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2007.04.27

昨年、娘が野球を始めた。
時間の許す限り練習に参加し、教える。
その中から学ぶことは多い。

野球というスポーツは、多くの技術と知識を身につけなければならない。
ただし、それが必ずしも結果に直結しない。

圧倒的な力の差があっても、10割打つことは不可能に近い。
圧倒的な力の差があっても、10割抑えることは不可能に近い。

そこには、技術、知識の問題と共に、精神的な問題がある。

グラウンドに一礼し、足を踏み入れる。
グラウンドの状態だけでなく、全天候がプレーに影響するからか。

チーム全体の統率の取れた動きを大切にする。
一人で勝つことはできない。
人生の中でのほんの一時、一緒にプレーすることの意味を感じるためか。

道具を大切に扱うことを尊しとする。
「手入れをした道具で練習したことは、体に、かならず残ります。
 記憶が体に残ってゆきます。」 とはイチローの言葉。

子供たちには、家族を含めた周りの人たちの
練習の手伝いや目に見えない協力や応援があり、
自分が野球をすることができるという環境があることをわかってほしいと思う。

野球を通して、「礼」を学ぶことは、
野球が上手くなること以上に意味があるのではないかと思う。

手元の辞書の「礼」の項の最初に、こう記されている。
 「人のふみ行うべき道」

先日、チームでの練習の後、スローイングに不安のある選手の練習に、
近くの公園で、その子の父親と一緒につき合った。
試合で、自分のミスが敗因になったことに責任を感じ、
試合後は泣いていたようだ。
しかし、泣いていても、仲間に迷惑を掛けたことに変わりはない。
その事を本人は自覚している。
疲れているだろうに、指摘したポイントを修正しようと、スローイングを繰り返す。
よくなった。
試合で、結果が出るといい。
自分も疲れているだろうに、練習につき合った父は、
選手に「きちんとお礼を言いなさい。」
と何度もぼくにお礼の言葉を発せさせた。

その隣でキャッチボールをして遊ぶ父子の家族。
ボールがこちらに転がり、とってあげたこと数回。
ボール遊びをしていて、ボールが転がるのは不可避なこと。
とってあげた子は、会釈も礼も何もない。
自分の責任を感じ、公園で練習していた選手と同じ年頃の子。
父親は間近にいて、子供に何も言わない。
父親は、息子をどういう人間にするつもりなのだろう。

キャッチボールが上手になることよりも礼を、
「人のふみ行うべき道」を教えるべきではないかと思う。

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2007.04.11

約束

昨日は、娘の誕生日。

噂をよく聞く、近くの「生パスタ屋さんに行きたい」と。

トマトソースのパスタが好きな娘は、
「タコと何とかのトマトソース」を頼む。
タコ好きのぼくに似て、娘もタコ好き。
今日は娘の誕生日、パスタをもらうときは、
タコを取り過ぎないように気を付けなければ。

ぼくと嫁さんは「イカ墨の何とか」を頼む。
イカ墨の濃厚な味も大好きだ。
イカ墨の料理には、それを吐き出した本人かどうかの
因果関係は分からないが、大抵イカがセットだ。
今回のパスタもそうだったが、タコとイカ墨の取り合わせだと
どれほど幸せだろうと思いながら食す。

サラダやアンティパストからスープ、ドルチェまで満足そうに食べた。

プレゼントは、「wii」かDSのカセット2個がよいと。
「wii」は、ぼくがほしかったので、「wiiでもえんとちゃう」と
口を滑らし、娘もその気になったが、「高すぎる」と却下。
交渉の末、友達が持っていてほしいという「マリオ・カート」と
右脳を鍛える系のゲームに落ち着く。

片づけが得意ではない娘に、
・部屋の片づけが終わってからでないと使わないこと。
・翌日の学校と習い事の準備が終わらないと使えないこと。
・1日の使う時間は30分。
上記のことが守れてないと、即使用中止を約束した。

すぐ使いたいだろうに、健気に片づけをする娘。
昨日は結局時間切れ。
モノで釣るのもどうかと思ったが、まあいいか。

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2007.04.10

9才

とおさんとかあさんが結婚して、すぐに子供が欲しかったけど、

ずいぶんと待ちました。

かあさんのおなかの中から出てくるときも、丸々一日かかりました。

病院中にひびきわたる大きな泣き声がきこえたとき、涙が出ました。

生まれてきてくれて、うれしかったよ。

「深音(みお)」という名前は、とおさんが考えました。

「みお」ということばは、海や池のふねが通る道という意味です。

水の下のふかさは上からでは分かりません。

生きる道を、自分でしっかり見つけて進んでほしいという意味です。

みおが、一才になるとき、ばあちゃんがガンだったことが分かりました。

夏には、ばあちゃんが死んで、とおさんも、かあさんも、じいちゃんも、

つらかったけど、ばあちゃんのことを忘れずに、

ちいさなみおががんばってくれたので、がんばれました。

お調子者で、はりきりやさん。

好奇心が旺盛なあなたのことが大好きです。

バレエもフラメンコもピアノも野球もがんばってね。

「わたしにはこれだ!」と思うものができればいいね。

新しいクラスで、自分から委員長に立候補して選ばれたのだから、

「かっこいい委員長バッチ」にはじないように、

いばらずに、みんなのためにがんばってください。

「新みお」宣言通り、早寝早起きがんばってるね!

がんばらなくてもふつうにできるようになるといいね!

9才のたんじょうびおめでとう。

生まれてきてくれてありがとう。

これからもよろしくね。

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2007.04.09

さくら

「さ」は田の神を指し、「くら」は神の座の意。

暦もなく、季節感もあいまいだった昔、

田の神の依代(よりしろ)であり、穀物の種まきのころ咲き誇ることから、

穀霊が宿り、秋の実りの豊かさを告げるものと考えられていた。

 

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一年のうち、僅かな時間だけ咲く。

その儚さに惹かれるのか。

年に一度、気の置けない仲間と花見。

川縁の桜の下に陣取る。

見上げる満天の桜。

今年も美しかった。

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2007.04.06

「レオニー」

1907年3月。

2歳の幼い息子イサム・ノグチを連れて日本に渡った

母 レオニー・ギルモア。

 

Photo_29

 

それから100年。

「ユキエ」「折り梅」の松井久子監督が、

レオニー・ギルモアの人生を描く。

これまでの作品は、上映会というかたちで各地をめぐる。

その縁で、高松に度々訪れ、イサム・ノグチ庭園美術館で

ドウス昌代の「イサム・ノグチ 宿命の越境者」を手にした。

様々な証言・資料から精緻にイサム・ノグチを紡いだ著書は、

エモーションに溢れ、惹きつける。

募金など草の根の活動から映画作製の資金を集めている。

話しから類推すると6~7億円程度だろうか。

資金を集めることから作品づくりが始まっている。

単なる大金を「投資」するスポンサーは望んでいないとすら感じられた。

秋から撮影にかかるという。

自らの内奥を見つめ、存在意義を作品に投影する

イサム・ノグチの制作において、人生において、

母への複雑な愛情のかたちが見え隠れする。

どのような「レオニー・ギルモア」が描かれるのだろうか。

http://www.myleonie.com

 

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