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2007.12.29

2007

今年も残り僅かとなりました。

本格的に40歳台へと歩み始めた2007年。

本厄にあたり、基本的にはおとっちゃま(讃岐弁で臆病者の意)なので、

何が起こるのか不安の中でのスタートでした。

節分までが、本厄ですので、まだ一月以上ありますが、

仕事の方は、怖いくらいに順調でした。

予定どおりに計画が進まないことはままあることですが、

今年は、姉歯の事件を受けて、6月20日以降、建築確認申請が複雑になり、

請負工務店が決まっても、着工の期日が読めない状況。

また、中国バブルに加えて、原油の高騰と首都圏の建設ラッシュによる、

建設物価の高騰。

そうした中で、クライアントに納得していただける範囲の

仕事ができたのではないかと思います。

現場、計画を含め、常に十数件の案件をクオリティと信頼をもって進めるためには、

タフな精神力が必要でした。

明け方から、仕事の段取りが勝手に始まり、

ひどい時には2時過ぎに目が覚め、そのまま仕事。

通常、6時前には目が覚め、事務所へ向かい、

午前中で、その日の仕事をスタッフと確認。

仕事の合間を見て、朝、週に3度は体を動かし、

週末は、可能な限り、同級生のソフトボールチームの練習、

そして、娘の野球チームのコーチへ。

気力を保つために、体力を維持する必然は、

過去の体験から痛いほど分かっています。

大好きな野球を存分にできることが何よりのストレス解消。

年末に、3件の竣工と、2件の請負の調整、実施設計と重なり、

慌しく、本年竣工の7つのプロジェクトをまだ紹介で来ていません。

準備が整い次第、来年度、紹介したいと思います。

では、皆様よいお年をお迎えください。

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2007.12.10

讃州屋

うどんに取り憑かれた頃、狂ったようにうどんを食べた。
1日5軒を週に5日。一か月で100軒。
半年で300軒。

「それだけ食べると、どれがどれだか味が分からなくならんの?」
FMの番組で、パーソナリティーの山下アキさんに聞かれた。
もちろん、そんなことはありません。

ただし、「もの凄くおいしい」と思う店と、
「そこそこおいしい」の違いは、最初ははっきり分かりませんでした。

食べていくうちに分かったその違いは、
「もの凄くおいしい」うどんは、時間がたってもその感触が鮮明に残り、
「また食べたい」という衝動が湧き起こります。

「そこそこおいしい」うどんは、その衝動にまで到りません。

 

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善通寺の「讃州屋」は、頭のどこかに、いつも衝動が残っているお店です。
ぶっかけには、ネギ・ショウガとレモン。
そして鷹の爪。
つやつやでエッジの効いたコシのあるうどんはアルデンテ。
人呼んで「ぺペロンチーノ」。

 

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同じ善通寺の名店「山下」と似ているという話しをすると、
宮武ファミリーや「谷川米穀店」、るみちゃんこと「池上」など名店が使用する「緑あひる」の日讃製粉の景山篤弘社長は、丸亀の「さぬきや」の流れだと
教えてくれた。

そう言われれば、店内の佇まい、設えが重なる。

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派手さは全くないが、わかってる固定客の多い店。
こういう店がしっかり残っているのがさぬきうどんの奥深さ。


数多あるうどんの中でも、かなり好きなぼくのとっておきの店のひとつ。

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2007.12.01

brother

ふたつ上の姉と、年子の弟。

歳の近い弟とは、よくけんかをした。

それだけ一緒にいた時間が長いのだろう。

何事にも、のめりこむのは、ぼくら兄弟の共通点だが、弟の場合は度を越している。

ぼくが、そういう部分に影響を受けたのかもしれない。

ぼくが小学校に入る頃、父に買ってもらった「巨人軍101のひみつ」。

弟は、選手の名前はもちろん、出身校まで暗記していた。

相撲も好きで、消しゴムで出来た力士で「トントン相撲」。

各場所の番付と星取表を作成。通常の場所数では物足りなく、

「ひな祭り場所」や「田植え場所」など独自の場所をつくっていた。

鉛筆を転がし、アウトだヒットだとやる野球ゲームでは、

甲子園大会を全試合やるがまた物足りず、

なんと、各都道府県の地区予選からやっていた。

だから、野球部のある高校は、何県の高校だかだいたい判る。

一緒に野球を始めたが、彼には素質が無かった。

小5から始めたサッカーが肌に合ったようで、高校まで続けた。

弟は、中学3年からストーンズを聴き始めた。

それから音楽に没入した。

情報源は、「ミュージック・マガジン」と「ロッキン・オン」とFM。

雑誌を隅々まで読み、エアチェックし、気になったものは録音する。

それはそれは徹底していた。

その影響で、ぼくもビートルズからエリック・クラプトン。

そして、互いにソウルやブルースなどの黒人音楽へ傾倒した。

東京での学生生活は、ぼくが1年早く、弟の入学と共に一緒に生活した。

ご飯の炊き方、洗濯の仕方ひとつ知らない弟に教え、こき使った。

虐げられていると感じた弟は、それを「家庭内奴隷制度」と呼んだ。

一度聴いてすぐ好きになるような音楽ではない黒人音楽を一緒に聴き、

感じ考えたことを語り合った。

魅力がわかり始めると、東京での学生生活にいまひとつ馴染めなかった弟は、

現実逃避のごとく、さらに狂ったように音楽を聴いた。

ライブにもよく行った。

バブル真っ盛りの88年には、22本のライブに行った!

就職と同時に「奴隷解放」を宣言し、一人暮らしを始めた弟。

近くに暮らす弟のところへ、酒とつまみを持ってよく行った。

音楽のこと、会社のこと、そして建築へとのめり込み始めたぼくは、

建築について考えていること、とめどなく語り合った。

人間形成の過程において共有していることが多い弟とは、

共通に認識しているところが多く、また、悩みや喜びも共有できた。

音楽を聴いていてよかったと思えるのは、その音楽を聴いた頃の情景が、

考えていたことが、音と共に鮮明に蘇ること。

そして、弟と音楽について語り合った記憶。

音楽そのものの価値と世間での評価(売り上げ)とは別のものであること。

だが、どちらも大切なこと。

そして、その狭間の葛藤。

自己の表出のみならず、社会に対するメッセージ性、

そして色あせることの無いその意味。

その音楽が生まれる地域の歴史的背景と不可分であること。

建築の道へと進んだぼくにとって、音楽が教えてくれたものは計り知れない。

弟も今日で40歳。

先行きの暗い音楽業界。

けれど、誰よりも音楽を愛し、伝えたい熱意は君にしかないもの。

そんな君を誇りに思うし、誰よりも応援しています。

それをしっかりと活かせる場を自らの手で築いてください。

君が弟でいてくれたことに感謝しています。

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