四十不惑
昭和41年9月19日。
2450g、9カ月の早産。未熟児として生まれた。
1週間保育器に入るほど状況は悪く、
先生は「もう持たないかもしれない」と。
父方の祖父からすると、6人目の孫にして始めての男児。
「この児を殺したら、先生、あんたを殺すで!」と。
そんな願いが通じてか、大きくすくすくと育ちました。
祖父は、寺社仏閣も手掛ける大工。
村会議員も務めたまちの顔役的存在。
50歳で息子達に道を譲り、リタイア。
書に通じ、威厳と貫禄があった。
小学6年生のときに68歳で亡くなったが、
ぼくのなかではかなり大きな存在でした。
2歳上の姉と年子の弟。
父母は、あまりああしろこうしろと言わず、ある意味放任主義。
自分自身が子供を育てる立場になったとき、思い返してみると、
ぞっとするほど暴れまわって遊んでました。
叔母は、「お母さんは特別な考えがあって
あんたらに細々とは言わんかったんやと思う。」
もの心ついたときから、「プロ野球の選手として活躍する」ことが目標。
以降、建築の道に進むまでは「ゆめバトン」の項を。
タイトルの言葉は孔子の「論語」より。
十有五にして学に志す。
一応、15歳の時、建築へと進むことを決意。
三十にして立つ。
一応、30歳の時、独立。
30歳というのは、ぼくの中で大きな節目で、
独り立ちできる自分足りえているのかという、自問自答を重ね、
1年1年の成長を他人と比較していた。
35歳を過ぎた頃から、年齢や他人のやることをあまり気にせずに、
自分のなすべきことを見つめ、
それを少しずつ実行できてきたのではないかと思う。
四十にして惑わず。
四十歳になったら処世について迷わない。
つまり、自らの学問に対して自信を固め、道理も明らかになり、
人生の問題に迷う事がなくなったという。
五十知命(天命を知る)。
六十耳順(人の言葉に耳を傾ける)。
七十従心 と続く。
人生、残すところ20年。
どのような40歳代を送るのか、もっと正確に言えば
45歳までにどのような営みをするのかによって、
ぼくの人生は決まると思っています。
しっかりと道を見つめ、足元を見つめ、
思索をめぐらせ、惑わずに時を重ねたいと思います。
今日から40歳。
この世に生を授けてくれた父と母に感謝。
ありがとう。
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