年からストーンズを聴き始めた。

それから音楽に没入した。

情報源は、「ミュージック・マガジン」と「ロッキン・オン」とFM。

雑誌を隅々まで読み、エアチェックし、気になったものは録音する。

それはそれは徹底していた。

その影響で、ぼくもビートルズからエリック・クラプトン。

そして、互いにソウルやブルースなどの黒人音楽へ傾倒した。

東京での学生生活は、ぼくが1年早く、弟の入学と共に一緒に生活した。

ご飯の炊き方、洗濯の仕方ひとつ知らない弟に教え、こき使った。

虐げられていると感じた弟は、それを「家庭内奴隷制度」と呼んだ。

一度聴いてすぐ好きになるような音楽ではない黒人音楽を一緒に聴き、

感じ考えたことを語り合った。

魅力がわかり始めると、東京での学生生活にいまひとつ馴染めなかった弟は、

現実逃避のごとく、さらに狂ったように音楽を聴いた。

ライブにもよく行った。

バブル真っ盛りの88年には、22本のライブに行った!

就職と同時に「奴隷解放」を宣言し、一人暮らしを始めた弟。

近くに暮らす弟のところへ、酒とつまみを持ってよく行った。

音楽のこと、会社のこと、そして建築へとのめり込み始めたぼくは、

建築について考えていること、とめどなく語り合った。

人間形成の過程において共有していることが多い弟とは、

共通に認識しているところが多く、また、悩みや喜びも共有できた。

音楽を聴いていてよかったと思えるのは、その音楽を聴いた頃の情景が、

考えていたことが、音と共に鮮明に蘇ること。

そして、弟と音楽について語り合った記憶。

音楽そのものの価値と世間での評価(売り上げ)とは別のものであること。

だが、どちらも大切なこと。

そして、その狭間の葛藤。

自己の表出のみならず、社会に対するメッセージ性、

そして色あせることの無いその意味。

その音楽が生まれる地域の歴史的背景と不可分であること。

建築の道へと進んだぼくにとって、音楽が教えてくれたものは計り知れない。

弟も今日で40歳。

先行きの暗い音楽業界。

けれど、誰よりも音楽を愛し、伝えたい熱意は君にしかないもの。

そんな君を誇りに思うし、誰よりも応援しています。

それをしっかりと活かせる場を自らの手で築いてください。

君が弟でいてくれたことに感謝しています。

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