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2007.01.31

行脚

31日。

6時起床。

少し多めに水分を摂り、新聞に目を通す。

軽くストレッチした後、45分間走る。

走りながら、一日の作業を整理する。

8時出社。

メールをチェックし、雑用を済ませる。

8時45分。

一日の作業内容をスタッフと確認。

友人O邸のプランの考え方を確認、指示。

見積が出てきて、最終調整に入った詫間町Kマンション。

コスト削減のための方法を、構造事務所へ確認。

同じ状況の志度町H邸のサッシュの変更案を確認。

工務店と相談。うまく落ち着くといいが。

東温市の犬を飼われているW邸。

扉に、犬の出入り口を設けて欲しいとのこと。

寸法や考え方を確認。参考図を描き、指示。

3週間後、引渡し予定。

ASJ松山スタジオの仕事。

現場へ。

四国のヘソ池田町の隣、銘酒「芳水」の産地 井川町のK邸。

中庭を複数配した平屋の住宅。

格子梁という架構の状況を確認。

現場の佇まいから、大工さんの丁寧な仕事が伺える。

架構の気になる点を、担当スタッフ、監督さんに伝える。

ASJ徳島スタジオの仕事。

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池田井川ICから徳島道で徳島ICへ。

徳島文理大学の近く、来週末、引渡し予定のU邸。

南側のガラスや家具が入り、ほぼかたちが見えてきた。

どこからも覗かれない中庭がもたらす光、碧い空。

いい空間。

ブレースの取り付け方法について指示。

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ASJ徳島スタジオの仕事。

気になっていた徳島ラーメン「いのたに」で、昼食。

昨年末、完成したN邸(house en)。

入居された後、どのように住まわれているのか、

様子を外から伺うのも楽しみである。

日当たりのよいポジションでまどろんでいた犬が心地よさそうだった。

ASJ徳島スタジオの仕事。

板野ICから高松道でさぬき三木ICへ。

三木町の久本酒店の南、2月末引き渡し予定のM邸。

変更したサッシュ、浄化槽、家具が入り、大体のかたちが見えてきた。クライアントが大変気にされていた壁・天井の仕上げが始まっていた。いい感じだ。納得していただけるはず。年末に大怪我をされていた監督も復帰。

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ASJ高松スタジオの仕事。

調整区域が解除され、開発が広がる高松市十河西町、今月着工したI邸。

浄化槽を先行して据付けたのを確認。

かなり前倒しでの仕様の打合せが進み、キッチンも先日決定。

この時期では、通常ありえないが、早いに越したことは無い。

心配性のクライアントの意向。

事務所に戻る。

まちうたプロジェクトの件で打合せ。

ASJ松山中央スタジオのO邸。

最初の概算見積がそろそろ出る。

かなり個性的なクライアント。

反応はいかに。

ASJ徳島スタジオのS邸。

来週末、設計契約。

ゆるやかで、のんびりした空間になればいいと思う。

飲食店を営む、友人Fさんの新規事業。

その打合せ時間の確認。

起業家のためのインキュベーション施設を計画のM先生から。

動き出したいとの事で打合せ時間を調整。

動き回りながら、人様の人生を預かる身、

であることを改めて痛感した一日でした。

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2007.01.24

考え続ける

「建築家は、同じことについて110時間連続して、

考え続けることが出来なければならない」

建築家 丹下健三の言葉である。

大学で、建築を学び始めてすぐに、建築家になりたいと思った。

しかし、バブル期のあまりに恣意的な建築に違和感を覚え、

陣内秀信の研究室で、地中海の都市や建築の研究に没入した。

どんなまちも、一つひとつの建物がまちをつくっている。

建築家は、社会的な責務が重いことを痛感し、

建築という行為そのものに強い畏敬の念を抱き、

同時に、果たして建築家としてやっていけるのか、

という不安が絶えることは無かった。

そんな日曜日の朝、テレビでイサム・ノグチについて

安田侃氏が話をしていた。

イサム・ノグチが自らの若い頃の作品を見て

「いいね、いいね。」と言うので、

安田氏が「どういうところがですか?」と尋ねると、

「迷いが一杯詰まってるでしょ。」と答えたという。

その言葉が、建築家として生きていくことを決意させた。

小さい頃、やんちゃで、弟と暴れまわっていたが、

母が、デパートでゆっくり買い物をする時間をつくるのは

容易だったと言う。

「ハンカチを買ってあげるから、自分で選びなさい。」

これにしようかあれにしようか2時間は選んでいたようだ。

建築の設計とは、様々な諸条件を整理し、秩序を見出し、

その場に呼応する、適切なかたち、光と空間を与える行為。

しっかり悩んできたので、アイデアを生み出し、

かたちにする速度は身についた。

ただし、これで本当によいのかと、自問自答し、

考え続けることが肝要だが、これももはや習性になった。

芭蕉は、その見出した光景を言葉に置き換えるが、

最適な言葉を見出すため、推敲に推敲を重ねたという。

冒頭の言葉は、丹下の死後知った。

「110時間」は、100時間では足らない、

まだまだもっともっとということか。

だとしたら、少しは建築家である資格があるのかと思う。

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2007.01.16

FEVER

4日、仕事始め。

5日に、昨年から進めていた集合住宅の見積をお願いするため、

各建設会社に図面を渡し、一息ついたからか、午後から発熱。

39度5分の熱と頭痛が二日間続いた。

中学時代から20歳代に掛けて、

年に一度、なぜだか発熱した。

中学2年の秋。

新チーム最初の市新人戦の、決勝戦の朝。

ガタガタとからだが震えるので熱を測ると38度を超えていた。

試合は惜敗したが、チームの実力を測るには十分な結果だった。

試合が終ると、熱は下がっていた。

武者震いだったのか。

20歳代。

建築の道を歩みだしたものの、

どちらへ進めばよいのか分からず、

僅かな期待と、持て余すほどの時間が不安を増幅させる。

ゼミが始まり、確実に歩き始めた実感を得てからの一年一年は、

自分自身の成長を実感できた。

思考する力を鍛えることは、脳に負荷を掛けること。

思考する力が鍛えられていることを実感できた頃。

決まって年に一度発熱した。

知恵熱だったのか。

これからも、知恵熱が出るほど、負荷を感じ、

自分自身の成長を一年一年実感できる自分でありたい。

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2007.01.01

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。

2006年は、私にとって大きな節目の年でした。

人生の折り返し地点、40歳に。

8年在籍した社団法人高松青年会議所を卒業。

娘が、野球を始めたことで、野球熱が再び。

仕事も、お蔭様で順調。

PTAで、副会長を務めさせていただき、多くのことを学びだしました。

明日の高松のビジョンを作成し、高松が胎動を始めました。

前厄でしたが、運動を心がけているせいか、体調もまあまあ。

本当に充実し、達成感のある一年でした。

これもひとえに、支えていただいた皆様のお蔭です。

大変お世話になり、ありがとうございます。

自分という畑を耕し続けた20歳代。

様々な種を植えた30歳代。

どんな花や実をつけるのか楽しみな40歳代。

しかし、しっかりとした幹を育てる必要があります。

誠心誠意、精進してまいります。

本年も、よろしくお願いします。

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