イサム・ノグチ展
昨年末の東京都現代美術館での展覧会に続き、
今、横浜美術館で開催されている展覧会を観てきました。
この後、滋賀、高松と巡り、9月末からの高松市美術館での展覧会の際、
一般の方向けにワークショップをすることになり、その下見も兼ねて。
イサム・ノグチさんは、ぼくにとって、
人として、また、表現者として特別な人です。
イサムさんの作品は、「綺麗」だとか「美しい」という言葉では
表現できない、生命の持つ根源的な力強さのような
特別な「力」を持っています。
正確には、彫刻家イサム・ノグチが作品に、
そのような「力」を持たせるべく、
素材とかたちを注意深く与えています。
展覧会の作品は、すでに見たものがほとんどでしたが、
今まで、何を見ていたのかと思うほどに発見の多い展覧会でした。
晩年、牟礼で制作するようになってからの、
自然石と対峙するかのような作品はほとんど無く、
どれも、イサムさんの手によって生み出された作品ばかりでした。
イサムさんの作品は注意深く見れば見るほどに、
その根底にある、生まれてきたことへの喜びや、
それに不可避に伴う、自らの生い立ちと向かい合い、
自らの内奥を深く抉り出すという行為がもたらす
時には恐ろしいほどの悲しみが湧き出してくる。
「母子像」(‘44-47)は、愛しそうに小さな子供を抱き、
頭をつける母に、照れ臭いのか、少し離れようとするような子供。
母に愛されながらも、早くに離れ離れの生活を余儀なくされた
イサムさんの母ギルモアに対する複雑な心根が現れているのでしょうか。
庵治石の産地 牟礼にアトリエを構えたものの庵治石を使った作品は
ごく僅かであるが、その中の作品のひとつが「幼年時代」(‘71)。
四角い石を、丸みを帯びさせるように叩いているように見えるが、
しばらく見つめていると、坊主頭の少年が、怒ったように、
また、悲しそうに、拗ねたような表情に見えてくる。
自分自身が体験することの無かった、無垢な家族を目の当たりにし、
そこに、擬似的に参加することで母への思いを
重ねることのできた場所、牟礼。
その牟礼に制作の現場を設けて以降の作品であることと、
その場や地域のコミュニティーを結び付けている庵治石で
制作されたことに、その思いの深さが伝わってきました。
まだまだ深き、イサムさんの世界を見せつけられました。
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