隙があったら
昨日は、ここ数年続けているライブのイベントだった。
「高松の穏やかな海にはボサノヴァが合う!」と
首謀者の仙人が言ったことから手伝うことになり、
2年目以降は、実質ぼくひとりで段取りをするハメに。
今回のメインアクトは、ボサノヴァの山本のりこさん。
今年は場所を高松駅際の有効に使われていない広場を
面白く活かすという主旨で、初めての場所。
リハーサルが始まったが、PAがもうひとつしっくり行かない。
単に技量が無いのだが、ハウる。
ぼくならブチ切れそうな音だが、丁寧な物言いと、
決してあきらめない姿勢で、40分掛かり、
なんとかよい音をセッティングできた。
そこに、山本さんのプロとしての執念を見た。
先日、奥目のはっちゃんこと岡八朗が亡くなった。
学生時代、大阪の大学に通っていた友人のところに
遊びに行き、その際、今は無き、梅田花月へ行った。
いきなりロビーに寛平ちゃんがいたのにも驚いたが、
それ以上に、ステージは驚愕の時間だった。
テレビではそれほど面白いとも思わなかった
今いくよ・くるよは、いい意味でテレビほど力が入っておらず
客を軽くいじりながら、笑いを取る。
村上ショージの師匠滝あきらは初体験。
淡々と繰り出す言葉の連続はそれまで体験したことの無い
空間を生み出していた。
新喜劇も、テレビよりゆるく、ざっくりで、
つくりこみすぎてない感じに驚いた。
LIVE。
その場限りの、だからこそ掛け値の無く
価値や意味を生まないといけない空間。
そこにあるのは、プロとしての誇りか。
定量化できないものに意味を見出し、
人生を投影し、生きていく人たちの執念か。
そんなことを思い、追悼。
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